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第2話/大蠍、大鴉②


 ――カッコー、カカッコー。


「ふがっ」

「おはようございます、ウタハさん」


 ノイズのない鳥の鳴き声で目を覚ます。

 ウタハの視界では赤髪の美丈夫が鳥にエサをやっており、のっけからちょっと目を疑う。


「だれ……」

「おや、なかなか名前を覚えてくれないなあ。君の兄をやっている、カメリアという男ですよ。この地上では〈雪原の椿〉と呼ばれております」

「とり……」

「ああ、この子はカッコウと鳴く鳥です。〈寂寞の報せ〉とも」


 なんともうら寂しい異名を持つ鳥もいたものだ。ウタハは寝床から離れることなく、兄の手をつつく鳥をながめた。ハトより大きなからだ、横しま模様のおなか、尾に近づくにつれて濃ゆい黒褐色の羽根……。


「カッコウだコレ」

「ええ、まあ。ですから、そう鳴く鳥です」

「さっきのー……なに、二つ名みたいなのは?」

「〈寂寞の報せ〉、ですか。それはね、僕が名付けたのです」


 嬉々として告げられた真実に、ウタハは居た堪れなさをおぼえてひくりと口端を引きつらせた。寝起きからカロリーが高い。


「ええ……なにその厨二センス……」

「ちゅうに?」


 伝わらなかったのか、カメリアがはてなと首を傾げる。その隙に、カッコウは風切音をとどろかせ、開け放たれた窓から出ていってしまった。与えられたエサを食べ終えたようだ。それを名残惜しげに視線で追いかける兄。


「そうか……君は、地上のルールを知らないのだった。名付けについても当然」

「はあ。長いはなし?」

「では、ごく簡単な成り立ちだけ」


 カメリアはすぅと息を吸い、その間に脳内で最短の解説経路を構築――教育、開始。


「まず、僕の〈雪原の椿〉という名前。これは地上において、書類上の正式なものなのです」

「ほぉ」

「なぜ、ふたつの語を繋ぎ合わせたようなものが氏名とされるのか……これは昔、地上世界でことばの意味が解体されたことに起因したルールで」

「あー、それ以上はいいや。とにかく、あだ名みたいなのがただしい名前ってことでいいぇすか」


 ダッシュ解説、失敗。

 どうにも一筋縄ではいかず、カメリアは内心がっくしと肩を落とした。なにが気まぐれな妹の関心を奪ったのかと視線を追えば、そこには窓があった。あとは単純だ、その先に広がるものから解答を見出せる。


「どうです、地上の景色は」

「はあ。なんか……なんだろ、くすんで見えます」


 大地も、空も。

 ウタハの正直な感想に、カメリアは苦い笑みをこぼした。それはあまりに微細な表情変化であったから、ひとによっては不敵であやしい笑みに映ったことだろう。

 ウタハも例に漏れず、危うく勘違いを引き起こしかけた。


(まさか、すべてこの男の企みで! ……なんて、ンなわけないか)


 ウタハがダメ人間っぷりを遺憾なく発揮しようが、ここまでずっと親切にされてきたのだ。いまさら魔王のようにカメリアを疑えるものか、と続けて考える。

 その推論の根っこはしかし、信用とも信頼とも言いがたいもので出来ていた。ウタハは、己がマイナスであるからこそ測れるものさしでもって、カメリアを「判断」したのだ。


(ウタに親切なひとが、心から悪人なわけがないからね)


 ひどい話だが、いまのウタハからするとこれは磐石な判断基準だ。疑心暗鬼とは当分おさらばである。


「ウタハさん。ウタハさーん……困ったな、また上の空だ」

「そら……そう空、なんであんな色なんぇすか。こう、彩度が低いような」

「本当に気になります?」

「あー、そう言われると自信がない」

(だって、気になるものが多すぎる)


 ウタハはゆるやかに首を巡らせ、室内を見回す。魔王城の石室ほどではないが広々としているうえ、家具や調度品の一式がそろっている、あたたかい部屋。


「ってか、ここどこ」

「そこから? いえ、移動のあいだは眠っておられましたもんね……ここは学院寮ですよ。魔族の生徒専用で、〈銀狼館〉というのだとか」

「ぎんろうかん」


 カメリアも詳しいわけではないのか、肩をすくめてみせる。得ておくべき知識としては、学内で魔族が隔離されている点だろうか。


(銀……たしかに、あそこは銀づくしだったな)


