第8話/入り口はこちら③
「――ダークネスッ!」
くすんだ世界に、本日一発目の〈朝焼けの剣戟〉の叫びがこだまする。
合同レッスンに出席するため、昼夜を逆転させることで参加の時間に間に合わせたウタハは少々うろんげな視線を王族の青年へ差し向けた。
「なんかそれ、久々に聞いたなあ……」
(それに、久々にストレスを感じる……)
ウタハは最大限〈朝焼け〉の存在を意識から追い出すことに決めて、あくびをこぼした。それを挑発と受け取ったのか、〈朝焼け〉はむきになって地団駄を踏んだ。
「なんだと? 貴殿から受けた屈辱を、私は一日足りとも忘れたことはないのだぞ! それなのに何故、貴殿を私の編成に組み入れてやらねばならない!」
「組んだのは教師陣だ。納得がいかないなら寮の自室にでも引っこめばいい。すごすごとな」
近ごろはメンタルが安定してきた〈窓辺のすずめ〉が、身分の高い〈朝焼けの剣戟〉へすかさず元気いっぱいに対抗する。それが癇に障ったのか、〈朝焼け〉はいっそう眉をつり上げた。
「はッ……何かな、貴殿は召し使いをいっぱしの星門生と数えるほど友人がいないのかね。彼、極悪令嬢の家来を演じるのに手いっぱいなのでは?」
「すずめくんは友だちですよお。朝焼けくんのほうこそ、今日はひとりなんですね」
「それは同門と組めない決まりになっているからだ! 加えてやつら、自由参加なら出たくないなどと宣いよって……ダークネス!」
〈朝焼け〉は歯噛みし、すぐにまた顎をツンと反らしてみせた。同門のほかに友人がいない実態をあきらかにしてしまったことについては気がついていないようだ。神経質に切り揃えられた、くすんだ真珠色の髪が肩先で揺れる。
「それと、その不名誉な呼び方を今すぐやめたまえ!」
(このひと、怒りのバリエーションだけやたらと多いなあ)
華があってにぎやかだが、しんどいタイプだ。その気配を敏感に読み取ると、〈すずめ〉は主人を後ろ手に庇った。
「武門生の手助けがなくとも、道中の案内ならおれができる。御身の貴い御仁なんだろう。そんなに気に入らないなら、どこか別のところへ振りわけてもらったらどうだ」
「魔族令嬢殿、是非とも召し使いの再教育をおすすめするよ。貴殿ならともかく、品行方正で清廉潔白な私は決まった事がらを無責任に覆しはしないのだよ」
〈すずめ〉は呆れた。そう言うわりにはずいぶんと愚痴を聞かされたような気がする。
「はあ。ウタもそうぇすけど。やることを決めてくれたらその通りにしゃーすよ」
「ダークネス! 良いかね、決められたことをただなぞる行為と、決められたことを厳守するのとでは、その間に大きな溝がある。その意味をよく考えてみたまえ」
「……」
ウタハは口を半開きにして宙を仰いだ。
「え。やっぱしそれ、もう悪口言っちゃったんだからよくないすよ。かっこ悪くないすか、なんか」
「かっ……」
〈朝焼け〉は息を詰まらせ、フリーズした。
「かっこわるい、だと……?」
「言われちまったなァ、第二王子殿下っ」
――そのとき、聞いた人の芯まで震わせるようなシャキシャキとした声が頭上から降り注いだ。
〈朝焼け〉がガバリと俊敏な動作でかおをあげ、ウタハのほうはゆるやかにそちらのほうを振りあおぐ。
「よっ、いきなり悪いな。おとなしく待機してたんだが、あんた達がなかなか出発しないもんで様子を見に参りましたよ」
「待機……」
ウタハは、声をかけてきた背の高い青年の、さらにその後方をうかがった。次に出る予定の――おそらく、最後のグループらしい女子学徒二名が所在なげに立っている。その二人のうちのひとりは、いつか大図書館前の小道で出くわした、特別な雰囲気を身にまとった女の子だ。
(お兄さまは、聖人……とか言ってたな。こういうのにも参加するんだ)
「〈一心の雷〉よ、貴殿は同じ武門生でありながら、無礼が過ぎる! そこの魔族令嬢殿とどっこいどっこいだぞっ」
「あーあーだから、説教はいいから、早いとこ先進んでくんない?」
〈一心の雷〉という、やたらものものしい名で呼ばわれた青年が、大きな手で短く刈りあげられた後頭部をガシガシッと掻く。言動は軽いが、熊のようにガタイがいい。
