16 伯爵という重圧
ーーサリー達との女子会から、数ヶ月後。
とある夜会に出席していたフィーナは、小さなため息を漏らしていた。
今まで結婚について保留してくれた母が、最近になってちょこちょこ口にし始めたのだ。
それは、ルーフィスという存在がチラチラと、見え隠れし始めたからかもしれない。
しかし、フィーナにそのつもりはなかったし、ルーフィスとてそれは同じだ。互いに結婚の意思はなく、だからといって他の誰かを求めている訳ではない。
虫除け剤として、二人でいる事が多いだけだ。
だが、そんな事を知らない母は、暢気にルーフィスとの仲や進展を聞きたがっている。あちらの身分が高いから、こちらから打診をしないだけで、身分が同等であったら喜んで進めていただろう。
その内に、ルーフィスとはそうでないと分かれば、フィーナなど無視して、勝手に他家と話を勧めるに違いない。
フィーナも、カーリーの婚約をキッカケに、逃げていた現実と向き合い始めたのである。
* * *
フィーナはセネット伯爵家の長女に産まれた。
年の離れた弟はいたものの、爵位は長子が継ぐがヨシという雰囲気があり、伯爵家を継ぐ予定だった。
しかし、それがガラリと変わったのは、両親が仲の良い伯爵家二家との懇親会。
その懇親会で、娘のフィーナがマックやクリスと、仲良くしている様子を見たからだ。
フィーナが一人娘なら、きっと話はそうはならなかっただろうが、良くも悪くもフィーナには弟がいた。そこで、仲が良い三家は考える。
よく分からない家から婿に貰うより、幼馴染と結婚させたらイイのでは? と。
遠くへ嫁ぎ苦労するくらいなら、気の合う幼馴染にフィーナを嫁がせればイイ。
彼等の両親も、見も知らぬ女より、良く知る身近のフィーナ。
では、どちらをフィーナの相手にするか。
たまたま、テーブルにあったカードを見つけた両家は、フィーナを賭けてカードを引く事にした。
12枚ある内の数の大きな方を引いた方が、フィーナの婚約者にする……と。
結果、マックの父がスペードのKing、クリスの父がハートのQueenを引き、マックに決まった訳である。
ーー後にそんな話を聞いたフィーナ。
両家が揃って、絵柄を引いた事への確率を驚くべきか、大差ない事に驚くべきか……くだらない賭けで、娘の将来を決めるなと怒るべきか、フィーナには分からなかった。
初めはともかく、結局フィーナは、幼馴染のマックに淡い恋心を抱く様になったし、その婚約はあながち間違いではなかった。
しかし、マックが他の女性に恋をして破談となったのだから、結果的には失敗だ。
フィーナが嫁に行き、弟が爵位を継ぐ予定であったのだが、それはマックの心移りによりすべて白紙。
弟が遠方で寮生活という事もあってか、どちらが継ぐかは未だ宙ぶらりん。
大体、嫁ぎ話がなくなったのだから、お前が伯爵になればいい……と言われても、一度綺麗サッパリ失せた気持ちが、すぐに復活する訳がない。
そうとは知らない両親達は、フィーナに次期伯爵の話をし始めるのだから、フィーナはもうため息も出なかった。
親の心子知らずとは言うけれど、子の心親知らずである。
今は傷心中という理由で、結婚の話は濁してくれていたが……こちらも絶対再燃するに決まっている。
もはや恋に蓋をしたフィーナには、何を選んでも重圧しかなかった。
「はぁ」
なのでフィーナは、今日も気の乗らない夜会で、小さなため息を吐いていた。
「憂鬱そうだね? 三日月のキミ」
テラスの近くで壁の花と化していたフィーナに、声が掛かる。
確かに今宵は三日月だ。だが、その月を使ってこんな風に言うのは、彼しかいない。
「今宵はその三日月を、癒やして下さいますか? ルーフィス様」
今夜ばかりは、独身のルーフィスを羨ましく思う。
身分は違えど、立場は同じ。だが、彼は男。しかも、弟には子供がいる。
彼が結婚しなくとも跡継ぎはいるとなれば、結婚を急かされる事もほとんどないだろう。
「キミに笑顔が戻るのであれば、いくらでも」
そう言って、優しく微笑むルーフィス。
女性から"癒やして欲しい"と願われ、その言葉をいやらしい方向へ向けないのが、彼の美点でフィーナが信頼するところだ。
今は"夜"であり"癒やし"と女性が憂鬱そうに言えば、そちらから誘って来たのだと、男なら勝手にそう捉えるかもしれない。
だが、癒やし=身体ではないのだ。
女は心が癒されたいのに、そういう行為でこそ癒されると、身勝手に思い込む男は意外に多い。
だが、今のフィーナは心が廃れていた。
だからこそ、他の男だったら誤解が生じる言葉を、無意識のうちに使っていたのだ。
声を掛けて来たのが、心から信頼しているルーフィスであったのもあり、フィーナはそこまで気が回らなかったのである。