ウタハは、自身の全身を覆うウェーブがかった髪の毛のひとふさに触れた。白銀にかがやく、見慣れぬ光沢。


「お兄さま、そういえば鏡」

「……食事のあとにされては?」

「嫌、いま」


 なにかと鏡から遠ざけようとする兄にきっぱりと反抗する。むしろ従ったことがない。

 カメリアは観念して、部屋に備えつけられている鏡台を妹の前まで運んだ。


「あー、あざっす。よ、っと」


 それでウタハはようやくのろのろと寝台からまろび出て、鏡のなかの等身大の自分と対面した。


 ――まず目に入ったのは、腰より下の位置で波打つ白銀の髪。


 瞳は深紅。眠気でとろんと垂れ下がったまなじりと、微細に震える長いまつ毛がそれを縁取っている。

 触れるのをためらうほどきめ細やかな肌には凹凸が一切なく、顔のパーツのすべてが完璧な比率で収まっていた。

 さて、この優れた容姿をひと言で表現してしまうのなら……。


「うーわ、SSR級の美女じゃん」

「意味を捉えかねますが、きっと軽い感想なんだろうなあ」


 絶世の美貌を手に入れたのだ、ひとによっては自分自身に魅了され、しばらく釘づけになってもしかたがない状況だろう。

 一方のウタハは漆黒のドレスで一回転だけくるりとひるがえると、ほっそりとした指先を悩ましげにくちびるへ当てがった。


「おや、いかがされました」

「いや、ちょっと……これだと目立ちすぎるなって」

「お父様のお考えからすると、目立っていただかないと困ると思われますが」

「ほら、ウタってシャイじゃないぇすかあ」


 初耳である。

 カメリアは一重のまぶたをそっと伏せた。この娘の世話役を務めあげるのは、骨が折れるどころの話ではない。しかし、その一時の休息のあいだにもウタハの思考は止まらない。


「うん、染めちゃお」

「え、ちょ」


 カメリアの静止の声もやむなく、たかが数十秒ほどの時間でウタハは髪の毛に「指令」を送る。

 そうしてカメリアが行き場もなく伸ばしたうでの先では、魔力で編みあげられた長い髪を、みごとなまでの烏羽色に「改ざん」した妹が立っていた。


「悪女っぽいけど、まあいいか」

「やりやがりましたね……」


 浮き世離れした容姿を抑えこめたと思っている得意げな妹へ、さすがのカメリアも悪態を吐く。

 黒色など、この世界において、白銀や純白に並んで目立つに決まっている。


「でも、カラスっぽくてかわいいでそ? お兄さま、鳥好きでしょう」


 ウタハは両うでを首の真後ろへもっていき、重たげな印象の髪の毛をふぁさりと広げてみせる。そうすると、うつくしい羽根を持つ大鴉に見えなくもなかった。


「そのサイズですと、さすがに身の危険を感じます」

「ええ……お兄さまも巨大サソリっぽいのに。いいじゃないぇすか、サソリとカラスのきょうだいってほら……オモロいすよ、人気出そう」

「むしろ忌み嫌われまくる取り合わせでは」

「細けぇこたあいいんだよう」


 たくさん話してお腹が空いてきたウタハはそこで会話を打ち切ると、鏡台にプイッと背を向けた。とにかく髪色は黒でいく。異論は聞き流す、という姿勢。


「ん? ……ああ、そうか。食事がまだでしたね、テーブルのうえのバスケットに詰めてありますよ」

「ここでもお兄さまの手づくり?」

「いえ、一応は今日限りのつもりです。明日以降は学院の食堂を利用するも良し、外部の料亭から注文するも良しです。よかったですねえ、魔界の食事は君の舌に合わないようだったから」

(魔界の……だってあれ、見た目がグロテスク過ぎるし)


 兄のことばで、皿に乗っかった何らかの生き物のナマの心臓を食事として出されたことを思い出し、さすがのウタハも眉根をひそめる。

 魔界というのは、白銀に固執した芸術家の絵画を再現したかのような様相を呈しているクセに、ところどころでスプラッタが剥き出しになっている場所なのだ。

 心臓を提供されて以降、ウタハには白銀世界がどこか体裁を取り繕ったハリボテめいて見え、ガッカリしたものである。つめが甘いと言わざるを得ない。


「うーん……いまはなんか違うみたいだけど、ウタは元人間ぇすよ。ああいう状況はせめて、くだものにしません? りんごとかー、ザクロとか」

「助言しておきます。とはいえ、お父様も今後は異世界の魂を引き寄せることはしないと思いますが……」


 言って、カメリアはくすりと怪しく笑う。決して魔王に代わって何事かを企んでいるわけではない。


 ……「ウタハが食事をしてくれないのだ」。


 そう父親に嘆かれ、試しに地上で作り慣れていたベリーサンドを妹に差し入れたあの日。

 すぐには手をつけてくれなかったものの、翌日にはバスケットは空っぽで。あれは、手ごたえが感じられない応酬が続くなかでようやく掴んだ糸口であったから、「妹が食事をしてくれた」事実を相当うれしく感じたものである。

 今まさに、ゆるみきった表情でバスケットのふたを持ちあげるウタハのすがたが記憶と重なり、カメリアは鳥の餌づけと似た感慨を覚えた。

 そのまま手ごろなイスに座っておとなしく食べ始めるかと思いきや、二、三個のベリーサンドを手に寝台へ向かわれ、カメリアは肩をすくめた。そのうちギャグ漫画よろしくひっくり返りそうな勢いだ。


「君、お行儀が悪いですよ」

「んあ、あー……感謝ぇす、いただきぁす」

「お礼を言えというわけではなくてね」


 窓ぎわのゆったりとした寝台に寝転がってサンドイッチを頬ばるウタハは、「貴族の午睡」とでもタイトルをつけて額縁に押しこめても差し支えないほど絵になっている。

 白いシーツではパン屑が見つけにくいから、ウタハがいない間に黒いシーツに替えてしまおうとカメリアは思った。


「というかここ、お兄さまと共同なんぇすか。ルームシェアすか」

「おそらくは。我々、特例中の特例ですからねえ。ひとまず、この階の壁をすべて取り払って部屋のグレードを上げたのでしょう。ありがたいことです。菓子折りでも送ろうっと」

(ソレ、素直に受け取ってくれなさそぉ。っていうか、お兄さまとふたり暮らしかあ。……ガチかあ)


 カメリアが学院運営側の気持ちに寄り添う一方で、ウタハは夢の自堕落生活にお小言がプラスされることを憂いた。


(いや……でもまあ、もしやメイドさんとか雇うより作法にうるさくないのかもしれない)


 現在の、非常におだやかな住居環境に数人の足音がまぎれる生活を想像する。

 メイドのうちの何人かはウタハのダメ人間っぷりを見て使命感に駆られ、望む以上の世話を焼いてくるやも。


「お兄さま、ウタのこと甘やかして育ててね」

「じゅうぶん見逃しているのですが? まだ上を目指せと……?」


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