「道、ゆずりぁすよ。どうせ遅いんで、お先にどーぞ」
「ほほう、これはありがたい申し出だ。ええっとー……」
「〈白銀の譜〉さん」
揉めていると思ったのか、奥にひかえていた二人組が仲間のもとまで駆けつける。すかさず例の少女に地上での名前を言い当てられたウタハは、驚きで少々目を見開いた。
「ウタもわすれてました。たしかそんな名前だったと思いぁふあー」
ついでにあくびもした。
「名前って、忘れるもの?」
「名乗る機会、ないんで……」
学徒と会話することが皆無に等しい生活を送ってきたのだ。万が一、教師かだれかに〈白銀の譜〉と呼ばれても、なじみが薄すぎて振り返れないだろう。
「しかも、長くてめんどくさいし」
「ああ……うん、わかるよ」
新たな理解者を得たとばかりに、聖人少女の瞳がきらりと輝く。それは見紛うことなき金色で、ウタハの心を落ち着かなくさせた。
「なんだい。おふたりとも気が合うじゃねえの。かくいうジュンも――〈純なる詩歌〉もそのタイプなんですぜ、お嬢さん。俺たちみんな、彼女のことは純って呼んでる。純は、俺を一心って呼ぶよな」
「みんなって言ったって……私の調子に合わせてくれたのは、一心とハナくらいのものだけどね」
ウタハとはちがう理由で、〈純なる詩歌〉の視線がそわそわと宙を泳ぐ。それを見咎めてか、〈朝焼けの剣戟〉がため息をついた。
「よくもまあ舐めきってくれたものだな、問題児殿。聖人なら、神秘をしゃかりきに集めるのがお前の使命だろう」
「使命……」
純は、ついには足下を見つめたきり黙りこくってしまった。〈朝焼け〉との対話を端から諦めているような態度だ。
「ま。聞いていれば、ずいぶんと直情的なお方ですこと」
「なっ……?」
そこへ、今まで静かだったもう一人の少女が割って入った。よく見ると、頭の左右にまるっとした大きな耳が生えている。ねずみの耳にそっくりだ。
「のべちゅまくなしに怒鳴りつけてばかり。ちっちゃいころからお偉いと、自分自身が特別だって勘違いしちゃうのね」
「ッ……口を慎め、無礼者!」
「あら。それって自己紹介? まず先にご自分の口を塞いでみてはいかがです、癇癪持ちの王子さま」
こちらの警戒心を削ぐほどの愛らしい容姿とは裏腹に、ねずみ少女はトゲのある視線を〈朝焼け〉に投げかけた。背の高いウタハからすると、少女の頭は相当低い位置にあるというのに、そこから発せられる威圧感は〈朝焼け〉を負かす勢いだ。
「あたくしの紹介が遅れましたわね。あたくし、〈水流の花筏〉と申します。所属は星文になりますわ」
(これ……自己紹介、というよりも)
ウタハはふと、無数の旗が立ち並ぶ荒野をイメージした。そこへ甲冑を纏って睨みあう火刑王子とねずみ少女を配置して、「ああ」とひとり納得する。
〈水流の花筏〉という少女の気合いの入り用は、大河ドラマで目にするような武将の「名乗り」を思い起こさせた。それほどに敵意がみなぎっている。
「朝焼けくん、相当怨みを買ってるみたいぇすねえ」
「ハッ――たわけたことを。怨念などというよこしまな思想を植えつけたのは、そもそも貴殿ら魔族ではないか」
「いや知らないし……答えにもなってないよ」
いびつな笑みを描いていた〈朝焼け〉の頬骨がまた下がる。世間知らずを憐れむような目をウタハに向けて、その口は機械的に開かれた。
「ダークネス! 言うまでもなかろう。私はこの国の第二王子なのだよ」
「はあ。それは……驚きですね」
真珠色の前髪に覆われた〈朝焼け〉の眉がぴくりと跳ねる。いくらウタハと言えど、出くわすたびに濃いめのアピールを繰り返されていたら基本的なプロフィールくらいは記憶する。
〈朝焼けの剣戟〉は、神秘が欠けた地上にて唯一発展を遂げた千年王国の第二王子殿下。
それはわかる。驚いたのは、〈朝焼け〉が――しつこいほどに権威を主張してくる目の前の青年が、「出自」の時点で他人から怨まれていることに自覚的なことだった。
(それなのに、なんでもっと怨みを買うようなマネを……うーん、いいや。聞かない。めんどくさい)
