できもしない約束をした結果
「ジョゼット・アングレッタ、お前との婚約を破棄する!!」
――どうも。恐らく私のこのどうしようもない祈りをうっかり聞き届けてしまったどこかの誰かさん。冤罪にて婚約破棄を突き付けられた他称悪役令嬢です。
婚約破棄されてからの一連の流れは何かもうテンプレすぎて詳細いる? という感じですが大まかに説明させていただきますね。
婚約者であるジルベルト第一王子は貴族たちの通う学園にて本来ならば関わる事のなかった低位貴族のアイリーナ男爵令嬢と恋に落ちました。このアイリーナさん、一体何をしにこの学園に来たのですか? と問いただしたくなるような女性でして……勉学に励むでもなく身分が上の貴族令息たちに媚びを売るのに余念のない方でありました。
学園も一つの社交の場、と考えれば確かに人脈を……というのもわからなくはないのですが、男性に媚びを売り女性とはロクに会話もしないというどちらかといえば敵を作りにきました、と言われた方が納得できる始末。
他にも彼女の毒牙にかかったらしき子息の方々がいらっしゃるようですが、そんな彼らにわたくしの悪評をばら撒いて更には婚約者であったジルベルト様にも無い事無い事吹聴していったのです。
本来ならばどちらか一方の言い分だけを聞いてそちらだけを信じるなんてせずに両者から話を聞き、公平に判断が下せる第三者などを介入させるなどしてどちらの言い分が正しいのかなどを精査すると思うのですが、すっかりアイリーナさんに骨抜きにされてメロンメロンになってしまわれた王子はそんな事すらしませんでした。
わたくしが何を言っても聞く耳持たず。これほど簡単に篭絡されて言いなりになるとは、将来国を背負って立つはずのこの方は、どうやらお人形ごっこが得意のようです。あっさり傀儡になって自分がお人形になるプレイだなんて、一体どういうおつもりかとは思いますが。
そうしてわたくし完全無実なのにでっち上げで捏造された犯罪の犯人であると言われ、あれよあれよと言う間になんと! 婚約破棄のみならず王都から追放されてしまったのです!!
仮にわたくしが本当に悪い事をしていたとしても、こんな判決を下した時点で王家の評判下がると思うのですが……恋に狂ったお人形さんには人間社会のあれこれは難しかった模様。
学園の卒業パーティーで起きた出来事でしたが、恐らくアイリーナさんは事前にお人形さんとあれこれどういう流れに持ち込むかを練っていたのでしょう。
わたくしが家に戻ってお父様やお母様とお話ししてしまえば、一方的な婚約破棄、そして冤罪などといったものは当然抗議される事になりますし……それを回避するためにこちらが手も足も出せないうちに、と考えるのもわからなくもないのです。
どちらかといえば、自分で自分の首を絞めてるだけだと思うのですが。
邪魔者を勢いで断罪して一気に処分して後から文句を言おうにももうどうしようもない状況にしてしまえばごり押せるとでも思ったのでしょう。流石、成績が底辺を這いずっていた方々の考える事は違いますね。これが上手くいくと思っている事にびっくりです。
いえ……もしかしたら、上手くいくはずだったかと思います。
えぇ、わたくしがただのか弱い令嬢であったのであれば。
追放する! なんて宣言されてわたくしは馬鹿王子の取り巻きにしてアイリーナさんにまんまと篭絡されたお馬鹿さんたちの手によって、あらかじめ用意されていた馬車に強引に乗せられそのまま王都を出てその先にある魔の森と呼ばれる森の奥深くにある館へと連れられてその館の中に突き飛ばされて閉じ込められてしまいました。
ちなみにこの館、呪いの館として王都の人々からは恐れられ、近寄る事すらされていません。
好奇心旺盛なお子様、それも将来は冒険者になる! とか言い出しそうな子の絶好の肝試しスポットかとは思いますが、何せ足を踏み入れた者は間違いなく死ぬのです。いえ、生きて出る方法もないわけではないのですが、明確にこれをすれば助かる、という方法というわけでもないので単なる延命処置といったところでしょうか。
この魔の森、別に魔物が出るわけではないのですが、いかんせん雰囲気がおどろおどろしく、足を踏み入れる事を躊躇したくなるような陰鬱な空気を放っています。怖いのが苦手な方は森に近づく事すら拒絶する有様、といえば少しはどういった感じかわかっていただけるでしょうか?
そんな中、わたくしを連れてあの取り巻きたちはよく頑張ったと思いますよ。
館の扉を開けて自分は中に入らないように注意しつつわたくしだけを突き飛ばして扉を閉めた後は、恐らく外側で扉が開かないようにしたのでしょう。何やらごそごそと作業をする音が聞こえていましたから。
この館に一人で足を踏み入れた場合、まず間違いなく死にます。
複数で入った場合はすぐに死んだりはしませんが、入った者たちの生命力の弱いものから徐々に死ぬようになっております。どっちにしても死にますが、片方は多少の猶予が与えられます。
死ぬ前に館を出たとしても、呪われた館と縁を作ってしまった以上、余程遠くに逃げない限りはいずれ衰弱死してしまいます。まさしく呪いの家。
生命力の強弱の基準はよくわかりませんが、生まれたばかりの赤ん坊と先程の取り巻きさんが一緒に入った場合は間違いなく赤ん坊が死にますね。恐らくは魔力の強弱も関係しているのかもしれません。
お年寄りと赤ん坊が一緒に入った場合は赤ん坊が先に死んでその後にお年寄りかしら……?
成年と老人であれば老人が死ぬのが先だったかと。ただ、年齢的に若くても健康状態に問題があれば――例えば病気を患っていてその症状次第では――若い方が先に死ぬこともあります。
そんな呪いの館に入った以上、わたくしの命運は――
と、儚い自分の運命を嘆く振りくらいしておいた方がいいかしら? とは思うのですが。
生憎とこの呪い、わたくしには効果がありません。
何故って?
