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ゆめの時間  作者: 秋山章子
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トニーが言えなかった願い

 ゆめたち四人はあいかわらず西海岸に住んでいた。

 静かで落ち着いた幸せな毎日を過ごしている。ゆめは家族のために家事に勤しみ、博樹は世界的な画家として描いた絵は、どの美術館も展示したがった。ジィムと美貴は個展や貸しだす絵画の調整に追われる。どの美術館もゆめの人物画を出してほしいと願うのだが、博樹は首を縦に振らなかった。ゆめを危険な目にあわせたくないという思いが強く、もし、ゆめを失うようなことになったら自分も生きていたくないと考えてしまうほど、彼女を愛していた。

 ジュニアとエリザベスが結婚してから五年が経っていた。

 ジェニーからゆめに電話があり、トニーの体調があまりよくないということなので、四人揃ってすぐにニューヨークへ行く。

 ゆめがジェニーに聞くと「このごろ疲れやすくてね。休んでちょうだいと言っても聞かなくて。仕事人間なのも、こんなときは困るわね」と淋しく笑っている。

「いまお話ししてもいいの」とゆめが尋ねると「もちろん、そのために来てもらったのよ」とジェニーは優しくゆめの手をとる。ゆめがトニーの部屋へ一人で入っていくと、眠っていたトニーがすぐに目を覚まして、ゆめに気づく。

 ドアの外ではジェニーが「いまのあいだに少し休んでおきましょう」と皆を促して階下の居間に移動する。一番うしろにいる博樹の横に来て「忙しいのにごめんなさい。ゆめに会いたがっているの」と囁く。博樹は頷いて「トニーが寝つくなんてはじめてだよね。どこが悪いの」と尋ねる。

「それがね、スミス先生は疲れが出てるだけだから心配はいらないと言われるの」と答える。一番前にいるジュニアが「母さんは、ゆめと一緒にいなくてもいいの」と言うのに「ええ、いいのよ」と返事をしながら二人の孫のそばに行く。トニーの両親の名前を貰って、ウィル四才とエミリー二才である。

 部屋のなかでは、ゆめがベッドのかたわらの椅子に座って、トニーと話していた。

「ゆめ、会いたかったよ。よく来てくれたね」

「私も会いたかったわ」

 彼は手を差し伸ばして、ゆめの手を探す。ゆめは両手でトニーの手を包みこんで顔を見つめる。

「僕はずっと章子と結婚しなかったことを後悔していたんだ。ゆめ、君を連れて僕たちのことを誰も知らないところで、暮らそうかと何度も考えたんだよ。でも、できなかった。僕は何千人もの人たちの生活に対して責任があるからね」

「ええ、トニーの判断は正しかったのよ。トニーは私の憧れで尊敬する人なの」

「ゆめにそう言ってもらうとうれしいよ。はじめてジュニアを抱いたときに自分の立場を受け入れられてね。僕はゆめとジュニアの父親で、妻のジェニーを愛している。ゆめはヒロのことをどう思っているの」と聞きたがった。

「ヒロはね、私の最愛の人なの。私はヒロのいるこの世界に生まれてきて幸せよ。私の時間の流れが人と違うことに悩んでいたけれど、いまはよかったと思えるの。私が年寄りだったら、ヒロは私に気がつかなかったでしょうからね」と笑顔を見せる。

 トニーもうれしそうにしている。

「ねえ、トニー。トニーはどうしてヒロを養子にしようと思ったの」といままでの疑問を聞いてみた。

「ヒロは絵を描くこと以外は無欲だから。それまで僕が会った人たちとは違っていた。それに彼には人を惹きつける魅力がある。僕もジィムも、その魅力に取り憑かれたんだよ」と優しく笑う。

「私も取り憑かれたのね」とゆめも笑う。

「僕はヒロには僕の小鳥には手を出すなと言っておいたんだけれど、小鳥は自ら彼の手にとまったんだね。僕がうっかり鳥籠の扉を閉め忘れたのがはじまりなんだよ」

「トニーは小鳥が大空を羽ばたくのを見たかったのではないのかしら」

「そうだね。ゆめ、君に会えて幸せだよ。愛している」

「私も愛しているわ」

 トニーは笑顔でゆめを見つめて、ゆめの手を優しく撫でる。しばらくすると眠くなったのか、そのままうとうととしはじめる。ゆめはトニーの頬にキスをして「トニー、おやすみなさい」と言って部屋を出て、居間に行くとジェニーがうなずいて、入れ替わりにトニーの部屋へ行く。

「ゆめ、父さんと話せたの」とジュニアが聞いてくる。

「ええ」とうなずくと、「よかったわね」と美貴が優しく言ってくれる。

 ゆめはソファに座っている博樹の横に腰掛けて、彼が肩を抱いてくれると、彼の胸に包まれて気持ちよく話した。

「トニーは疲れているだけで大丈夫そうよ。私、トニーが体調を崩すなんてはじめてだわ」

「僕も長い付きあいだけど、寝こむなんてはじめてだよ」と博樹が不思議そうに言う。

「トニーも年をとったということだよ」とジィムも少し心配がなくなったことを喜んでいる。

「父さんはゆめに帰ってきてほしかったんだよ」とジュニアが笑いながら言うので「私はトニーの具合がよくなるまでいるわよ。ヒロ、いいでしょう」と博樹に聞く。

「もちろん、そのために来たのだから。僕は仕事部屋で絵を描けるから心配もないし。ジィムと美貴も大丈夫だよね」と二人に尋ねる。

「なんの問題もないよ」とジィムが答えて、美貴もうなずく。

 トニーの回復は早く、一週間後には起きて動きまわっていた。

 そして夕食後に「今月いっぱいで、僕は全ての企業から引退しようと思うんだ。ジュニア、後はよろしく頼むよ」と笑って言うと、「父さん、大丈夫だよ。ゆっくり休んでください。僕は精一杯頑張ります」と決意を述べる。

「ありがとう。しかし僕は休んでなんかいられないよ。今度はゴルフ場の経営をしようと思うんだ」

 それを聞いた一同は唖然としてトニーを見つめる。

「利用していない土地がいくつかあるから、整備して、半年後ぐらいには開業するつもりなんだ」と生きいきと話している。

 ジュニアが心配顔で聞く。

「父さん、体調はいいのですか」

「もちろん問題ないよ。ジェニー、そんな顔をしないで。今度のことで僕も年をとったと思ったよ。だから無理はしないよ。君に心配かけたね。いつも君には感謝している。ありがとう」とジェニーを引き寄せて口づける。

「トニー、あなたが元気なのが一番うれしいわ。お手伝いがいるときは言ってね」と妻は元秘書のときを思いだしている。

「それからヒロ、君に頼みがあるんだ」と博樹の顔を見る。

 博樹はなにかなとトニーを見かえす。

「四人で帰ってきてほしいんだ。いまも言ったとおり、僕も体力が年々弱くなっているから毎日皆の顔を見ていたいんだよ」

 博樹は三人の顔を見まわして「僕は帰ってくることに異論はないよ」と言うのを聞いて、ゆめはうれしそうに「ヒロ、ありがとう」と答える。ジィムと美貴も「いいに決まっているよ」と二人で目を見つめてあって答える。

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