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303.(合わせ鏡)


   ※


 帰宅すると、大きな男物の靴が玄関にあった。父のではない。自室に向かう前にリビングに顔を出す。

「ただいま」

「おかえり、ミスタ・バースディ」

 そう云って帰宅を迎えたのは叔父だった。母と向かい合ってギョーザを包んでいた。

「どうしたの? おじさん」

 毎年、誕生日にはカードをくれるが、わざわざ訪ねて来てくれたのは嬉しい誤算だった。

「ノブちゃんね、今度結婚するんだって」

 叔父の代わりに、餡を包む手を休めず母が答えた。

「姉さん、おれのセリフを取らないで欲しいな」

 ははっとノブ叔父は笑った。母に負けず、叔父も手際よく丸い皮の縁を折って波を作る。「それに今日の主役はコーちゃんじゃないのさ」

「そうだけど、ついででいいじゃない」

「そりゃコーちゃんがかわいそうだ、なぁ?」

 話を振られて、耕一は、え、とかあ、とか変な声で応えたあと、どうにか相応しい言葉をみつけた。「お、おめでとうございます」

 ありがとう、と叔父は笑った。「コーちゃんも来てくれるかな」

「どこに?」

「披露宴」

「あんなの嫌だとか云ってたのにね」と母。

「それはそれ」と叔父。「結婚式に於いて、予算の許す限り新婦の云うことを聞くべし」

 叔父の言葉に、母はおかしそうに笑う。

 叔父が来ると、母は姉になり、耕一の知らない人になるような、そんな不思議な感じにいつも捕われる。今日もそうだ。

「すっかりお尻に敷かれて」

「好きで敷かれてるんだからいいんだよ」

 すると母は、あはっと噴き出した。叔父も楽しそうに笑う。それから父も帰宅し、夕食となった。食べきれないほどのギョーザが美味しかった。ついつい食べ過ぎたのは耕一だけでなかったようだ。母も父も叔父さえもお腹をおさえ、うんうん唸りながらも、父母は気持ちよく酔っ払い、下戸の叔父はお茶ながらも楽しげに食後の時間をまったり愉しんでいた。

 一応は本日の主役とは云え、いつも通りに食後の片づけは耕一がした。皿を洗って水切りに並べ終えると、父母はそっくり同じ姿でテーブルに突っ伏していた。耕一と目が合うと、叔父は苦笑交じりに肩をすくめて見せた。

「今日はもう帰っちゃう?」

「ん?」そうさなぁ──と、叔父は顎を撫で、続けた。「ゆっくりしていくよ。さすがに少しお腹を休ませないと、口から飛び出しそうだ」父母に目を向け「ご覧の有り様だしね」