だってこの呪い、わたくしの仕業ですもの。
……少しばかり誤解が生じてしまいそうなので弁解させて下さいませ。
前世のわたくしがしでかした呪いなのです。
……おかしいですね、余計胡散臭い展開に感じられてきました。
前前世のわたくしは、こことは違う世界で会社員として働く女性でした。安月給、不安定な社会情勢、更には爆発的に流行してしまった疫病と未来に希望が何一つ見えない中、それでも懸命に働いて――過労死しました。
あの時点で死ぬのがわかっていたのなら、もっと開き直って自分の好きな事をやりたかったのですが……まぁ、今更ですね。
生まれ変わったわたくしは、異世界転生したという事実を理解しました。
そしてわたくし、何と魔女として生まれてしまったのです。
前世のわたくしはそもそも魔法なんてファンタジーの世界だけの話だと思っていたので、魔女として生まれ様々な魔術を使いこなすという状況にとても興奮しておりました。
お伽噺の中だけのものだと思っていた力が現実にあって、しかもそれを使えるとなればテンションが上がってしまうのも仕方のない事でした。
わたくし張り切って色んな魔術を覚えたものです。
ところが調子に乗りすぎて危険な魔女だと思われてしまったのです。
……気持ちはわからなくもありません。
魔術というのは魔力があってそれを扱えるだけの能力があれば発動可能です。いくら武器を持っていなかったとしてもその気になれば魔術で事足りてしまうのです。
一見すると非武装のはずなのに、その気になれば人間を火だるまにするくらいはできてしまいますからね。そりゃあ恐れるのも無理はないといったところでしょう。だって目の前でにこにこと笑いながら話していたはずの相手に次の瞬間火だるまにされているかもしれないとなれば、恐ろしいと思うのは当たり前です。
結果としてわたくしは討伐される事となりました。勿論抵抗いたしました。だって特に悪い事もしていないのにお前を殺すとか言われて素直に殺されてやる人、います?
相手に殺意があった。わたくしに抵抗できる手段があった。
そんな力もなければ無惨に殺されていたかもしれませんが、そもそも力がなければ殺されるような事にはなっていなかったのかもしれません。
かつて、わたくしが住んでいた館に彼らはやってきました。悪しき魔女を討伐するという名目で乗り込んできた強盗――えぇ、館の中の金目の物に手をつけたりもしたので強盗でいいでしょう。それとも相手が悪い魔女だからそれくらいやっても構わないと思っていたのかもしれません。
まぁ、その強盗一味と戦いを繰り広げたわけです。
ブチ切れますよね。
だって悪い事もしないで暮らしていたのに勝手にこっちを悪党呼ばわりして家に侵入、金目の物を勝手に持ち去ろうとする、どっちが悪党だって話ですよ。
わたくしとしては正当防衛。ついでに強盗を退治した、という認識でいたのですが、どうやら彼らは地元では勇者と呼ばれる存在だったようです。嘘でしょ……? いえ、確かに異世界転生する前の世界にあったゲームだと勇者は勝手に人様の家のタンスやツボを割って中のアイテムやゴールドを持っていってましたけれども。
あれはゲームの中だからまだしも、現実でやったられっきとした犯罪です。
それともこの世界では常識なのでしょうか? いやまさかそんな。
で、勇者と呼ばれてた人が倒されたらしいことを知った結果、今度は騎士団が乗り込んでまいりました。
こっちからしたら冗談じゃありませんよね。強盗退治したと思ったらそのせいでこっちが罪人扱いですよ。ブチ切れたわたくしはそれはもう抵抗いたしましたし、その自称勇者がやらかした事を全力で訴えました。それがお前らの正義なのかと。それが正義ならわたくしが他所の町で同じことをしても罪には問われないのかと。
勇者は強盗だと思ったのでぶち殺しましたが、騎士団をいきなり抹殺するわけにもいきません。だからこそわたくしは手加減しつつ戦う事となったのです。とはいえ魔女。接近戦は苦手なので距離を詰められないようにしつつ魔術での応戦です。中々に苦戦いたしました。館もろとも爆発させれば……と思いましたが、生憎家に愛着があったのです。家族が遺してくれたものだったので。
まぁその中で遠慮も何もなく暴れまくってくれた方々には怒りを抱いたわけですが。
紆余曲折あって。
戦いの中で芽生えた絆とでも申しましょうか。
騎士団の人たちを一人も殺さずひたすら正当防衛と説得に回ったのが良かったのかもしれません。いつしか騎士団長とわたくしの間には何らかの情が湧いたようです。
怪我をして倒れて戦闘不能になった相手は別室に放り込んで一応手当しておいたのも良かったのかもしれません。
最終的にはどうにか誤解が解けたのです。
その後、わたくしの悪い噂も誤解であったと彼らは館を後にする際にきっちり伝えておくと言ってくれました。名誉挽回。汚名返上ってやつですね。
その後、何故か時々騎士団長が訪れるようになったのです。
とはいえ戦いを挑むでもなくちょっと立ち寄って話をする程度。
それが何度か繰り返されていくうちに、好敵手くらいに思っていた相手はいつしか好きな人、へ変わっておりました。まぁ、素敵な男性でしたよ。騎士団長。
恋人同士になって、いずれは結婚しようなんて言われて浮かれたりもしました。えぇ、前前世だとそういった恋愛なんてする暇もなかったもので。
ところが。
ところがですよ?
騎士団長の事を良く思わない、その立場を失脚させてやろうと目論んだ相手によって彼は魔女の手下に成り下がった、なんて噂を立てられその立場を追われてしまったのです。王家に対する叛意あり、だなんて言われて裁判も何もないままに処刑されそうになったのです。
それを見捨てるわけにもいかず、わたくしは彼を助けました。というか、匿いました。館に誰も入れないように結界を張ったりして、立ち入れないようにしたのです。
そうして少し時間をおいてどうにか話をと思っていたら館の周辺に火をつけられましたよね。
そして破壊される結界。恐らく何らかの魔道具を用いられたとは思うのですが……そこまでします!?
