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ゆめの時間  作者: 秋山章子
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博樹の抱える事情

 翌日の昼過ぎに博樹は章子の家に電話をした。

「はい、秋山です」と日本語で返事があった。

「山本ですが、章子ちゃんですか」

「いえ、里子です。ちょっとお待ちください」

 本当によく似ていると博樹は顔を綻ばす。

「はい、章子です。お待たせしました」

「山本です。元気そうでよかった」

「ご心配をおかけしました。わざわざお電話をいただいて、ありがとうございます」

「あの、もう一度お伺いしてもいいですか」

「はい。いつでも山本さんの都合のよい日にどうぞ」

「えっ? あの……学校があるのでは……」

「学校? あの私、家にいるので。洋裁の仕事をしているんです。子ども服を縫って、お店に置いてもらっているんです」

「それでは明日、お伺いしたいのですが、いいですか?」

「はい。お待ちしています。朝九時過ぎならいつでも」

「たぶん十時ごろになると思います。それでは、また明日」

 章子の「さよなら」という言葉を聞いて、電話を切った。

 博樹は頭のなかで普通高校ではなく、服飾関係の学校に行っているのかなと考え、授業が夜にあるのかなと思った。

 美貴とジィムが今日一日暇なので、せっかく京都で個展をしているのだから京都見物に行こうと言いだして、三人は出かけることにした。

 古都の風景と食事を楽しんで、夜はトニーが行くようにと言っていた料亭に行った。見た目も鮮やかな料理と舞妓の踊りと芸妓の三味線と唄ははじめての経験だった。女将が挨拶に来て、トニーに贔屓にしてもらっていることや博樹たちにこれからも京都に来たときはお越しくださいと言いながら、お酒をすすめる。

 美貴とジィムは上機嫌である。博樹ははじめの一杯で、あとは料理を少しずつ食べている。女将が気を遣ってすすめるが、

「ヒロはあまり飲めないから」

 と美貴が代わりに断ってくれる。ジィムが博樹のぶんもおいしそうに飲んでいる。

 支払いはまえもってトニーが料亭の銀行へ振りこんであったので、三人は安心して食事を楽しめた。

 博樹は自分がどれだけ飲めるのかわからなかった。いままで、はじめの乾杯の一杯しか飲まない。食事で腹がくちるほど食べたこともなかった。

 博樹の実家は町の病院で、それも内科と外科がある裕福な家庭だった。しかし絵ばかり描いている博樹は父と衝突して勘当されてしまった。病院は兄夫婦が継いでいる。優秀な兄に比べて劣るといっても、ふつう以上に勉強もスポーツもできたし、芸術的なことは抜きんでていた。母はこの息子を愛し、かげながら援助を惜しまない。芸大も無事に卒業できたのは母がいたからだし、一部屋のアパートの家賃や生活費も仕送りしてもらった。しかし、生活費を切り詰めて絵の具代にした。描く時間が惜しくてアルバイトをしなかったので、閉店間際の市場に行くとおにぎりや天ぷらなどの惣菜が安く買えた。本当にお金がないときは食パンの耳の袋詰めを買った。

 そんな努力が実り、入賞してトニーと知りあったことが、人生の契機になった。

 そして入賞した絵のまえで理絵と出会った。

 彼女ははじめから博樹に好意的で積極的だった。スタイルのよいショートヘアの美人だった。女性に不慣れな博樹は困惑しながらもうれしかった。アメリカには一人で行くつもりだったが、押しかけ彼女から女房になって、挙句のはてに揉めにもめて、いまにいたっている。はじめての女性で懲りて、それからは自分から近づくこともなく、近づかれると、いつのまにかいなくなるのが常だった。

 いま、理絵はニューヨークのトニーが所有するマンションの最上階に、息子の直樹と暮らしている。

 理絵は地方の郵便局長の長女として生まれ、幼少のころから頭がよく、かわいいと評判だった。東京の大学に進み、そのまま大手企業に就職した。会社でも大学時代と同じくモテモテの日々だった。彼女はだれに対しても愛想よく人気者だったが、決して安売りなどしない。

 子ども時代から華やかな生活に憧れつづけて、やっと見つけたのが博樹だった。東京の病院の息子で、長身で顔立ちも品よく、男らしかった。

 時間があると博樹のアパートに通い、食事、掃除、洗濯と身のまわりの世話をした。

 博樹はトニーに誘われているので、決して理絵に友達以上の付きあいかたはしなかった。彼は大学を卒業すると、理絵にいままでの厚意に感謝の言葉とアメリカへ旅立つことを打ち明けた。理絵はなんの疑いもなく、自分も一緒に行くと思いこんだ。しかし博樹が一人で行くことがわかると、「一人では生きていけない。博樹を失ったら死ぬしかない」と大泣きに泣いて博樹を困らせた。

 しかたなく、理絵をともなってアメリカへ旅立った。

 博樹は結婚したことを後悔しつづけた。理絵のことをよく理解していなかったし、その人となりを知らずに夫婦になった。自分とは生きて行くうえでの考えかたがちがいすぎて、一緒には暮らせなかった。

 トニーに早くけりをつけたほうがよいと言われていた。時間が経つと、話が拗れやすいと諭されるのだが、言いだせなかった。

 本当は彼も理絵と別れたいと思っているが、彼女が自分に尽くしてくれた事柄を考えたら、無碍に別れることもできなかった。

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