第6話/けれど、まばゆく灯るもの③
翌日、カメリアは〈王立学院大図書館〉へと向かった。
学院本館が広大な敷地の中央に設立されているのに対し、大図書館はそのさらに奥、東がわの森にあるため、〈銀狼館〉から通うとなれば、それはかなりの遠距離移動といえた。
……かねてよりカメリアは、まるで巨きな身体を隠すために森の中へ根を下ろすことを選んだ慎ましい巨人のような大図書館の佇まいが好きだった。それこそ、多少の不便さに目を瞑れるくらいには。
(ああ、いつ来ても良いところだ……この区分だけ森林に囲われているのもまた、興味深い)
通称〈塔の森〉と呼ばわれるくらいだ、ぐるりと高い塀で囲まれた学院を外がわから見物すると、目立つのは荘厳な塔の先端ばかりで、樹木は突き出していない。
もちろん、ひとたび学院内に足を踏み入れると、草木や花々をそこかしこで見ることができるものの、学び舎たる建物周辺は見晴らしが良いように整地されていた。ゆえに、景観を褪せた緑で覆われている大図書館はそれだけで異様だった。
そんな大図書館へと続く小道を歩む最中、カメリアはふと人影を見た。背の高いシルエット、鮮烈なまでの存在感――。
「ウタハさん?」
ふっ、と、カメリアの頭のなかにひとつの像が浮かびあがり、戸惑いを動力源にして小走りで道の先へ進む。その甲斐あってか、ほどなくしてそのうしろ姿を捉え、カメリアはもう一度声をあげた。
「ウタハさ、……」
(ーーいや、ちがう)
勘違いを引き起こした自身の直観を疑ってみたくなるほど、軽やかな身のこなしでこちらを振り向いたその少女は、ウタハとはタイプがまるきり異なっていた。
……薄手の生地の衣はどう見ても夏仕様の礼服、風に巻きあげられた色素の薄い長髪はクセひとつなく、前髪を真んなか分けにしていることで惜しげもなくさらされた広いひたいなんて、周囲に清涼感を与えること必至だろう。
極めつけに、瞳は金色に輝いていて――。
「ぐ……ッ」
瞬間、眼球の裏がわで火花が散り、カメリアの視界から強制的に光が失せた。
同時に、両の眼が灼熱を流しこまれたかのような尋常じゃない痛みを訴え始め、その衝撃による強い目眩と吐き気に耐えかねてカメリアはとっさにその場へしゃがみこんだ。
(まずい、怯えさせている……)
そんな中でも、前方に立つ少女の動揺を読み取ると、カメリアはなんとか苦痛をこらえてことばを絞り出そうとした。
「あれ、お兄さま」
「……!」
如何にも気怠げな、温度の低い声……斜め後ろから掛かったその声は、今度こそウタハのものだ。
「ん……そこに、誰か」
一歩を踏み出したがための枝を踏みしめる音が、パキンと鳴る。……ウタハが、少女と相対した。
「誰か……いる」
そこでカメリアは、とめどない冷や汗が自身の背中をぐっしょりと濡らしていることに気がついた。
不意打ちだったのもあってか視力は未だ復活の兆しを見せず、しかたなくその他の感覚器官に魔力を分配し、ウタハと少女の立ち位置、姿勢、表情までをも把握する。
(二人はただ驚いているだけだ……何に? 互いの存在に。なぜかは知らずに)
この場でひとり、ひとつだけ思い当たる節のあるカメリアはただ固唾を呑む。桁外れの魔力を持つウタハに緊張を悟られないよう懸命に心音を整える。
(僕は……僕は、なぜなのか知っている。では、どこで知った? ……誰から?)
「……お兄さま、目。どうかしたんですか」
何を思ったか、少女に話しかけるのを諦めたウタハが、間の悪いタイミングでカメリアに駆け寄ってくる。それを合図に少女も俊敏な動きでどこかへ走り去ってゆき、不幸中の幸いと言うべきか、脅威はひとつに絞られた。
「ああ……不甲斐ない、油断しておりました。道中で聖人に出くわすとは」
早いところ、論点を一箇所に定めておく。今しがた散らかされて、整理できていない引き出しをほじくり返されてはたまらない。
「え、なに、ナンパ? そんで目潰し食らったとか」
「目潰しには違いありませんが、ただ目が合っただけですよ……彼女もきっと予期していなかったはずだ」
ようやく視力が回復してくると、カメリアはよろめきながらも立ち上がった。まだ頭痛がして、眉間をぎゅっと指先でつまむ。
「ウタハさんは、なんともありませんか」
カメリアから見て頭ひとつぶん低い地点にいるウタハが、ゆっくりと瞬きをする。普段とは種類のちがう沈黙を不思議に思っていると、その肩に小鳥が降り立った。〈窓辺のすずめ〉だ。
「助力かなわず、申しわけございません」
「無理からぬことです。君はどの辺りから近づけなくなりました?」
カメリアの発言を受け、うなだれていた小鳥は軽く羽根を震わせることでウタハの肩から離れると、すぐさま青年のすがたに転じた。肌は青白いが、その他の異常は見られない。
「情けないことに、ウタハさ……ちゃんが先刻まで留まっていた地点、その樹上から降りられず。先生、アレは一体――いえ」
〈すずめ〉は、その先の発言をためらうように口ごもった。