壊れた結界からなだれ込むようにやってきた彼らは、ついでとばかりにわたくしも殺せと叫んでいました。
わたくしを守ろうとする騎士団長。しかし……
ほとんどの敵を倒した後、騎士団長はもう命が残り僅かといったところでした。わたくしも決して無事ではなく。
燃え盛る館の中、それでも彼は最期にこう言い残しました。
「せめて来世で共に幸せになろう」
……と。
その後はわたくしちょっとプッツンして魔力暴走させてしまいまして。
襲い掛かってきた残党も消滅しましたし館も大変な事になりましたが、最後の最期で館はわたくしの魔力によって修復。ところがその時点でわたくしも力尽きたのです。
あいつらのせいで今回も幸せになれなかった……! とかいう思いがあったからかはわかりませんが、まぁ、多分それが原因でこの館は呪われたのだと思います。
さて、異世界転生した次の人生、てっきり別の世界にまた生まれたりするのかしらと思ったら同じ世界でした。ただ、あの事件から数百年が経過している模様。
今回は貴族の令嬢として生まれたわたくしは、すくすくと育ちました。そして王命で婚約する事になったのがジルベルト第一王子です。
わたくしは気付いてしまいました。あ、騎士団長だ、と。
なにせ前世のわたくし、死ぬ間際に彼の魂に目印をつけていたもので。わたくしもね、来世では絶対幸せになろうね! みたいなノリだったのだと思います。
でも、普通に考えて前世の記憶がある方がおかしいんですよね。当然といえば当然ですが、王子は前世の記憶などありませんでした。というか、魂に目印ついてるから確かに前世の騎士団長であるのはそうなんですけれど、外見が似ているわけでもなければ中身も正直別人……といったところで。
わたくしが好きになったあの人ではない、と思ってしまったのです。仕方のない話ですけれど。
正直根本的な部分はわたくしは変わりないと思っておりますが、それは前の記憶があるからでしょう。けれどなければ。
その人の人間性、周囲の環境で育つように育つわけです。前世の彼はいっそストイックと言ってしまえばそれまででしたが、どこまでも高潔な存在でありました。
ところが今の王子はどうでしょう。
一応王族としてそれなりに育ってはおりますが、何か違うんですよね……まぁ実際アイリーナさんにまんまと騙されてコロッと掌の上で転がされてるようなものでしたし。高潔さは前世で使い果たしてしまわれたのでしょうか?
とりあえずこうしていても仕方がない、と思ったのでわたくしは館の中を見て回る事にしました。
うーん、前世の記憶の通りすぎて新鮮さがどこにもありませんね。
とはいえ見て回った結果、外に出る事を頑張らずともここだけで生活できるのでは、と思えました。
前世のわたくしの魔力凄いですね。流石魔女。地下には食料を保管していた壺などもありました。本来なら駄目になってたりしてもおかしくなかったのだけれど、何の問題もなし。それ以外でも地下に人工的な太陽っぽいものを作り出してそこで植物を育てたりもしていたのですが、そこでも食べられるものが育っていたのです。
そこでは地下だというのに井戸もあり、水も問題なく汲みだせるので食料についてはそこそこ解決しましたね。干し肉とかもありましたし。
更に他の部屋を見る限り、服などもありました。
今のわたくしとは若干サイズが異なりますが、着れない事はありません。着替えの問題もクリア。
となれば、この館の中で飢え死にするだとかの心配は消えました。
前世のわたくしほど今のわたくしに魔力があるわけではありませんが、それでも自分がやったものです。館のそこかしこに仕掛けられた魔術の仕組みは何となく理解できました。
この館はわたくしには害のないもの。
それだけは確定です。
ただ……ジルベルト第一王子は大丈夫かしら。何せこの館、前世で彼が来世は一緒に幸せになろうなんて言わなければわたくしだって張り切って最後の力を振り絞ったりはしなかったでしょう。
この館は、来世でわたくしと彼が幸せになるために残した物、といった感じで残ってるので、もしその約束を違えたとすれば……恐らくはこの館の呪い、違えた側に制裁を加えるべく猛威を振るうのではないかと思うのです。大きな呪いの他にも館の中を荒らす者にだって細々した呪いが降りかかるようになっているようですし。
ちなみに今のわたくしの魔力ではどういったものかを理解するくらいは可能ですが、更にそれをどうにかするというのは無理でしょうね。
今のわたくしの身体は魔女ではなくただの人間ですので。精々ちょっとした操作くらいはできると思いますけれども……それだって本当に微々たるもの。
わたくしにも言えてしまうのですけれど、やっぱりノリでできもしない約束なんてするものじゃないのかもしれませんね。
――さて、ジョゼットを追放したジルベルト王子とその一味であるが。
我が世の春とばかりに浮かれていたのも一瞬だった。
そもそもジョゼットがアイリーナにしていたという嫌がらせの全てが冤罪なのだ。ジョゼットの両親がまずそれに対して抗議をした。本当に調べた上での結果なのか。信頼できる証拠はあるのか。もしなければ公爵家を侮辱したも同然だし、ましてやあの、ずっと昔から存在する呪いの館の中に突っ込んだなどとなれば悪意を持って殺すつもりでしたと言ったようなものだ。
きっともう娘は帰ってこないかもしれない……状況を聞かされて公爵夫妻はそれはもう嘆き悲しんだ。あの館に足を踏み入れた者は、遅かれ早かれいずれは死ぬのだから。だが、だからといって泣き寝入りなど許されるはずもない。
無実の罪で殺された娘の仇を討たなければ!! とばかりにジョゼットの両親は追撃の手を緩めなかった。
更にジルベルトの両親である国王夫妻も己の息子の仕出かした始末をきっちりとらせるつもりでいた。
結果としてジルベルトは廃嫡。アイリーナもまた貴族籍から抜かれ平民へ。
それだけではない、公爵家への莫大な慰謝料を支払う羽目になってしまったのだ。
それ以外にもアイリーナに騙され唆され今回の件に手を貸した取り巻きたちもそれなりの処分を受ける事となってしまった。
跡取りだった立場は無かったことにされ、生涯出世も見込めないような場所での労働。貴族でありながらも身分を大分落とされたので、子を産む事になったとしてもその子が跡を継ぐ事はない一代限りの貴族籍になってしまった者もいた。
元凶でもある王子とアイリーナに関してはさっさと殺してしまった方がいいのではないか、という意見も出た。出たけれど、あっさり殺して楽になどさせてやるものか、という公爵側の言い分で生かされる事が決定したのだ。
