第7話/影の裏の野心の星の②
「まあ、しかし……いっか、どうでも」
「おはよう、ウタハちゃん!」
もごもご口のなかで呟きながら目を覚ましたウタハに、元気なあいさつで応じるものがひとり。ストロベリーピンクの瞳が印象的な年下の男の子こと、〈窓辺のすずめ〉である。
ちなみに、日の高さはゆうに朝とされる時間帯を通り過ぎ、ランチタイムに差し掛かっていた。
「ふわぁあふ……」
父親に話があるとかで魔界へ帰省中の兄に代わり、家事の一切を〈すずめ〉にお世話されるのにも慣れてきたウタハは、気の抜けたあくびのあとにぐいっと伸びをしてみせた。
そのあくびで生まれた涙を長いまつげがはじいて、きらきら光る。ここのところ毎日のように目にする光景ながら、〈すずめ〉は飽くことなくその一挙一動に見惚れた。一方のウタハは、今日も〈すずめ〉の顔はかわいいなあと思っていた。表面的には似たようなことを考えているふたりであった。
「ウタハちゃん、お腹の具合はどう? 空いてる? ビスケットと、それからジャムを数種類用意してみたんだ」
「あー……じゃあそれ、左の、赤いので」
「赤いベリーのジャムだね、了解」
ウタハの命令通り、口調だけは軽い調子に落ち着きつつある〈すずめ〉が、実に手際よく甘酸っぱい匂いのするジャムをビスケットへ塗っていく。
まるでお姫さまの身支度周辺を整える敏わん執事のような甲斐甲斐しさながら、〈すずめ〉は決して「本日のご予定は……」などとは言いださない。今日も彼女の思いつきや気まぐれに喜んで付き従うのみだ。
それからしばらくベッドの上での無言の食事タイムが続き、〈窓辺のすずめ〉特製の紅茶を飲み終えたころ、ウタハはようやく気だるげに口を開いた。
「そぉだ。今日は、すずめくんのやりたいことをやる日にしましょお」
「……え?」
深紅の瞳が、ひたりと〈すずめ〉に固定される。唐突なウタハからのご指名に〈すずめ〉は案の定うろたえた。
「なんかあります? したいこと」
もちろん、ウタハのことだ。今回の思いつきも、良き友あるいは良き従者である〈すずめ〉に対する日ごろのお礼――などではない。
(考えごとって、めんどくさいや。ちょうどいい、今日はすずめくんのやることを見ていよう。ノープラン・デーだ、ノープラン・デー)
……そう。ただ、一日の計画を練ることすら億劫だっただけ。
これでも「一日中ベッドで過ごす」と宣言するよりはマシだったし、単なる気まぐれとは言え〈すずめ〉にごく個人的な望みをもたらしたことも確かだった。
「やれるなら……勉強、かな」
「べんきょおー?」
「う、うん。おれ、星門のレッスンに出たいんだ……」
ウタハは三度、まばたいた。〈すずめ〉に「学院へ通うな」と告げた覚えはないので、てっきり行きたい日に勝手に行くだろうと考えていたからだ。
「……じゃあ、出たらいいんじゃないぇすか?」
その一言で、〈すずめ〉の表情がパッと輝き、またグラッと沈む。なにか事情があるのは間違いないが、あまりに言いづらそうに眉をひそめているので、自然と話しだすタイミングをウタハは待った。こういうことは、変につつくと問題が長期化しがちなのだ。
「それが、その」
「……」
「カメリア先生の計らいで、正式に星門へ在籍できる手続きが完了して……や、えーっと、ごめん。ここまでは知ってるよね」
「ううん。いま、聞きぁした」
「あ、はい」
正確には、その報告を受けたときの記憶がすっぽり抜け落ちているだけである。〈すずめ〉は気を取り直し、話を再開した。
「まあその、順調なんだすごく。……けど、おれに縄をつけてた特待生と、根本的な決着がついていないことが懸念点で」
「決着?」
「まるごしで行った場合、あいつらがなんらかの罠を仕掛けてくる可能性は高いと思う。それをひねり潰す方法を見極めるまで、どうにも動きづらくって」
「へえ、勉強のじゃまされちゃうんすね。なら、ウタもついていきましょおか」
遠足気分でウタハは言った。
(星門見学ツアーも悪くないなあ。あっちの授業中なんか特によく眠れそうだし……)
さらには、社会生活能力がゼロでも魔力値はカンストという壊れたパラメーターの持ち主ながら、このままでは数少ない友人の用心棒としても使えそうにない。
「いえ、あなたが出るまでもないですよ。おれにはやつらの思惑を出し抜く自信がある」
「あれ、そおなの」
「そう。超ヨユー」
では、何を悩んでいると言うのか。
小首をかしげるウタハの視線の先で、〈すずめ〉はみるみる頬を紅潮させた。
「だから、今すぐってわけにはいかないんだけど、問題が片づいたら、そしたら……ウタハちゃんといっしょにレッスンが受けたくて……どう、かなっ?」
どうやら〈すずめ〉は、少々趣向を凝らしたシチュエーションのデートをご所望だっただけらしい。ウタハが、「うーん」と唸る。
「いいけど……今日でも良くないぇすか」
「……」
〈すずめ〉の瞳が不安げに揺れる。何が「いいけど」なのか、さすがに意図を汲みかねたのだ。
「これから星門に行って、どっちも叶えちゃおうよ。ラクでしょ、そしたら。すずめくんも」
時間は短縮されるだろうが、往々にして、手間を惜しむ道は茨の道だ。
……しかし、ウタハの移ろいやすい「気分」のことを考えると、明日には〈すずめ〉の申し出を取り下げる方向に舵を切る可能性も十二分にある。〈すずめ〉は覚悟を決めた。
「わかった。手段を選ばないなら……やれる」
「うん、授業受けて帰ってくるだけだから。生徒なんだから、当然の権利でしょう」
いまいち意思疎通が図れないまま、ふたりは星門の塔を目指して〈銀狼館〉を後にした。