 それから、ふわ、と欠伸をした。目をしょぼしょぼさせて眠たげだ。叔父の変則的な生活は聞き知っている。たぶん本業と副業の締め切りが重なったとかそんなのだろう。

「ゆっくりしていってよ」

「ごめんな」

 テーブルに三人目が突っ伏した。どうしようもない大人たちだなぁ。

 とりあえずリビングの明かりを絞って、音を立てぬよう風呂を洗って湯を張って。それから数学の宿題が出ていたことを思い出した。風呂の後でいいか。


   ※


 耕一が自室で宿題を片づけていると、叔父がお盆にケーキと紅茶を載せてやってきた。「お誕生日のケーキだよ」ぽんと自分のお腹を叩いて見せ、「入るかい?」

「別腹でしょ」

 云って、不意に吉田の顔が脳裏を横切った。

「どうかしたかい?」

 何でもない、と首を振って、耕一は叔父と向かい合って座卓に腰を降ろした。

 叔父が用意したと云うそれは、パイとチョコレートをクリームと一緒に包んだロールケーキだった。白磁のカップから立ち昇る紅茶の香りが心地よかった。

「父さんたちは?」

「ダメだね、酔っ払いは」ははっと叔父は笑う。「先に頂いちまおう」

「叔父さんはどうなのさ」

「大丈夫、大丈夫」云いながらケーキにフォークを入れる。「お誕生日、おめでとう」ぱくっとひとくち。「ん、やっぱうまいな」

「いただきます」耕一もぱくっと。柔らかなスポンジの合間でサクサクとパイが鳴った。生クリームとチョコレートの甘味が口いっぱいにとろけ広がった。「おいしいね」

 それから紅茶のつがれたカップを手にして、熱さを確かつつ傾けた。

 口を放し、ふと、赤い液体の揺れる白いカップを見て、気が付いた。

 この色だ。

「どうかしたかい?」叔父が尋ねる。

「うん。これ、夕日を受けた歯の色みたい」

 ふむ、と叔父も自分のカップに目を落とす。「歯って、この歯かい?」

 叔父はイーッと口を横に広げ、歯を見せる。その歯は、吉田のそれより白くはなかった。

「うん、それ」

「そうか。陶器のことは英語でなんと云うか知ってるかい?」

「え? なんて云うの?」

「ボーン・チャイナ。ボーンは骨のボーンだね」

「へぇ」

「だから、歯を連想するのもおかしくないかな。ちなみに、細かく砕いた貝殻を混ぜたものもあるらしいよ。貝殻も貝の骨と云えなくもないかな」

 叔父はカップに口を付け、熱い、と舌を出した。「そいや、生まれるもボーンだったね、スペル違いだけど」

 叔父はそう云うと、ふんふんとハミングし始めた。ゆったりとした曲調だったが、どうにも叔父には音楽的才能が備わっていないとしか思えない。

「何の曲?」

「野生のエルザ」

 気持ち良さげに続きをハミング、話題を変えたがよさそうだ。

「あのさ、ノブ叔父さんってぼくと同じ中学だよね」

「そうだよ。姉さんも、義兄さんもだね」

「幽霊話って、あった?」

「音楽室のピアノとか理科準備室かな? どこにでもあるよなぁ」

「そうじゃなくて。A棟の階段の踊り場に出るんだってさ」

「へぇ」

「そこの鏡に映るんだって」

「うん。それで見たのかい?」

「見てないけど。同じクラスの子が見たって」

「そりゃ羨ましい話だ」

「叔父さんも見たいの?」

「そりゃ見られるなら見てみたいさ。それにしても鏡ねぇ」

「中に映るって話しなんだけれども」

 へぇ、と叔父は感心したような声を出した。「面白いね、それ。行き詰まっているんじゃないかな」

「え?」

「つまりね、踊り場の鏡ってことは近くに鏡は他にないよね」

「うん」

「踊り場のどこにあるのかな、鏡は」

「どこって、」

「階段を昇って右手の方? それとも左? 正面ってことはないかな」

「うん。上がって右手側だよ」

「ふうむ」叔父はアゴに手を宛て、続けた。「左側には何かあるかい?」

「窓かな」

「窓?」

「あ、違った」耕一は訂正する。窓は正面だ。「何もないや」

「壁か」

 うん、と耕一は頷いた。

「じゃ、簡単だ」叔父さんはにっこりと微笑んだ。「合わせ鏡にしちまおう」

「なにが?」

「それで通り道になるはずだ」

「幽霊の?」

「たぶんね。合わせ鏡にしておけば、」叔父は手を右から左へと横に動かし「こう、幽霊は移動していく」

「それっていいの?」

「いいんじゃない?」

