22 代償
「でも、貴女がそんな所に突っ立っているから悪いのよ?」
そういやらしく笑っていたのは、ジーナだった。
ルーフィスとサリーがいない隙を虎視眈々と狙って、わざわざ赤ワインを引っ掛けに来た様である。
先程、フィーナを貶める事も出来なかったどころか、サリーに邪魔され、余程腹に据えかねたらしい。
やっとフィーナに一矢報えたと、ジーナはクスクスと笑う。
そんなジーナに、フィーナは怒りよりため息が漏れた。
結婚もしているというのに、やっている事が幼稚過ぎて、呆れてものが言えなかったのである。
「は?」
その反応に、ジーナは笑いがピタリと止まった。
流石のフィーナでも、泣くか怒るか返すだろうと思っていたのに、聞こえたのはため息である。
逆に馬鹿にされたと感じ、余裕だったジーナの表情がスッと消えた。
フィーナが怒れば「わざとじゃないのに、酷い」と口にする予定だったし、逆に泣いたら「こんなに謝罪しているのに、フィーナが許してくれない」と、大仰に謝罪したフリをする予定だった。
どちらにせよ泣き真似をして、皆から同情される算段を付けていたのだ。
なのに、フィーナの反応は薄いどころか、軽蔑した様な眼差し。
想定外の反応で、仕掛けたジーナの方が、思わず本性が顔に現れてしまった。
「足が縺れる程に飲まれているなら、もうお帰りになられては?」
挙げ句には、フィーナがそう言ってゆったりと微笑むものだから、ジーナはつい唇を噛んだ。
さすがのフィーナでもワインを掛けられたら、『何をするのよ!』と怒鳴ってくると思っていたのに、怒るどころか何事もなかったかの様に凛としている。
フィーナの無様な姿を皆に見せつけるハズが、自分との格の違いをまざまざと見せつけられた様で、ジーナはギリギリと奥歯を噛み拳を握っていた。
だが、すぐに注目を浴びている事に気付いたジーナは、慌てて表情を繕い怯えたフリをし、フィーナへ謝罪の言葉を口にした。
「ごめんなさい、ごめんなさい! そんなに怒らないで!? わざとじゃないのよ?」
わざとではないのに、フィーナの扱いが酷くてとアピールするつもりで。
こう言われれば、フィーナもジーナの言い方が癪に触り、怒ってないと強い口調で返してくるハズ。
何も知らない皆は、フィーナが狭量で怒りっぽいと、勝手に勘違いしてくれるだろう。
後はただただ平謝りすれば、フィーナが悪者になる。そして、ジーナを慰めてくれる者がいたら、勝ち確だ。
今までもこんな事があったと匂わせれば、尾ヒレ足ヒレがたくさん付き、フィーナの悪評が広まる事だろう。
ジーナはそれを狙っていた。
しかし、フィーナの行動はジーナの想定外過ぎた。
ドレスの胸元からハンカチを取り出すと、ジーナの前に屈んで見せたのだ。
「まぁ、ドレスの裾が濡れてしまってますわ」と。
その瞬間ーー
ーー会場はザワついた。
この様な場所で、誰かの前に屈んで見せる事など、あり得ないからだ。
相手のドレスが汚れているなら、ハンカチを貸すか指摘するだけでイイし、使用人に頼めばイイ事だった。フィーナが自らやる必要はどこにもないのだ。
しかも、異質なのがフィーナは伯爵令嬢で、相手は子爵夫人。
格下相手にそこまでやる行動に、皆どよめきを隠せなかった。
「きゃっ!」
その騒ぎがさらに大きくなったのは、フィーナがドレスの裾を拭こうとした時である。
「まぁ!? 何て人なの!?」
「フィーナ様がドレスを拭いてくださろうとしていたのに……っ!」
「蹴り飛ばすだなんて!!」
フィーナが小さな悲鳴を上げ、床に倒れたからだ。
ジーナにしたら、フィーナが足元に手を伸ばしてきたので、反射的に足を引いてしまっただけ。
だが、遠くにいた者達の目には、その反応がフィーナを蹴り飛ばして見えたのだ。
「フィーナ嬢!!」
真っ先に駆け寄ったのは、勿論ルーフィスである。
心配そうな表情で、倒れたフィーナを優しく抱き起こす。
「わざと赤ワインを掛けただけじゃなく、フィーナの頭まで蹴ろうとするなんて、貴女最低だわ!!」
その隣で、そう大袈裟に騒いで見せたのはサリーだ。
勿論サリーは、一部始終見ていた訳ではない。だが、ジーナが仕掛けた事など、すべてお見通しの様だった。
だからこそ、サリーはここぞとばかりに言い放ったのである。
「え、わざと赤ワインを掛けたの!?」
「やだ、挙げ句にはドレスを拭いてくれた彼女を足蹴に!?」
「そ、そんな事はしてーー」
「この人って、前にもそんな騒ぎがなかった?」
「あったあった! アレも転んだ訳じゃなくて……?」
「わざとだったんじゃない?」
「違っ! 違うわ!」
「うっわ、じゃあ何か? 気に入らない令嬢にはいつもこうやって」
「そうだと思うわ。だって……ねぇ?」
「そうそう、今思い出したけど……学園時代からーー」
サリーの言葉をキッカケに、皆はヒソヒソと話を続けた。
ジーナは学園時代や他の夜会でも、同じ様な事をしていたらしく、弁明する余地すらもらえない。
フィーナを貶めるつもりが、自分の首を絞める事になってしまった。
こうなったのはすべてフィーナのせいだと、身勝手に憤怒したジーナは、恨み嫉みをのせてキッと睨んだ。
「あ」
だが、すぐに絶望感がジーナを襲う。
何故なら、フィーナを睨んだその目に映ったのは、隣にいる冷たいエメラルドの瞳。恋焦がれていたルーフィスの……絶対零度の瞳であった。
私を見て欲しいと願っていた。
彼の瞳を独占したいと、ずっと願っていたのだ。
ずっとずっとずっと……。
今、その願いは……叶った。
ーーだが、それは……ジーナが願う形ではなかった。
誰かが遠くの方で、何かを言っている。
しかし、周りの声など、今のジーナの耳には何も入らない。
ジーナの頭は真っ白で、寒くもないのに奥歯が小刻みに震えていた。もう、あんなに焦がれていたルーフィスさえ見えない。
フィーナを執拗に絡んだ代償は、ジーナの人生を大きく変える事になったのである。