二人は莫大な慰謝料を自らで稼がねばならなくなってしまった。
アイリーナは早々に借金奴隷に落とされて娼館へ。
男に媚びを売るのがお得意なのだから、天職でしょう? などと嘲られ質の悪い娼館へと送られた。
高級な店であれば一晩で稼ぐ金額もかなりのものになるのだが、あっさりと解放させてなどやるものか、いや、解放されるとでも? とばかりに最低ランクの店へ送られたアイリーナは日々、一日中働いても稼ぎなどほとんど出ないような店で休みなく働く事となってしまった。
アイリーナは男性に言い寄るのは確かに得意であったけれど、それは身分が上で将来有望な相手にのみ。そうではない、特に顔も良くなければ財産もなく、才能も将来性もなさそうな相手に関しては見下す態度を隠さなかった。
だからこそその娼館で働くアイリーナの評判は悪かった。
何せ店の質が最底辺。そんな店に高貴な身分の何もかもを兼ね備えたような男が来るはずもない。来るのは金を払わないと女にロクに相手にされないような――あくまでアイリーナ視点での話だ――男ばかり。金払いもよくないくせに、支払った分以上のサービスを求めてくるような連中ばかりだ。
だからこそアイリーナは常に反抗的であった。
あんたらみたいなクズにどうしてわたしが!! などと叫ぶのは最早日常茶飯事ですらある。
相手の客はそんな反抗的なアイリーナを時に力尽くかつ強引に、時に暴力をもってして躾と称し甚振る事が当然となっていった。
彼女が娼館送りになった顛末は知らされているので、男たちもアイリーナを殺さない程度に嬲るので彼女にとっては毎日が地獄の日々となるのは言うまでもなかった。
そしてジルベルトはというと。
彼もまた借金奴隷へと身を落とし、こちらは炭鉱での労働を余儀なくされた。
本来であれば鉱山なのだが、そちらは価値のある鉱石、はたまた宝石などが出た場合一気に借金返済の可能性が出てきてしまう。
だからこそこちらも鉱山と比べると稼ぎは劣る炭鉱へと送られる事となったのだ。
ロクに日の光も差し込まない場所で朝から晩まで延々とツルハシを振り下ろすのだ。朝から晩まで延々と同じ作業を繰り返し、そして次の日もまた同じことの繰り返し。変わり映えのしない日々。変化があるとすれば、それは自分の体調だけだ。
今までとは比べ物にならないほどに貧相なメニューの食事が朝晩二回だけ出されるけれど、量も少なく食べた気がしない。これっぽっちの量を朝食べたとして、それで夜までもたせるなんて到底無理な話にしか思えなかった。
だからこそジルベルトは毎日飢えを感じながら延々とツルハシを振り下ろすのだ。段々と目は虚ろになり、考え事もできなくなりつつある。
下手にあれこれ考えると、余計に腹が空くからだ。
ふいに今まで城で食べていた料理の数々を思い出すと、余計につらくなる。
しなびた野菜に干して固くなった肉が気持ち程度に添えられるだけ、更にパンは固くなり下手をするとカビが生えている事もある。とはいえびっしり生えてるわけではなくポツンと何かの染みのような点が一つ二つ程度だから食べないという選択肢もない。
そんな食事しかでないような時に、城で食べていた料理を思い出すと余計に腹が空くし食べたいのに食べられない事による辛さが増してしまう。
幸いと言っていいかは微妙なところだが、水だけは好きなだけ飲む事を許されているので、そういう時は水を飲んで空腹を誤魔化していた。
ふと、城で暮らしていた頃を思い出す。
毎日が変わり映えのしない日々。退屈極まりない生活。そう、思っていた。それは城から出て学園に通うようになってからもそうだった。勉強はそう難しいものではない。だからこそ単調に感じられる日々。
その中で出会ったアイリーナだけが、違ったのだ。彼女との出会いは今までの生活に明らかな変化をもたらした。それは間違いない。だからこそジルベルトはのめり込んだ。そこには恋も確かにあっただろう。
しかしそれは見る人が見れば恋というよりは、遊び方を知らなかった奴が遊びを覚えてのめり込んでいる――そういう風に見たかもしれない。そういった指摘ができる人物が身近にいなかったために、ジルベルトはそれを全て恋だと思い込んだ。
その感情全てが恋などではない、と指摘されていればもしかしたら違った道があったかもしれないが、既に手遅れだ。
あの日々が退屈で仕方なかったはずなのに、今はどうしようもなく恋しかった。退屈だと思っていた日々の、あれより下があるだなんて想像もしていなかった。
毎日毎日ただひたすらにツルハシを振り下ろす作業は、早々にジルベルトの心を打ち砕いたのだ。
この炭鉱に連れてこられた当初から元々口数が多いわけではなかったが、彼の声を聞いた者はこの炭鉱で働く者たちの中では全くと言っていいほどいなかった。
日数が経過していく中、ジルベルトはろくに喋らずただ毎日割り当てられた場所の採掘だけを繰り返す。いっそそういう人形なのだと言われれば誰もが納得しそうになるくらいに、かつて王子だったはずの男からは生気というものが感じられなくなっていった。
恐らくは健康面に問題が出るまで、それこそ死ぬまでずっとこのままだろう。
この炭鉱で働く者たちを統括している立場の者は、ジルベルトを見てそう判断した。
実際、彼は死ぬ直前までツルハシを振り、そしてある時突然倒れてそのまま動かなくなってしまった。
かつての身分や立場を思えば、なんとも言えない死に方である事は間違いなかった。
――ジョゼットを陥れた連中がことごとく当然の報いだろうと思われる状況に落とされていく中、ジョゼットは館の中での生活をエンジョイしていた。館の外に出ようにも扉に細工をされてしまって外には出る事ができない。扉が駄目なら窓をぶち破って……と普通なら考えるわけだが、この館には魔女だった頃のジョゼットの術がかけられて、生半可な攻撃ではもうどうにもならないのだ。ただ普通に術をかけただけならまだしも、死ぬ直前の魔女の様々な気持ちのこもった術だ。下手に館の中を壊そうとすればその相手に牙をむく何かが発動する可能性もある。それがたとえ自分であっても。
実際過去この館に入り込んだ者たちの中でそういう行為をしようとした者たちは死んでいる。
とはいえ、ジョゼットは別に館の中を破壊しようなんて考えていない。前世とはいえ以前住んでいた家なのだ。懐かしい我が家くらいのノリである。
そして生活に必要な物は大体そろっているので、別に外に出る必要性も感じられない。