「……で、なんの話でしたっけ。あーそだ、道だ。今度こそ先、進んじゃってください」
「はは、輪をかけてマイペースなんだなァ、あんた。しかし大変助かるよ、うん。……そんじゃ、また後で!」
ウタハの再びの提案に、真っ先に反応を示した〈一心の雷〉は、〈朝焼け〉が引きとめる間を少しも与えずにチームメイトと共に森の奥へと姿を消した。武門生という肩書きに適した、納得の機動力だ。
「……ウタハちゃん」
「おや、すずめくん」
〈純なる詩歌〉の気配が遠のくと、鳥に変化して身を隠していた〈窓辺のすずめ〉が、心なしか気落ちしたようすでウタハの肩に止まった。
「ごめん、また……動けなくて」
「? ……なんだ?」
〈朝焼けの剣戟〉がこの場にいるのを気にしてか、〈すずめ〉がウタハにだけわかるかたちでメッセージを発する。〈朝焼け〉からしたら、愛らしい小鳥にしか見えていないはずだ。
ウタハは〈すずめ〉が乗っていないほうの腕を曲げ、その頭を指先でひと撫でした。
「行けそうなら進みましょおか」
「貴殿のような怠け者に任せてたまるか。指揮は私が執る」
「下がれ。お前に向けられた言葉ではない」
「なッ……うわっ」
変化を解いた〈すずめ〉がウタハの前に躍り出ると、さしもの〈朝焼け〉も目を見開いてのけぞった。
「バケモノめ……」
「そうだ。この地上において、おれは異形のバケモノだ。せいぜい忘れてくれるなよ」
〈朝焼け〉の眉間にシワが寄る。
そんな、自身と似通った物質で構成されているはずの「人間」から嫌悪感を剥き出しにされようとも、〈すずめ〉はもう仄暗い感情に支配されることはなかった。
純粋なヒトでもなく、純粋な魔族でもない。
心を持った怪物として生まれてきたことは、今や〈窓辺のすずめ〉にとって傷ではなく、個性なのだから。
(半端者でいい。おれは、彼女を想っていられる時間さえあれば、何に成り変わったっておれだ)
「行こう、ウタハちゃん。ここから湖までの近道を見つけてあるんだ」
「おー」
「待てっ、この森林公園は王国の管理下にあるのだぞ! よそ者が好き勝手に踏み荒らしていい場所ではない!」
ようやくこの場から動き出そうとした足が再び止まる。出端をくじかれた〈すずめ〉は天を仰いだ。
「――いっっっちいちうるさいやつだな。足をつけなければ良いとでも?」
「魔力を行使するなと言っている! あらかじめ定められた規律に従え!」
〈朝焼け〉は吠えると、事前に指定されたルートをびしりと差し示した。つい先ほど〈純なる詩歌〉たちが通っていった道程だ。
「はあ。わかりぁした」
「しかしッ……本当にいいのかい、ウタハちゃん」
「合同レッスン、なんでしょう。朝焼けくんを仲間外れにするのもなんですし。よろしゃーっす」
「利口な判断だ! だが、よろしくはしない。貴殿らと馴れ合うつもりはないからな」
「……。なぜにあれだけ、偉そうに振る舞えるんだ……」
〈すずめ〉が、最もな呟きをこぼす。
取り巻きもいない、圧倒的に不利な状況下でも、〈朝焼け〉は肩をそびやかせ堂々とした態度で森の中へと踏み入ってゆく。
「目に見えない魔物にでも取り憑かれているみたいだな。偉ぶり魔とか……いるなら、だけど」
「まあ、いろいろ言えますよね。親の七光り、虎の威を借る狐。もっと言うなら、はだかの王さま?」
ふと、ウタハがゆったりとした節回しでいくつかのことばを羅列する。どれも知らない〈すずめ〉は目をしばたたかせた。気にするなと言う代わりに、ウタハはただ、目を細める。
「でも、なんとなく、そういうものではないような気もする……」
〈朝焼けの剣戟〉からは、ふとした瞬間にべったりと色濃く、孤独感や焦燥感がにじみだす。
――実のところ、彼のほうがよっぽど灰にまみれてきたのですよと、樹木のあいだをすり抜けてそよ風がウタハに耳打ちする。
(わたしに告げ口したところで、どうしようもないことでしょうに)
ウタハは、〈窓辺のすずめ〉をともなって無言で〈朝焼けの剣戟〉の後に続いた。
この先の道がどんな洞穴に繋がっていようとも、合同レッスンはまだ幕を開けたばかりなのである。
第8話/入り口はこちら ― 了.




