章子という少女
玄関の引き戸の横に英語塾の看板があった。ベルを押すと、すぐに返事があり、章子が引き戸を開けて招き入れた。
古い日本家屋だが、なかは靴を脱ぐこと以外は西洋だった。章子の母が挨拶をする。家庭内での会話は英語だった。三人は内心「おやっ……」と思ったが、顔には出さない。四十代ぐらいの母親を思い描いていたのだが、六十代以上に見える女性だった。
お昼になると食事をすすめる。ホットプレートでお好み焼きを焼きながら食べる。日本の関西の昼食もしくは夕食によくある風景である。二人の娘が「ママ」と甘える姿がかわいかった。博樹も終始笑顔だった。
「お嬢さんを描くのを許していただいてありがとうございます。感謝しています」
「いいえ、こちらこそ。こんな機会は滅多にあるもんじゃないので、喜んでいるんですよ。それとまえもってお話しておきますが、山本さんのこと、調べさせていただきました」
「あっあ……かまわないですよ」
「妹がアメリカにいるので。いま売り出し中の人気の画家さんで、貴方のうしろにはトニー・ブライスがいることも有名な話だそうですね」
「トニーを知っているのですか?」
「アメリカ人でトニー・ブライスを知らない人はいませんよ」
それもそうだというように、弘樹はうなずいた。
そのとき「章子ちゃん、大丈夫?」と里子が顔を覗きこんでいた。
母親がすぐに額に手を当て、左手首を握る。
「章子ちゃん、しばらく横になっていなさい」
と言うと、軽々と抱きあげてソファーに寝かせる。
美貴が聞いてくる。
「調子が悪いようですが、病院に行かれますか?」
章子の急変に三人はびっくりしていた。
「ええ……大丈夫です。しばらく休んでいたら治りますから」
母親の返事に「よく具合悪くなるのですか」とジィムも聞いてくる。
「疲れるとよくないようですね。病院に行ってもわからなくて……」と母が心配顔になる。
博樹は今日の仕事はやめて、片づけてから、章子がよくなるまで母親のナンシーと里子と五人で色々と世間話をした。その時間が皆を打ち解けさせた。
よくなった章子が申しわけなさそうにしているのを気遣って、
「無理させてごめんなさい。また来てもいいですか?」
と帰り際に博樹が聞いた。
「ええ、お電話してくださったらいつでも……」
「ありがとう。またお伺いします」
一礼して博樹たち三人は帰っていった。
博樹は夜、ホテルからトニーへ国際電話をした。
「……というわけなんだ。それでスミス先生が診てくれないかな」
「ふう〜ん。ヒロが僕に頼みごとをするなんてめずらしいね。いいよ、僕から電話しておくよ。それでヒロはその子のこと、どう思っているの?」
「えっ……どう思っていると聞かれても、とてもきれいで、いい子だよ。僕が描きたいとはじめて思った人なんだ」
「君は仕事以外でも女性と仲よくするべきだと忠告しておくよ。あっあ……それからプライベートジェットを神戸にまわしておくよ。気をつけて帰ってくるんだよ」
まるで父親のような気遣いをする。
「ありがとう」
博樹は全面的にトニーを信頼している。彼のおかげで、いまの自分があることを承知していた。