両親にちょっとだけ申し訳ないなと思わなくもないのだが、あれだけの事をされているのだ。今頃王都でのジョゼットの評判は地に落ちたも同然だろうし、下手に外に出て王都に戻ってもロクな目に遭わないだろう。
ジョゼットの無実が証明されていたとしても、あの館に入って生きて戻ってきたという時点で今度はどういう噂が流れるかも想像できる。
新たな婚約者を探そうにも、呪いの館から出てきた令嬢だ。いつ呪われて死ぬかもわからないし、更にはその呪いがこちらにやってこないとも限らない。
そういう風に思われてきっと周囲から人は遠ざかるだろう。
であれば、わざわざ外に出る必要性を見いだせない。生きているとなれば両親は喜んでくれるだろう。けれど、呪われた令嬢がいる、とか噂されて家の評判まで落とすのはジョゼットの望むところではない。
魔女時代に使っていた遠見の水晶と呼ばれる道具で王都の様子を確認していたジョゼットは、仕方ありませんわね、と呟いて早々にこの館で生涯を暮らす決断を下した。
とはいえ退屈な事に変わりはないので、趣味が悪いと思いながらも遠見の水晶で両親や知り合いの様子をちょくちょく覗き見するのが日課となりつつあった。
そんなある日。
『もうお嬢様の事に関しては絶望的でしょうけれど、それでもせめて遺体だけでも回収できないでしょうか……あの館に入って生きているとは思えませんが、でもあの館に入った者たちの中でも館の中で何かがあって死んだ者たちだってある日館の外に打ち捨てられているでしょう? せめて、せめてマトモに埋葬して差し上げた方が……』
はらはらと涙を流しそう語るのは、ジョゼットの家の年老いた執事である。
確かにこの館が呪いの館と呼ばれるようになってそれなりの人数がここに訪れている。
大半は面白半分の肝試し感覚だ。
もし何か化け物が棲んでいるなら俺が退治してやるよ! なんていう命知らずな奴から、お前あの館マジで怖がってんのかよ、という煽りを受けてからの自分は臆病者ではない、見てろ! という命知らずな者まで。
あとはたまに怖いから行きたくないけど無理矢理友人に連れられてとかいうとばっちり系。
館の中で死んだ場合であっても数日後にぺっ、と吐き出されるように死体が館の外に出ているのは既に知られた情報なので執事の言い分に間違いはない。ジョゼットは生きているが。
あと生きて館から出たとしても、その後死ぬのは館の呪いのせいだ。
この館にかけられた呪いは至ってシンプルだ。
約束を守ればいい。
それ以外にも細かい条項があるけれど、基本的に館の中を荒らさなければ問題はないのだ。
これは前世魔女だったジョゼットが死ぬ間際、ほぼ無意識で館を修復する際に練り込んだ術式だった。今のジョゼットが館の中をあちこち見てそれを確認したので間違いはない。
ジルベルトをたぶらかしたアイリーナやその他取り巻きたちに関しては知った事ではないが、ジルベルトに関しては前世の呪いが関係している。
彼がまだ魔女の愛する騎士団長だった頃、死ぬ間際に、
「来世で共に幸せになろう」
なんて言った事が原因なのだ。
まんまとその言葉を信じた魔女が魂に印をつけてしまったのも原因ではあるが、そのせいで余計に呪いの力が発動しやすくなってしまっていた。
来世、つまり今だ。
騎士団長だった男は生まれ変わり王子へとなったものの、かつての人間と全く同じ中身か、と言われれば異なるものへ成長してしまった。王命で婚約を結んだとはいえ、ジョゼットを大事に扱い添い遂げていれば問題なかったが、彼はアイリーナへその心を移しジョゼットを裏切る結果となってしまった。
ジョゼットに対し婚約破棄だけならいざ知らず、更に様々な冤罪を吹っ掛けた事でジョゼットは一時的に不幸に陥ったといってもいい。
その時点で幸せではないのは当然で、だからこそ呪いは発動してしまったのだ。
ジョゼットを館の中に突っ込んだ後であまりにもあっさりと仕掛けた冤罪の数々が暴かれたのはそういう部分も確かにあった。それまでは綿密に立てられていたはずの計画がこうもあっさり露呈するならそもそもジョゼットを断罪している途中でボロが出ていてもおかしくはなかったのだから。
とはいえ館の呪いの力が一気に降りかからなかったのは、ジョゼットがそこまで幸せではなかったからだ。いや、不幸という意味ではない。不幸せではないけれど、別段そこまで幸せって言える程でもなく……普通? みたいな認識でいたからだ。
前世の館で生活できるしまぁいっかー、というなんとも軽いノリで生活をしているが、それが人生最高潮レベルでの幸せかと言われるとそこまででもない。
だからこそジルベルトの不幸はそこまで大きく降りかからなかったのである。
共に幸せになろう、などと前世で言わなければ。
ジョゼットが不幸になったとしても彼には何の影響もなかったし、ましてや彼女が館の中でそこそこ生活をエンジョイしていたとしても、炭鉱で働く彼には何の影響もなかったはずなのだ。
ジョゼットがまぁまぁそこそこの暮らしをしている間に、とっても幸せ~! なんて感じていたならば。
ジョゼットが幸せであるのに対しジルベルトが幸せではないという事で『共に』の部分が影響し更なる何かが降りかかった可能性がある。
ちなみに前世でジョゼットも似たような事をのたまっていたけれど、彼女の場合は、
「来世で幸せになろうね!」
というある種目標じみたものであった。しかも共に、とか一緒に、だとかは一言も言っていないのだ。
なのでジルベルトがどれだけ不幸のどん底にいてもジョゼットにそれは影響しない。
例えば「共に」ではなく「お互いに」であればどうにかなったとは思うのだが、まぁ前世の記憶など覚えているはずもないジルベルトからすればそんなのどうしろとと言う話だ。
冤罪でこんな目に遭ってしまって確かにジョゼットとしては悲しいなぁと思わなくもないのだが、それでも懐かしの我が家である。王都で暮らしていた頃はこの館の事を知っていても気軽に立ち寄れるものでもなかったので、様子を見に来るという事もできなかった。
なので今、なんだかんだこうしてかつての我が家にいるという状況は嘆き悲しむものではなく、むしろ都合の良い展開と言えない事もなかった。
まぁそこそこ暇なので遠見の水晶使ってるわけだが。
今の身体にもっと魔力があれば前世の続きとばかりに魔術の研究もしたかもしれないが、今の身体は魔女では無いので人並み程度にしか魔力を持ち合わせていない。その状態で魔術の研究とかやっても成果は出ないだろうし、更には疲労ばかりが蓄積されるだけだ。
