メーレンの療養
「なぜヤツを捕獲しなかった」
メーレンがノーチラス本部の医務室で目覚めた瞬間に聞いたセリフは、労いや激励でもなく、ラットマンを処分したことに対する詰問であった。
「……サシモフ殿」
目覚めたばかりのメーレンを詰問しているのは、ノーチラス本部キャリア対策課の課長代理『サシモフ=ブッシュタルト』だ。メーレンの直属の上司にあたる。
ノーチラスのキャリア対策課は現状、課長が不在になっている。つまりノーチラスのキャリア対策課において、事実上の最高責任者にあたる人物だ。
当然、一等捜査官が負傷した程度では見舞いになどこない。
「ラットマンのキャリアは人肉をトリガーに対象の記憶までトレースできたそうじゃないか。これが捜査機関であるノーチラスにどれだけ有益であるか、分からぬ君ではあるまい。」
メーレンが所属している国家直轄警備隊ノーチラスの任務は大きく分けて二つ。治安の維持とキャリアの確保だ。特に有益なキャリアを持つものは、国の資源であるという考えのもと、目先の治安維持より優先されることも少なくない。
メーレンは先の任務で失った肩のことを思い出した。
右手を左側にやると、確かにない。
「君には失望したよ、メーレン。優秀だときいていたが、まさかたった一人のキャリアに重傷を負わされるとはな。一方で同行させていたCランクのキャリアは無傷だと。」
「申し訳、ございません。」
「ラットマンのキャリアは少なく見積もってもAランクだ。なぜヤツのキャリアが確認できる前に戦闘を開始した?」
「……あの時点で動かねば人的被害が増える可能性がありました。」
「常に天秤にかけろ。カトレア学院には貴族の令嬢も多いが、人命救助よりも重く優先される事柄はある。Aランクのキャリアは希少だ。ヤツをコントロールできれば、長期的にはより多くの人間を救うことにも繋がっていた。」
サシモフは立ち上がる
「君は焦り、失敗した。加えて、人命もすでに手遅れだったそうだな。被害にあった女学生の親元の貴族からも苦情が来ている。私はその対応に向かわねばならない。」
「申し訳ございません。」
はぁと大きなため息をついたサシモフはメーレンの様子を見てまだ明確な回答を得られないと判断した。
「貴様の処遇は後に決めるが、捜査官の人手は足りていない。その程度の怪我で退役などさせるつもりはない。回復の目処が立てば、早急に現場へ復帰しろ」
以上だ。と言い残し、足早にサシモフは病室を後にした。
「……生き残ってしまったか」
一人残された病室で、メーレンは記憶を辿る。
ラットマンはアトレスが始末した。一瞬の出来事。気づいた時には四肢をもがれたラットマンが地面に転がっていた。
ラットマンも通常の精神状態ではなかったが、それでも、Aランク相当のキャリアを相手にして瞬殺。一等捜査官である私の目を持ってしても、何が起こったのか分からなかった。
「アトレス。子どもの姿をしているが、アイツは危険だ。しかし…」
ラットマンに連れ去られ、死を覚悟した。それも凄惨な死を。だが、私は生きている。首輪の契約によってだが、形はどうあれ、アトレスに助けられた。
そのうえ、私が潜入した後も、二人の女生徒を死なせてしまった。私だけ生き残ってしまったのだ。
アトレスがいかに危険な存在とはいえ、今回の件において私は役立たずで、結果的に解決したのはアトレスだ。私はラットマンの能力も解明できず、殺人を止められず、ただ囮としての機能しかなかった。
これは、屈辱だ。
『失望した』というサシモフの言い分もよく分かる。
そう内省していると、一人の看護師が病室に入ってきた。
「メーレンさん!目覚められたんですね!よかった!しっかりお薬きいたみたいで!」
「ああ、大丈夫です。しかし、腕はやはりどうしようもありませんか?」
「そのことなんですけど、ドクターが義手の手配をするそうですよ。一等以上の捜査官であれば、個人の負担なしで軍用義手の取り付け可能だそうです」
