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第1話/魔界を質に入れましょう①


「おはようございます、ウタハさん」

「うん? ……おやすみなさい」

「朝食を作ったんですよ、兄妹水要らずでいただきましょう」

「お昼に食べぁーす。おやすみなさい」


 朝も昼も夜もないような石造りの部屋で、棺型のベッドから片時も離れずくつろいでいる美少女がひとり。


 ――ウタハ。


 ひょんなことから謎の力に引き寄せられてかれこれ三週間、彼女は、本来の名を口にのぼらせるものもこの得体の知れぬ兄しかいないという身の上にあった。


(けど、今となってはどうでもいい)


 くあぁ、っと大口を開けたあくび。

 広々とした棺のなかで縦伸びするすがたなど、誰から見ても完全なリラックス状態に映ることだろう。

 ……たくましいことに、現代日本から魂だけを引っこ抜かれて連れてこられた少女・ウタハは、現状を一ミリも悲観していなかった。むしろその逆で、ウタハはある程度の事情を聞き及んだうえで状況を「受け入れて」いる。


(だって……この世界じゃあ、わたしを縛るものは万に一つもないのだし)


 学校、勉強、試験、塾、それから両親。

 円グラフで細かく刻まれたスケジュール通りに動く必要はなくなって、ここにはありあまるほどの自由時間が、それこそ果てしなく広がっている。


「天国か……」

「いいえ、魔界です」


 極めつけに、つきまとってくるのはせいぜい兄を名乗る怪しい男くらいときた。

 目覚めた当初は、ただただ混乱するウタハを取りなそうと三日三晩寄り添ってくれた自称・魔王もいたのだが……いまは影もかたちも見当たらない。


(死んだか……)


 死んでいない。

 ――この通り、魔王の献身むなしくウタハが置かれた状況の大半を把握できていないのには理由があった。

 前提として、現状のウタハがわかっていることと言えば、以下の二点に絞られる。


 その一、ここは異世界である。

 その二、元の世界に帰る手立ては皆無。


 ウタハはこれらのことを察すると、以降は魔王にしろ目の前の男にしろ、聞く耳を持たなくなってしまったのだ。


(受験勉強は、水のあわ)


 ある日、天地がひっくり返った。

 それだけのことで、ウタハがコツコツ積み重ねてきたものはただ一切の価値を失ったのだ。

 その純然たる事実は、ある意味でウタハにつよいショックを与えた。成功と挫折を同時に味わった気分を端的に言い表すと、「最低最悪最高!」だ。


「おにーさん」


 相変わらずウタハは棺から起きあがってこないまま、形式上の兄へ話しかける。


「ええ、朝食は工夫して、甘〜くて食べやすいベリーサンドですよ。それと、呼んでもらえるならお兄様がいいなあ」

「あのー……そんなに頑張って、どうするんぇす」


 ウタハの発言の意図を図りかねたのか、兄が緊張気味に黙りこむ。次いで、その動揺が「におい」となって滲みだしてウタハの鼻を刺激した。……この肉体に「入って」からというもの、五感が研ぎ澄まされきってしょうがない。


(どうでもいいんだって)


 そう念じれば、ウタハはまたいくらか世界に鈍感でいられた。他人の心なんて、眠気の向こうに感じ取れるくらいでちょうどよい。


「……ウタ相手にってことぇす。いらんでしょう、がんばり」


 その眠気のせいで舌ったらず気味だが、ウタハは軽い会話まで億劫に感じているわけではなかった。むしろ、コミュニケーションは今のところの最大の娯楽である。


「ふむ。いいえ、そうもいかないのですよ。君には、なんとか僕の話を聞いてもらいたいので」

「ぅえー……それ、長い?」

「そうでもな、いや、待った。そういうことか。ええっと、長くないです。聞いていた? 今の話」

「え? ……まあ、さすがに。よ、っと」


 継ぎはぎの短い単語を浴びせられ、ウタハはようやく棺からのっそりと身を起こした。寝転がったままだと聞き取りづらいと思ったのだ。


「三週間……」

「は」

「三週間、掛かりました。君が起きてくれるまでに」

(うわ、なんか帰りの会の先生みたいなこと言い出した)


 ウタハは余計わずらわしさを覚えながら、ささやかな達成感を孤独に噛み締めている男のほうを見た。

 ……血みたいに重く赤い、臙脂色の長髪。

 細いまなじりから覗く瞳も同様にぬらりとした赤で、全体的にまっかっかだ。声色から想定される理知的な印象と合致するようで合致しない。その「ズレ」が、相対者に不気味な違和感を与えている。


(でも……)


 意外と骨太な体格には頑健さと堅実さが現れているし、髪は几帳面に編んであるし、それに彼の語りはいつも非常におだやかなのだ。美丈夫、と称していい。

 ……どうも苦労の星に生まれたひとっぽいなあ、なんて適当なあたりをつけてみる。


「……で、はなしって」

「ああ、失敬。できるだけ短く伝えるので、聞いていてくださいね。その後に食事に致しましょう」

「わたしは幼児か。……幼児だあ」


 なにしろ、この世に降り立ってまだ経ったの数週間だ。幼児どころか赤子に等しい。


「いいですか、聞いてくださいよ。まず、ウタハさんには役目がありまして、ですね」

「ぅえ? そんなん聞いてないぇすよ」

「聞いていなかったみたいなので話しています」


 ごもっともだ。


「ウタハさんがいま動かしているその肉体は、我らが父たる魔王陛下がその役目を果たすために生み出されたものです」

「趣味じゃないんだ」

「お父様も暇ではありませんからね。造形にこだわっておられる点は否めませんが」

「趣味でもあるんだ」

「その役目というのが、重要なんです。いいですか、いまから言いますよ」

「はあ」

「地上世界の学院に通ってもらうためです」


 沈黙。

 のち、

「おやすみなさい……」

 ウタハは役目を放棄した。

「あっ。待った、ちがうんです、重要なのはさらにここからなんです、まだ起きていてもらわないと!」


 こうして、本日の説得タイムは失敗。ウタハは目と心を閉ざし、本格的に二度寝を決め込んだのだった。


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