* * *
跡継ぎ問題が再燃している事。
結婚したくないのに、しないといけない事実に憂鬱な事。
うんうんとただ優しく頷き聞いてくれるルーフィスに、フィーナはぶち撒ける様に吐露していた。
理解してもらおうなんて、微塵も思っていない。ただ、誰かに愚痴を聞いて貰いたかっただけ。それが、たまたま居合わせたルーフィスだった。それだけの事。
だけど、フィーナの心は少しだけ晴れた様な気がした。
「長々と申し訳ありませんでした」
話し終わったところで、フィーナは急に頭が冷え、同時に恥ずかしくなった。
私事のくだらない愚痴を、侯爵家の令息に聞かせてしまったのだ。
こんな愚痴はただの我儘だし、しかもそれをグダグダ聞かせるだなんて、面倒くさい女ではないか。
時間が経つにつれ、フィーナはますます冷静になり、居た堪れなくなった。どこかへ行きたい。ルーフィスの前からすぐに消えたいと。
「し、失礼しますね」
恥ずかしさを誤魔化す為、ルーフィスから目を逸らせれば、ちょうど新たな音楽が流れ始めていた。
いつもならそんな気にはならないが、今は無性に恥ずかしさを消したい気分だった。もう誰かを誘って踊ってしまえ。
そう思い立ったフィーナが、独り身の男性を目で探していれば、ふいにグイッと腕を引かれた。
「え?」
振り返れば、ルーフィスであった。
「フィーナ、踊ろう」
フィーナの腕を引く手は、いつになく強く感じる。
いつもの彼なら、こんな強引な誘い方はしない。急に引かれたフィーナは、バランスを崩しフラリとよろめいた。
「すまない。ついキミがどこかに飛んで行きそうで……」
慌てたと、ルーフィスは申し訳なさそうに、よろついたフィーナを支える。
「「きゃあ!」」
「「「まぁ!!」」」
意図した訳ではなかったが、支えられたフィーナの姿は、ルーフィスに凭れる形となり、近くで令嬢達の小さな悲鳴と、妬く声が聞こえた。
角度によれば、二人が抱き合っているかの様にも見えたのだろう。
「……あの!」
慌てて顔を上げ謝ろうとしたフィーナを、今度は優しくリードしてくれる。
ゆったりと踊る皆の輪に入って行けば、令嬢達の嫉妬に燃えた視線が、フィーナの背にブスブスと大量に突き刺さっていた。
視線が痛いとはこの事である。
だが、ふわりと香る柔らかな匂いと、耳に響く心地良い美声に、フィーナの意識はすぐ、目の前にいるルーフィスに惹き寄せられていた。
ギャラリーなんて、微塵も気にならないくらいに……。
「キミは羽化する前の可愛い蛹なんだよ」
「え?」
「空を翔ける美しい羽根さえ、まだ伸ばしていない可憐な蝶」
「……」
「だから、今は辛くとも目一杯足掻きなさい。もがき足掻いて、それでも苦しい時は……私がキミの羽根になってあげるから」
「……っ」
ルーフィスはフィーナの心境を理解した上で、頑張れと優しく背中をトンと押してくれた。
家の問題はデリケートな話だ。
勝手な提案も、無責任な言動も出来ない。
しかし、ルーフィスは決して、自分で考えろとフィーナを突き放したりしなかった。
だが、同時にフィーナを助けてくれた訳じゃない。
これから、フィーナ自身が色々と考えあぐね、それでもう限界だというのであれば、自分を頼れと諭してくれたのだ。
助けの手を差し伸べるのは、ルーフィスなら簡単だろう。
簡単だからこそ、今は助けないのだ。
あえて何もせず見守る……それも、フィーナを大切に思うルーフィスの優しさなのだろう。
「ダメですよ。こういう時はしっかり突き放さないと」
ルーフィスの力強い言葉に、涙が出そうだった。
だが、それをグッと堪え、ステップに集中する。
フィーナがこれから、何かに躓いても高い木から落ちても、ルーフィスはきっと……たっぷり用意してくれたふわふわのクッションで、包んでくれるのかもしれない。
でも同時に、それではダメだと鼓舞する。
甘えるだけの女は、ルーフィスの隣に立つ資格はない。
だけど、ズル賢い人なら頑張るフリだけで、ルーフィスをすぐ頼るに違いないと思っての言葉だった。
まぁ、実際はそんな見え見えの女には、絆されたりしないだろうけど。
「誰でもないキミだからこその言葉だよ?」
傷心のフィーナに、今のルーフィスの言葉や仕草、声や匂い……そのすべてが、傷を癒す薬ではなく甘美な毒。
いつもなら、ヒラリと躱せる言葉でも、傷付いたフィーナにはただただ染み込むだけ。しかも、一度でも染み込んでしまえば、渇いた大地の如く、もっと求めたくなるから怖いところだ。
皆がルーフィスに心酔してしまう恐ろしさを、フィーナはまさに実感していた。
フィーナはルーフィスという、極上の毒に……酔いそうだった。