「それはよかった。軍用ということは、戦闘も可能なんでしょうか。」
「詳しいことはドクターに。でも、幸いに肩の重要な神経系が損傷していなかったので、大まかには動かせるそうです。」
まだ戦える。ひとまず、退職せずに済みそうだ。
メーレンは少し安心した。
「ドクターを呼んできますね」
メーレンを残し看護師はパタパタと走って部屋を後にする。
軍用義手。確か、様々なギミックを追加することができると聞いたことがある。先の対戦では戦闘用のキャリアに加えて、肉体に装着する兵器によって数多くの戦果を上げてきたと。
左腕の全てを失ってしまったが、これは行幸だったかもしれない。今回の事件から、一定ランク以上のキャリア同士の戦いに参加するためには、生身のままでは力不足であると痛感していた。
義手であればあまり目立たず今回のような潜入捜査も可能だ。学院のような場所で、電磁鞭を携帯するのは目立ちすぎる。
「おお、メーレンさん。おもったより顔色が良いですな。」
ドクターが病室に入ってきた。
「流石は一等捜査官であられる。左腕を強引に奪われたにもかかわらず、精神的には落ち着いていらっしゃるようですね。」
「捜査官になった時から身体の欠損などは覚悟しておりましたから。」
ドクターは、なるほど、と優しい笑みを浮かべる。
「義手についてですが、装着のテストと術後の療養で1週間ほどいただきます。組み込む機構にもよりますが、一等捜査官殿であれば電磁鞭と同じオブジェクトも選ぶことが許可されています。」
【電磁腕】:鞭と同じ効果を持ったオブジェクト、インパクトの強さに合わせて電流を流すことができる。放流まで1回分はストック可能。
「ありがとうございます。早速、とりかかってください。」
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「ベス様、こちらを」
監獄メルギドの監獄長「ベス」に部下のハイデンが、ゴトリと袋の中から首輪を取り出した。
先日、アトレスに装着された【隷属の首輪】によく似ている。
しかし、作りが荒い。
「ホホッ、私の作成した隷属の首輪を模倣した不届き者がいるようですね。」
監獄メルギドでキャリアに配られる【隷属の首輪】はキャリアを無効化する毒針の注射によって、キャリアをいつでも殺せるように作られている。設定された持ち主の声にのみ反応し、命令を遵守させることが可能だ。これによりキャリアを持たない人間でも彼らを使役し、国家に役立つように使うことができるようになった。
監獄メルギドのベスはこれを制作した功績により監獄長となった。製作方法については極秘。国家管理のもと、複数の首輪が制作されている。
首輪が一般に流通すると、国家に反逆するための凶悪な軍事力に繋がる恐れがある。キャリアを複数使役することが可能になるからだ。強力な戦闘用キャリアを持つものは個人で街一つ壊滅させることができる。そのような強力なキャリアが複数集まれば、国家転覆に繋がってしまう危険性も十二分にある。
隷属の首輪が一般に流れてしまうなど、国家レベルの一大事である。
「しかし、まだ精度は低く、完璧には模倣できていないようです。まず、簡単に壊れてしまうため一定以上の強さを持つキャリアを縛ることはできません。ランクにするとそうですね、せいぜいF~Eクラス程度のキャリアにしか効果がないでしょう。」
キャリアは危険度によってランク付けされている。アトレスのような単純な肉体強化であればDからC程度となるが、それでも一等捜査官が複数いても直接戦闘では仕留めきれない強さ。先のラットマンに至っては、他者に変身できる能力とその記憶や能力までトレースできる強さから、文句なしのAランクである。
「F~E程度のキャリアは、せいぜい『手から水が出る』『物を少し軽くする』などの微弱な能力しか持ちません。しかし、今はこの程度のキャリアであっても、首輪の精度が上がり、強いキャリアを使役することが出来るのであれば全く話が変わってきます。」
