第8話/入り口はこちら②
「校外で行われる予定の、合同レッスンに参加してみませんか?」
一方その頃、臙脂色の長髪をひとつ編みにしているうさんくさい美丈夫ことカメリアは、サングラス越しの勧誘スマイルを年の離れた妹に差し向けていた。
「なんでかなあ。その見た目で言われると、とんでもなく怪しい誘いに聞こえるのは……」
それを受けて、異郷の兄に負けず劣らずの長い髪をつめたい床へ放射状に広げて寝転がっている絶世の美少女・ウタハは、気だるげなトーンでぼそりと呟いてみせた。
ここのところ常にそばにひかえていたお供の〈窓辺のすずめ〉は、星門の授業に出ているため不在である。
「何も不審なところのない、正式な学院プログラムの一環ですよ。所属を越えての交流が予定されているので、ウタハさんにとって良い刺激になるのではと思いまして」
ウタハと目と目を合わせて会話するべく、地べたに腰を下ろしてカメリアは続けた。見た目の印象に反して、あいかわらず「誠実」の生き字引きのような性格をしている。しかし悲しいかな、覗きこまれると余計に圧を感じた。
「うーん。そうすねー、参加しぁすよ」
「すぐには気が乗らないとは思いますが、きっと出てみたら案外楽し……おや? いま、なんと?」
「だから、でますよ。それ」
説得に時間をかけるつもりでいたのか、カメリアが口を半開きにしたまま停止する。めったに見られない兄のまぬけな表情をウタハは無言で下から観察した。
「お兄さまの思惑は知りませんけど、ガッコ―の外には興味ありますし。利害の一致すね」
「いや、……はい」
「なに。どっち」
何かを言いかけて、カメリアが早々に口をつぐむ。ウタハの追求にも答えず、ただ微苦笑を返した。
「この度の合同レッスンでは、街はずれの湖まで足を延ばす予定です。僕も監督者として参加する手はずになっているので、全力で見守らせていただきますね」
「なんのアピール? おまえは監視付きだぞってことぇすか」
「裏の意図などございません。読んで字のごとく、見守らせていただくだけですよ」
利害も何も、始めからカメリアの抱いている思惑とは「学院全体に恐怖心を抱かれているウタハのイメージを少しでも払拭したい」という親切心による計画でしかなかった。とは言え、ありのままをウタハに伝えるのはどうにもためらわれる。
(あくまで自然に、彼女の人がらが周囲に広まれば……しかし、関わってすぐに通じるものだろうか。むずかしいかな。わかりやすい性格ではないから)
「お兄さま、こっち見過ぎ」
「えっ……これは失敬」
ウタハがごろ寝をやめて、よっと、と弾みをつけて半身を持ちあげる。起き抜けの猫のような伸びのあと、唇の片端を吊りあげたシニカルな笑みを作った。
「まあ、しゃあないね。わたし、美少女だもん」
「…………」
カメリアはたっぷり息を吸って、盛大なため息をついた。
「事前学習として、地図をご用意しました」
ウタハが起きあがったのをチャンスと捉えてか、先ほどまで寝転がっていた床の上に大陸の地図が広げられる。面積に反して、書きこみはわずかしか見当たらない。
「うわー、めちゃくちゃ土地余ってますね」
「新しく国家が築けるほどではなくとも、人が暮らすエリアはありますよ。地方集落、ということになりますが」
「ふーん。暮らしていけてるんだ」
「……大地の加護は失われておりますから、平穏無事に過ごすとまではいかないようで……自然、王国の近辺にぽつぽつと」
カメリアが、ススッと王国周辺に指をすべらせる。土地の大部分が放ったらかしであることに変わりはなさそうだ。
「でも、食べものって結構なんでもそろってますよね。どこで作ってるんです」