前世で散々魔力の扱いについては学んだため、ジョゼットは今の自分で無理や無茶をやらかそうとはこれっぽっちも思っていなかった。
『どうせもう私は老い先短い身……せめて私がお嬢様の遺体を引き取りに参りましょう』
老執事がジョゼットの両親にそう告げると、両親はなんとも言えない表情を浮かべていた。
この老執事、ジョゼットが幼いころからずっと働いている存在だ。
幼い頃は本当の祖父のように慕っていたくらいだ。普段は優しく、しかし悪戯などをした場合はしっかり叱ってくる。そんな、ジョゼットにとって数少ない気を許せる身内のような存在であったのだ。
「え、ちょっとどうしましょう。流石にそれは……」
遠見の水晶を見ていたジョゼットもこれには流石に少しばかり動揺した。
遺体とか言われてもジョゼットはこうして生きている。
となると、恐らく彼は館の外に死体がない事でまず館の中に足を踏み入れて捜しに来るかもしれない。
いや、下手な約束事を口にしなければいいだけの話なのだが、例えばここでジョゼットを見つけて、無事に帰るまではお守りしますとかそういう宣言とかもこの館の中だと微妙にアウト判定になりかねない。
実際無事にジョゼットが帰る事ができたとして、じゃあもう約束は果たしたね、のパターンでぽっくり逝くか、例えばちょっとした道のくぼみに足を挫きそうになったりした時点で、守れなかったね、のパターンでぽっくり逝くか……この館が寛容なのはあくまでも所持者の魔女でもあったジョゼットに対してだけで、それ以外にはとても厳しい判定を下しかねない。
だからこそ、今までこの館に入った者たちはことごとく死んだのだ。
幼い子供のうちだと何でもできるという万能感からか、達成できないような大口をたたく事もある。幼い者から死ぬのはつまりそういう事だ。
例えば子供と老人が一緒に館に入った場合後になって老人が死ぬパターンは、大体子供に対して気休めの言葉を伝えたかどうかがカギとなる。
生命力の強弱も確かに呪いが発動するまでの決め手になるけれど、そもそも魔女であった頃のジョゼットが暮らしていた時だって外から勝手にやってきた者たちに好き勝手されていたこともあり、招いていない者に対してとても厳しい判定が下されるのだ。
ジョゼットが生きている事で、両親は喜ぶだろう。けれど、まず間違いなく噂は流れる。悪意に満ちたものであったり、面白おかしく他人事としてであったり。結果として家の評判まで落とすわけにはいかないのだ。
扉の外から開かないようにされているとはいえ、彼が来ればそれはどうにかなってしまうだろう。
どうしよう、このままじゃ彼が死んでしまうかもしれない……!
ジョゼットが水晶越しに来なくていい、来なくていいから、と言ったところで聞こえるはずもない。
あれよあれよと言う間に老執事は準備を整え、外に出て、キィと門を押し開けた。
そこで、ジョゼットにとって懐かしい顔が見えた。
『ん? おーい、久しぶりだな爺さん』
随分気安いその言葉をかけた人物は、ジョゼットよりは少しだけ年上に見える青年だった。
『あぁ、貴方様は……モルドーン家の……』
「ジュリアン!? どうして!?」
遠見の水晶に映った人物を見て、ジョゼットもまた声を上げていた。
ジュリアンはいわゆる幼馴染という存在だった。
家同士での付き合いもあったけれど、ジュリアンは五年ほど前に隣国へ留学していったのだ。最初の一年程は手紙のやりとりもしていたけれど、向こうでの生活が忙しくなったのか、それとも向こうで気の合う友人や恋人を見つけたかしたからか徐々にやりとりの回数も減り、二年程前からは手紙を出してもすっかり返事もこなくなっていたがそれでもジョゼットにとっては仲の良い友人という認識の相手だった。
帰ってくるだとかの連絡もなかったし、そういった話が他の誰からも出てこなかったのでジョゼットはジュリアンがこちらに帰って来ていた事を今知った。
そんなジュリアンは老執事から話を聞いて、ざっと顔を青ざめさせている。
『なぁ爺さん。その呪いの館、俺が行ってくるよ』
「なんで!?」
『しかしジュリアン様……あの館は足を踏み入れたが最後遅くても何か月か後には死ぬと言われている館ですよ。私のような老い先短い者であればまだしも、貴方様にはまだ未来がありましょう。それに、これを許せばモルドーン家の皆様に私が恨まれてしまいます。勿論、家の者だけではなく、貴方を慕う方々からも』
ジュリアンと老執事との会話の間に思わず割り込むように叫んでしまったが、ジョゼットの言葉が聞こえるはずもない。老執事が首を振ってやめておけ、とばかりに言っていたがしかしジュリアンは引かなかった。
『いいや、これは俺にとってもけじめなんだ。行かせてくれ』
老執事が何を言った所で一切退く気はありませんとばかりに言い切ったせいか、結局の所押し負けてしまったらしい。そうしてジュリアンは馬を借り、そのまま勢いよく王都を出、辿り着いてしまったのだ。この、館の前に。
館の唯一の扉は外側から開けられないようにされていた。しかしジュリアンはそれをあっさり取り払って扉を開けてしまったのだ。
「ジョゼット! ジョゼット!! いるか!?」
下手をすれば館の中全体に響きそうな大声だった。どうして来てしまったのだろう。そう思いながらもジョゼットは出ていかないわけにいかなかった。
このままでは彼はきっと館の中に足を踏み入れてしまう。
だからこそジョゼットもまた覚悟を決めて姿を見せた。
「ジョゼット!! 無事だったんだな!?」
「駄目よジュリアン! それ以上進んでは駄目!」
ジョゼットがそう叫んだ事でジュリアンは一先ずこちらの意を汲んでくれたようだ。館の中に入ろうとしていた足が止まる。
「無事だったんだな。ジョゼット。館の扉は開いた。帰ろう。皆心配している」
「……駄目よ。このまま戻っても、呪いの館から出てきた娘として家に悪い噂がついてしまうわ」
ジョゼットが死ねば呪いの館のせいで、と言われるだろう。
しかしジョゼットは館にかけられた術式を理解はしてしまっている。だからこそ今の時点でジョゼットは何の被害もない。
けれど、一向に死ぬ気配のない呪いの館からの生還者など、下手をすればもっと噂の的になってしまう。
最悪アングレッタ家は悪魔に憑りつかれた家、なんて言われてしまうかもしれない。そうなれば色々な問題が出てしまう。それこそ、今度はジョゼットだけではない。家の者たち全員が殺されるような事になってしまうかもしれないのだ。