「そうなの?」

「やってみればいいさ」悪そうな笑みを口元に浮かべる。「運が良ければ通り過ぎる幽霊を見られるぞ」

「その鏡って、どうやって壁に貼り付けるの?」

「うーん。鏡は重いからね。ボルトアンカーをぶっ刺して金具で固定すればいいかなぁ。それともエポキシ系の接着剤と両面テープでもいいかな」

「あんなにおっきな鏡はないよ」

「大きい?」

「全身が映るくらい」

「姿見か。まぁいいんじゃないかな」叔父は再びにやっと笑って見せた。「鏡はどこかのトイレからかっぱらってくればいいよ。大きさよりも、位置合わせの方が大事だろうな」

「ちょっと待ってよ」

「ん?」

「なんかぼくがやるみたいな話みたいだけど?」

「そりゃそうだろう」叔父は破顔する。「おれがやったら侵入に加えて、器物破損だの諸々でしょっぴかれらぁ」

「そうだけどさ」

「だから、コーちゃん、お前がやらなきゃ誰がやる、だよ」

「えー」

「道具なら貸してあげるぞ。あ、姉さんには内緒にしておけよ」

 叔父は、へたくそなウインクをしてみせた。


   ※


「ごめん」息急き切って吉田がやってきた。「妹が、」

「落ち着けよ」

 はぁはぁと肩で息をしながら、口を開こうとする吉田に耕一は云った。「息整えてさ」

 吉田は頷くと胸に手を宛て、その奥で激しく打ち付けているであろう胸の鼓動を静めようとする。満月には少し足りない月明かりを受けた白いフレームのメガネが上下していた。

「落ち着いたら行くぞ」

 耕一は、道具を詰めたスポーツバッグの持ち手にヒモを括りつける。

 叔父の話をしたら、吉田は一も二もなく、やろうと云った。考えを改めさせようとしたけれども、吉田の気持ちを変えるには至らなかった。そうしてなし崩し的に付き合うことになり、更には叔父も大変乗り気で道具一式を貸してくれ、親切丁寧に使い方まで教えてくれた。

 今夜の吉田は、黄色いブラウスにデニムの七分丈クロップドパンツ、グレーのパーカーを羽織っていた。真っ赤なキャンバス地のスニーカーに白い脛を、真っすぐとそれでいて無造作に突っ込んだようで、それが鮮やかなコントラストをなしている。黒いスニーカーソックスが、くるりと足首を縁取っているのが見えた。

 そのくりっと突き出たくるぶしが、屈んでバッグにヒモを縛っていた耕一の目に否応無しに入る。

 作業をしながら、どうしても視線が吉田の足首に流れてしまい、少し困った。

 ふう、と吉田が息をついた。

「落ち着いたか」

 立ち上がりながら尋ねると、吉田は頷いた。

 耕一は今し方ヒモを括りつけたバッグをフェンス越しに学校の敷地へ向かって投げる。ぶつからぬよう、ヒモを握った手に力を込める。それから、ゆっくりとヒモを緩めて静かに下ろした。

「幾つ?」

 耕一はフェンスに足をかけながら尋ねた。

「ん? 妹? 二歳」

「ずいぶん年、離れてるんだな」

「そうだね」吉田もまた、フェンスに足をかける。「キミは一人っ子だったかな」

「そうだよ」

 よっと軽くかけ声一つ、ふたりは並んでフェンスを乗り越えた。

「まだ小さいからね。たまにだけど困るんだよ」

 しかし、そう云う吉田の声音は楽しそうだった。

「名前は?」

「ともえ」

「ふうん」

 先に乗り越えていたスポーツバッグのヒモを手繰る。それから懐中電灯を取り出しをスイッチをひねった。叔父から借りた長さ三十センチほどのマグライトは、どっしりと重たく、そして眩しかった。

 吉田はすたすたと教室へ近づくと、手を伸ばして窓ガラスをがらりと開けた。今日の下校前に開けておいたと云う。

「開いてなかったらどうしたんだよなぁ」

 耕一が云うと、吉田は振り返って云った。「その時はキミがどうにかしてくれるだろう?」

「買いかぶりすぎだ」

「信じているよ」

 にこっと笑った吉田は、体育倉庫から無断で持ち出していたビールケースをふたつ重ねて窓の下に置くと、踏み台にして教室の中に入った。それから脱いだ靴を持った手をにゅっと窓の外に出し、底を打ち鳴らす。

「上履きはいいよね」

「いいんでね?」

 耕一もビールケースの上に立って、教室の中へ入った。

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