第2話/大蠍、大鴉①
――カッコー、カカッコー。
電子の鳥が鳴いている。
信号機が、歩行者にいまは青だと報せるために鳴いている。
――カッコー、カカッコー。
「アンケートにご協力ください」
「……あ?」
夜、塾の帰りだった。
いまさらこの道を走り抜けたところで、次の電車には間に合わない。だからあきらめて、ウタハはゆっくりと道路を渡っていた。そのせいだろう、キャッチに進行方向を塞がれて、地の底より低い声が出る。
「すぐに済みますので、電車待ちの間にでもお願いします」
「……」
はあ。
ため息は白く凍り、ウタハはマフラーを鼻先まで引き寄せる。肌身離さずつけている腕時計を確認すると、やはり10分は待たねばならない。
(タイムロスだ……どこで挽回しようか。単語帳の復習をいまの時間に回す?)
「恋魔女協会のアンケートに答えると、今ならなんとお得なキャンペーンに参加できますよ」
「ちょっと、グイグイきてうっさいんすけど……え、恋魔女?」
「はあい、わたくし、恋魔女協会の広報担当でございます。そして、こちらがアンケート用紙になります」
「こいまじょ……」
ウタハがうわ言のようにつぶやく「恋魔女協会」とは、乙女のあいだでは名の知れた「夢見る少女」を対象とした様々な媒体でレクリエーションを提供するブランドの名称である。
その中からゲームメディアを取りあげるとすると、家庭用据え置き機からパソコン、スマホアプリと、時代に合わせた手広い機種展開でもって今もなお乙女ごころを刺激し続けているというのがもっぱらのうわさ。
ウタハもご多分に漏れず、虜になっている時期があった。
さかのぼること中学時代、時にはPS Vitaを握りしめ、時には小説や漫画を床に広げ、散らかっていく部屋をそのままに「恋魔女協会」の作品にそれはもう夢中になったものである。
(ヴィータか……しばらく触ってないな。どこへやったっけ)
ウタハには別段、両親から娯楽を取り上げられるような体験があったわけではない。ただただ日々の勉強に追われてすっかりそれらの存在を忘れてしまっていた。
「あの……答えたところで、わたしもう」
「わたくしどもは乙女の魂を持つすべての顧客に寄り添います。ささ、どうぞ。あちらで暖まりながら一筆」
「寄り添うってか超強引にペン握らせてませんか歩かせてませんか」
気がついたときには、魔女のローブを思わせるカッパを羽織った人物にうながされるまま、ウタハは駅前の仮設テントへ押しこまれていた。流されやすい人間にはさからえない強引さだ。
(てゆーか、テントって。やけにスペース取ってるな……ちゃんと許可取れてるの?)
人好きのする笑みを浮かべているわりに、やけに手口が詐欺っぽい。むしろ、こういうのが詐欺師の常套手段なのだろうかと考え、ウタハはぷるぷる震えた。
しかし、あわや謎のツボを買わされるようなトラブルが発生することもなく。
ウタハは、紙とペン、それとあったか〜い缶ジュースの置かれたテーブルの前に放り出された。
「……まあ、いいか」
この際、電車の一本や二本、逃してしまおう。最悪、親を呼び出してしまえばいい。
……ウタハにはしばしば、このように「すべてを投げ出す」傾向があった。自暴自棄、やけっぱち体質とも言える。
一度暖かい空間に通された安心感も相まって、テーブルに半身をあずける勢いでリラックスする。
「えーっと、設問は……ひとつ? あなたがトリップ先に選ぶ異世界はつぎのうち、どれ……か。え、なんそれ」
たしかに、さほど時間を取らずとも済むアンケート内容だ。そのわりには待遇が厚すぎる気もするが、ウタハには細かい事情をさぐる余裕などない。
「……んー」
ウタハは気だるげにうなると、手に持ったボールペンですべての選択肢のうえにバッテンを重ね始めた。
(これもビミョー、これも、これもちがうな。わたしの……ウタの望むせかいは……)
ふう、と息をつく。
(どこにもなかったら、どうしようか)