ジョゼットは知っている。
前前世、歴史の授業で習った魔女狩りの話を。
前世、魔女というだけで悪しき者だと決めつけられた理不尽さを。
魔女であった前世なら、まだどうにかできた。
けれど今の自分はあの時ほどの力も持たないただの女だ。下手な噂を流されるよりは、いっそここに引きこもっていた方がマシなのではないか、という考えは消えない。
だからこそジョゼットはこの館にかけられた術式について、ふんわり程度ではあるけれどわかったの、と言ってジュリアンに説明した。自分だけならこの館の中にいても死ぬことはないと。
けれど、他の者はそうもいかないのだと。この館の中で下手な宣言をするのは危険であるという事も伝えた。
「そうか。わかった」
「わかってくれたのねジュリアン。それではお父様やお母様にも伝えて頂戴。わたくしはこの館から出ずここで生涯を終えるつもりですと」
「だが断る!! 俺はジョゼットを連れ帰ると決めたのだ!」
「どうして!? わたくしが外に出てももう悪評しか流れないのよ!?」
「きみにかけられた様々な嫌疑は既に払拭されている。無実であったという証明がなされている。それについてはきみの家の執事から聞いた」
あぁ、そういえばそこら辺の説明もされてたわね、とジョゼットは思い出す。
そもそもジュリアンはジョゼットがまさかこんな目に遭ってるとは思ってなかったのだ。だからこそ呪いの館にいるという話を聞いた時、とても驚いていたのだから。
「きみにやってもいない罪をかぶせた連中は既に裁きをうけている。だが、きみが戻ったからといってその罪が軽くなることもないだろうし、ましてや裁きの内容が軽くなることもないだろう」
でしょうね、とジョゼットは内心で頷く。
実際さっき、それこそジュリアンが馬でここにやってくるまでの間にちらっと遠見の水晶で彼らの様子もチェックしたけれど、ジルベルトはひたすら無の表情でツルハシ振り下ろしてたし、アイリーナは反抗的な態度で客に殴られてその上から覆いかぶさられていた。その他大勢の取り巻きたちもこの二人に比べればまだマシだろうけれど、それでも今までの待遇と比べれば地の底みたいなものだろう。誰もかれもが自分は今とても不幸せですとばかりの表情をしていた。
だが、それだけの事をしたのだから仕方がない。
ジョゼットが本当にそれだけの罪を犯していたのだとしたらまだしも、よりにもよって無から強制的に有を生み出したのだ。それも高位貴族相手に。例え相手が平民であったならそこまでの罪にならなかったかもしれない。けれど、真実が明かされたならその時点で彼らの評判は地に落ちただろうし、罪に問われずとも多くの民から不審の目を向けられ、針の筵のような人生になっていたに違いない。
「それに俺がここに来たのはきちんとした目的がある」
「目的って……もし死んでたらわたくしの死体を回収しに来ただけでしょう?」
「だが生きていた。ならば俺が言う事はただ一つ。
ジョゼット! 俺と結婚してくれ!! きみを愛している!!」
「……え、はぁ……!?」
それはジョゼットからすれば思ってもいなかった展開だった。
「もし死体があったなら、勿論それを持ち帰った上で埋葬するつもりだった。その後で俺も後を追うつもりでもいた。だが君は生きているし、何より既にあの王子だった男とは婚約も破棄されている。つまり今の君にはそういった相手がいない。邪魔者はいないという事だ。
これをチャンスと言わずして何と言う!?」
「いや、知らないわよ……え、ジュリアン? 貴方わたくしの事そういう……?」
「あぁ、ずっと昔から好きだった。だが当時既にきみには婚約者がいた。あのちょっと顔がいいだけの大した能力のないぼんくら王子だ」
「ジルベルト王子は一応それなりに優秀だったはずなんですけれど……ジュリアン、あなた、下手な事そこらで言ったりしてないでしょうね。最悪不敬罪が適用されてしまうわよ」
「廃嫡されて借金奴隷に落ちた者に向ける言葉だ。不敬どころか適切な表現だろう」
いや、確かにそうでしょうけれども……とジョゼットはとても小さな声で肯定してしまった。仮にも婚約者であったし、あの魂は前世で一応好きな相手だったはずの人なんだけれども。
「相手は仮にも王子。王命による婚約となれば俺がどうにかできるものでもない。だからこそ、この恋心を封印するべく俺は逃げた。きみから離れようとして俺は隣国への留学を選んだ。それでも諦めきれずに手紙のやりとりをしていたけれど、それもつらくなってきてな。
このままでは衝動のままに国に戻ってきみの事を攫ってしまいかねないと思ったから手紙を返す事もしないように努めた。
そうして少し前に学ぶべき事は終えて戻って来てみれば――」
「王都がゴタゴタしていた、というわけですわね」
「そういう事だ」
つまり、ジュリアンは戻って来て王都で流れている噂を聞いた上でアングレッタ家にやってきたのだろう。真相を確かめるために。
「さて、ジョゼット。返答は如何に?」
「え、あ……」
ジョゼットを見るジュリアンの目は本気で恋い焦がれる者の目をしていた。婚約破棄をされてこんな事になっている令嬢に対する憐憫だとか、そういった感情ではない。明らかに熱を帯びた欲のある眼差しでもあった。
ジョゼットはすぐに返事ができなかった。
だって、元々好きだったのは彼だ。ジルベルトの前世でもあった騎士団長だ。彼の生まれ変わりだからこそ、ジョゼットは彼を愛していた。前世のまま、気高く高潔な存在であった彼であったならば、ジョゼットの気持ちは変わらなかっただろう。
けれども、騎士団長だった頃と比べ今の王子となった彼は気高く高潔な存在であったかと問われれば首を傾げるしかない。それなりに誇りはあったと思う。けれどもそれは、一歩間違えば傲慢と言えるものではなかったか? この国を背負う立場であったはずなのにああもあっさりアイリーナに骨抜きにされた彼を、果たして以前の彼と同一視できていただろうか。――否。
それでもかつて愛した存在だ。だからこそジョゼットはジルベルトを愛そうとしていた。愛しているのだと思っていた。いや、思い込んでいたと言うべきか。
「でも、ジュリアン。貴方、わたくしじゃなくて他にもっといいご令嬢がいたのではなくて?」
彼が留学する前に、せめて婚約を、と乞うていた相手がいたのは知っている。ジルベルトとは系統が違うがジュリアンもまた美形と言って過言ではない顔立ちをしているし、文武両道と言えるだけの能力もあった。だからこそそんな彼を婿に、と望んでいる家がそれなりにあったのは知っている。