「良いところに気がつきましたね! 国家ともなってくると全国民が自給自足とはいきませんから、農地エリアで働く人々と各地を巡る隊商や僧侶の存在が王国での暮らしには必要不可欠なんですよ」
「……」
拍手つきで褒め讃えられ、ウタハは紅い瞳をじっとすがめて真向かいでしゃがみこんでいる兄の相貌を見つめた。
「なんか、教師みたいだなあ」
「教師ですよ?」
「あー、そっか。そうだった……今日はお休みなんですね」
勤勉なカメリアが授業のある日に〈銀狼館〉へ居残っていることはめずらしい。それを指摘すると、カメリアは前髪を後ろへ撫でつける仕草をしてうつむきがちに微笑んだ。
「実際に教鞭を取る立場にはないので、これまでも補佐的な役割を行なっていたのですが……いろいろな事情を加味し、これからは持ち帰りが可能な仕事は自室でやってしまおうと思いまして」
「はあ」
ウタハは曖昧な相づちを打った。
「つまり、ガッコーで浮いてるわけか」
「なんと端的で切ない理解力……」
カメリアががっくしと肩を落とすと、「まあ、でも」と軽やかにウタハは切りだした。
「合同レッスンで挽回できるといいぇすね」
「……そうですね。では、気を取り直して」
皮肉にも兄妹同士、似通った立て直しプランに着地する。カメリアは内心の動揺が気取られぬよう、つとめて平静のペースを保って話を再開した。
「目的地の湖までの道のりですが、まずは裏手門から学院の外に出ます。学院通りを大人数で通り抜けるわけにもいきませんので。……そこから、看板の表示を頼りに進んでいって、王国指定管理区の森林公園を目指します」
「公園?」
「そう呼ばれていますが、油断したらあっさり迷うくらいそのままの、ほぼ手つかずの天然の森林です。気をつけたいですね」
仮にも魔王の息子と娘だ。まかりまちがっても命を落とすようなことは起こらないだろうが、カメリアとしては、迷子になったあとのウタハがどんな行動に出るかが不安の種であった。彼女の魔力量では、森の一部を薙ぎ払ったり、焼き払うくらいのことなど造作もないのだから。
「さて。湖までの移動も合同レッスンの内容にふくまれているので、現在この話をしているわけですが……どうでしょう、地理の勉強はお役に立ちましたか」
「大体は。……要は、行って帰るまでが遠足ってことかなあと。で、着いたらなに、ごみ拾いでもさせられんの」
「いえ、自由課題があります」
「えー……一気にだるくなってきたー……」
嫌なことを聞いたとばかりに、ウタハがぐんにゃりと床に伏す。カメリアは焦った。
「待ってください、眠らないで。例えばですよ、そうだな……草花の採集であれば、その場でそれについての詩を作ってみたり、あるいは種類を見分けてレポートを作成したり、試しに調合してみたり……そういった単純な催しなんです。ほら、楽しそうでしょう?」
「それでじゅうぶんだるいっすよお……」
ウタハは、横っちょの毛先をいじりながらため息をついた。
(自由ってのがな。ちょーむり。超苦手。おかあさんがいたら、コレをやりなさいって決めてくれたのに)
久々に母親の存在が恋しくなる。過保護と管理癖を兼ね備えていた母親の教育方針は、本質的に無気力で怠け者なウタハとある意味で相性がすこぶるよかったのだ。
「あーあ。おかあさーん……ん?」
ウタハが声に出して嘆いた瞬間、その場の空気がなんの前触れもなくピンと張り詰めた。窓の外では小鳥たちが一斉に空へと飛び立ち、樹木はサワサワと雨音にも似た響きでもってざわめく。
「どうかされましたか、ウタハさん」
「どうって、お兄さまが……」
ウタハは何事かを言いかけて、止めた。踏みこむほどの材料がなかったからだ。下から覗きこんでみても、ウタハ自身が与えた贈りものが邪魔をして兄の素顔を垣間見ることはできなかった。