世の中にはモノ好きもおり、こうした国家が関与しないような弱いキャリアを集めて奴隷にしているものも存在するという。今回は、そのような奴隷業者がキャリアを管理するために模倣の首輪を使用していることが発覚した。
「ホホッ。早急に不届き者を探し出す必要がありそうですねぇ。」
先のラットマン戦で大きく負傷したメーレン一等捜査官だったが、彼女の左腕には軍用義手が装着される予定と聞いている。
「ホホッ。メーレン様は前回のラットマン戦でアトレス君と協力して撃退した実績があります。首輪の恐ろしさを十分に理解されているはずでしょう。彼女にこれの対処を依頼したい。」
「承知しました。ではメーレン一等捜査官が療養されている医務室へ通達に参ります。それと、調査にあたったサカミエ三等捜査官によると、用心棒は『グレッグ』が雇われているようです。」
グレッグ=アストロクス、敵国の傭兵として徴用されていた元軍人。キャリアを持っていないが素の戦闘力の高さから数々の功績を上げ、先の大戦ではカドキワ国に大きな戦禍を残した。停戦後、傭兵規定により戦時下の活動については不問とされ、現在は用心棒としていくつかの商家に雇われていると聞く。
「なるほど。キャリアを持たない人間。ましてや痛手を負っている一等捜査官の手には余る、ということでしょうかね。」
「はい、複数の捜査官で動けば目立ちます。メーレン一等捜査官といえども単体では戦闘になった場合に対処できない恐れがあります。が、先のラットマン戦で無傷で期間した【アトレス=バルドラ】であれば、女と子供、敵も油断するでしょう。戦闘になった場合にも対処ができ、首謀者をとらえて流通経路を探れます。」
メーレンは先の戦闘でラットマン相手に手も足も出なかったが、決して戦闘力が低いわけではない。それだけ相手のキャリアが想像以上に脅威だったということだ。今回の相手は経験豊富な用心棒だが、あくまでもキャリアを持たない人間の話。いざとなればアトレスを盾にできる。
病み上がりの任務としてはちょうどいいだろう。
「ホホッ!良いでしょう!彼らに今回の件は任せます。しかし、万が一失敗して取り逃がすことがあれば。」
普段はニタニタとした不気味な笑顔を絶やさないベスだが、顔が大きくゆがむ。
その表情から見えるのは『憤怒』だ。
「失敗することになればヤツらも終わりだ。キャリアもろとも極上の苦痛を与えて殺してやる。必ず見つけ出すように伝えろ。」
ベスから普段の温和な語り口が消えていた。
カドキワ国最大の監獄であるメルギド、その監獄長であるベスは、決して甘い人物などではない。
自身の作成した首輪を模倣し、国家転覆を企むような不届き者。万死に値する。
これを取り逃すのであれば、役立たずのヤツらも同罪だ。
「楽しみですねぇ。犯罪者とタップリといたぶるのは。」
通達を聞いた部下のハイデンは、自身に向けられた殺気ではないと理解しながらも、汗を拭いてその場を後にした。
【サシモフ=ブッシュタルト】
キャリア:なし
37歳。ノーチラス本部キャリア対策課の課長代理。電磁鞭一本でBランクの戦闘向けキャリアを撃退し、無力化のうえで捕獲できる超人。任務に忠実で、仕事には私情を挟まない完璧主義。アトレスの捕獲時にも参加していたが、アトレスがほとんど無抵抗だったため直接の戦闘はしていない。
【ベス=リグリット】
キャリア:なし
52歳。監獄メルギドの監獄長。隷属の首輪を制作し捕獲したキャリアの管理、国家活用に大きく貢献した偉人。国家直属の研究職として擁立されるという話もあったが本人たっての希望があり監獄長に就任した。ランクD以下のキャリアは好きに実験しても良いという権限を持っている。偉人ではあるがあくまでも監獄長であるため、表面上、役職としてはメーレンより下。