「欲しいのはそんなどこの誰かもわからないご令嬢ではなく、ただ一人。きみだけだよ。ジョゼット」
「わ、わたくしがお断りしたらどうなさるおつもりなんですの!?」
「生涯独身を貫くか、いっそこの館に足を踏み入れきみを強引に連れ去るか。きみ相手なら愛に殉じるのも悪くない」
「な……な、えっ……?」
まさかここまで言われると思っていなかったジョゼットの脳内はいっそ混乱しているといってもよかった。ジョゼットには前世の記憶がある。だが、恋愛においての経験値はきっとこの世界で前世の記憶がないそこらの人たちよりも低いと言っていい。
前前世、乙女ゲームだとか少女漫画だとかで胸がきゅんとくる展開を知ってはいた。いたけれど、それはあくまでもフィクションだと理解していたし、それが実際自分に降りかかるとは思いもしなかった。
前世、確かに恋い焦がれた相手はいた。恋であり、愛であると言えるだけの相手がいた。だからこそ最期に来世では絶対に幸せになろうと誓ったのだ。
結局その相手とは幸せになれそうにはないけれど。
だが、ここに来てまさか予想も想像もしていなかった相手からここまでの好意をぶつけられるとは思っていなかった。もういっそこの館で生涯お一人様で過ごすしかないか~、くらいに思っていたところにこれだ。
前世であれだけ愛を囁いていたはずの男は今世ではそんな事もなく、それどころかジョゼットを捨てる結果となってしまったのだ。もうわたくし誰からも愛されないんだろうな、なんて思っていたのに。
仮に外に出ても呪いの館から出てきていつか死ぬだろう令嬢。仮に長く生きていても今度は近づいたら逆に呪われるなんて噂が立つかもしれない。であれば、もう恋愛なんてできないだろうと思っていたし、そもそも自分が誰かを好きになってもその相手からは好かれる事もないだろう、とまで思っていたのだ。
だからこそ、特に何か裏があるでもない様子で熱烈に告白してきたジュリアンに、ジョゼットは理解が追い付かなかった。
「ジョゼット、願わくば、俺にきみと共に生きる権利をくれないか? きみのためなら死ぬことを恐れないが、どうせならきみと共に生きたい」
「こ、後悔しても知りませんわよ!?」
「するものか。こんなにも幸せなのに」
そう言って笑うジュリアンに、ジョゼットはなんだか顔が熱くなるのを感じていた。きっと今、自分の顔は真っ赤になっているのだろう。
前世で愛を誓い合った相手と上手くいかず、きっともう誰からも愛されないと思っていたのにそんな事はなかった。これから先ずっと独りだと思っていたが、そうならなかった。
自分を愛してくれる人がいる。
それは何て――
(なんて、幸せな事なのかしら……)
ジョゼットの事を愛してくれる人は他にもいる。それは彼女の両親であったり、あの家で働く使用人たちであったり。だがそれとは違う愛を与えてくれる者などいるはずがないと思っていた。
求めていた愛は、求めていた相手からではなかったけれど。
それでもジョゼットの心は確かに満たされるのを感じていた。
「――っ!? これは……!?」
唐突に館が光り輝く。目を開けていられない程の眩い光が周囲に満ちて、ジュリアンの困惑した声が聞こえた。
光っていたのはそう長い時間ではない。だが、光が収まったと同時、ジュリアンは館の中にいたジョゼットの無事を確認するべく足を踏み入れ、どこか呆然とした様子の彼女が倒れてしまわないように支えていた。
「大丈夫かジョゼット!?」
「え、えぇ、平気よ」
「一体何事だったんだ……?」
「そうね……ずっと昔の約束が果たされた、のかしら」
そうこたえたジョゼットをジュリアンは訝しげに見ていたが。
「きみが無事ならそれでいい」
考えたところで理解できるかは微妙なところだと思ったのだろう。この現象を解明しようだとか言い出す事もなく、あっさりと頷いてみせた。
ジュリアンに説明しようとなるとそれこそ前世のあれこれから話さなくてはならなくなってしまう。流石にジョゼットもそこまで話すのは躊躇われた。
ただ、前世で自分が死ぬ間際に言った、来世で幸せになるという宣言が今、果たされただけなのだ。
ジョゼットはそれを理解している。そして同時に――
(ごめんなさい、ジルベルト。貴方の誓いは果たされなくなってしまったわ)
声に出さずにそっと謝罪する。
実際には前世の誓いであるのだが、どのみち借金奴隷に落とされた今、ジルベルトがジョゼットと共に幸せになれる方法はないに等しい。
ジョゼットの幸せの度合いが小さなものならまだしも、明らかに今の状況から察するときっとジルベルトは誓いを果たす事ができなかったとされて館の呪いによる報いが発動しただろう。
今まではかろうじて生きていただろうけれど、もしかしたらもう生きていないかもしれない。
ジョゼットがそう思ったのは気のせいでも何でもなく、まさしくこの時、ジルベルトは炭鉱でぱたりと倒れ動かなくなっていたのだが――実際にその事実をジョゼットが知るのはもう少し先の話だ。
――その後。
ジョゼットを連れて帰ってきたジュリアンに、ジョゼットの両親は大層喜んだ。
呪いの館から帰ってきた、という事でそう長くない命なのではないかと思われていたが、ジュリアンが上手い具合に説明した結果、なんでか丸く収まってしまった。
愛の奇跡で呪いを打ち破りました、とかそんなので納得するの……!? とジョゼットとしては困惑しかしていなかったが、まぁ自分が前世魔女で館の呪いについて多少知ってるからだとか、そういうどう考えても面倒な事になりそうなことを言わないで済んだだけジュリアンに感謝するべきなのだろう。
無実の罪で呪いの館に押し込められた悲劇の令嬢、なんてしばらくは言われていたけれど、同時に真実の愛で結ばれた二人、だとかいう話も同じくらい広まった。
ジョゼットを無事連れ帰ってきたジュリアンはその後彼女と結婚し、婿としてアングレッタ家に入る事となった。
「こんなに幸せでいいのかしら……?」
まだどこか現実味がない、とばかりに言うジョゼットにジュリアンは笑う。
「いい事じゃないか。この幸せがずっと続くように頑張ろうな」
「ずっと……? それって例えば、来世まで?」
「流石にそこまでは無理じゃないか? あまりにも先すぎて俺にもわからん。だが、まぁ。
このまま二人一緒に年をとって、死ぬまでは幸せでいられるように、とは思っている」
その言葉に。
ジョゼットは何度か目を瞬かせて、それもそうねと微笑んだ。