「天界は、地上を見放したのではないのですか?」
鋭く、的確な指摘だった。
〈すずめ〉は自身の出自に関して曖昧さを抱えているが、あの魔眼の質から考えても十中八九、親の片方は魔族だろう。身体の成長が地上人類と大差ないのは、彼が述べた通り、地上の血が混ざっているから。ならば、カメリアのようにうっかり〈聖人〉と目を合わせても、本能的な拒絶反応が生じても光に焼かれることはない。
では、ウタハはどうか。
ウタハがあの少女と対面しても何ら影響を受けなかった理由の大元を知るには、一度「器」の製造主である魔王陛下を問いただす必要がある。推論は立てた。でも、それをウタハの前で語るわけにはいかない。
「天上の方々は、人界を見放したわけではありません。試されているのです」
また同時に、魔界のトップに近しい立場にあるカメリアに説明を求める〈すずめ〉の行動を無碍にするわけにもいかなかった。
「現状の地上世界が、魔族が過ごしやすい環境下にあることは間違いないです。鮮明さに欠け、神秘は砕け散った……」
なるべく平板なトーンでカメリアは語りを続ける。これらの事情は、カメリアが地上にて僧侶の職についた理由にもつながっていた。
「ただ、その後の地上の営みをも天界は見ておられる。武門が、星門が、文門が、何を目的にしてつくられた学問なのか、すでにあなた方はご存じでしょう」
「〈純世界に至るための詩作〉……」
ウタハが、ぽとりとつぶやきを落とす。反面、〈すずめ〉は居心地が悪そうだ。
「ウタハさんがおっしゃった事柄は、文門の理念にあたりますね。覚えてもらえていて兄はうれしいですよ。……その通り、神秘の回収をはかり、〈純世界〉の再編を目指すのは、天界との縁を取り戻すためなのです」
「し、しかし」
区切りの良いタイミングで、〈すずめ〉がバッと挙手をする。星門での学びと魔界での伝聞とで、思考がこんがらがっているようだ。
「星門では表立っての理念は形骸化していて、人の世の自立を目指しているんです。っていうか、一千年前、天界を裏切って魔界と手を結んだのは地上人類のほうなんじゃ?」
「え、マジで」
「なッ……え、まさか知らないのか!? あなたが!?」
ウタハの思わぬ相づちに、〈すずめ〉の丁寧な口調が崩壊する。説明を省略した張本人たるカメリアはそっとまぶたを伏せた。
「おれはてっきり、どこも建前で天界にご機嫌取りしてるもんだと」
「その点については、指導者の方針によってかたよりが出ます。現国王陛下が天界との関係改善に精力的な方なのでしょう。しかし、此度は確かな理由があるようだ」
ひと通り話し終えると、カメリアは乱れた前髪を片手でグイッと掻きあげた。
一千年王国、〈聖人〉の存在、ウタハの存在。
気を引き締めていないと、カメリアが僧侶を続けるより「可能性」がありそうな条件の揃い具合にいまにも笑い出してしまいそうだ。
(チャンスが巡ってきたことを喜ぶべきなのか……)
「とりあえず、一旦帰りませんか」
その一方で、ウタハがつまらなそうにあくびをする。先ほどの話なんて半分も聞いていないであろう態度に苦笑をこぼしつつ、カメリアは来た道を引き返そうとした。
「すずめくん、寮までの案内をお願いしぁす。このひとはウタが担ぐんで」
「仰せのままに」
「は……」
どういう了見かを問う前に、大荷物よろしくむんずと肩に担ぎこまれる。隠された妹の怪力に面食らううちに、カメリアの身体はすでに宙を浮いていた。
「とん……、え、跳んでます!?」
「ははは、やばー、高ぁー」
一生懸命に先導する〈すずめ〉を追うため、ウタハが恐ろしいほどの脚力でもって加速する。
魔力のコントロールについて何も習っていない彼女に力の加減なぞできるわけもなく、一歩踏みしめるごとに地面にはドカンと大穴を開け、樹々をメキメキ薙ぎ倒していく。
当然ながらウタハが通った跡には竜巻きもかくやの惨状が広がり、今後より一層の悪評が立つ未来を決定づけていた。
――時間にして一瞬、体感にして永遠の運行は、〈銀狼館〉の手前まできてふわっと停止。生まれてこの方、他人に身を預けて運ばれる経験をしたことがないカメリアは、荒ぶる心臓をこらえてなんとかその場に降り立った。
「なんという、無茶を……」
「や、体調悪そうだったんで」
「いまが一番悪いくらいです」
「よーし、部屋で休みやしょう」
ウタハがやりきった顔をして、改めてカメリアに肩を貸す体勢を取る。ことば通り、部屋まで送るつもりらしい。
「ひとの心配する前に、目がやばいとか立ちくらみしんどいとか、言ってくださいよ。ちゃんと」
「……」
「ほら、また受け流す。まあいいけど」
ウタハの赤い瞳が、不満げにカメリアをうかがう。……その場においてカメリアが二の句を告げられなかったのは、何も受け流すためではなく、発言の処理に時間を要していたからだ。だから、自室の寝台に座ってようやくカメリアは慎重に口を開いた。
「僕は、君に心配を掛けたんでしょうか」
「はい」
かったるそうに両肩をぐるぐる回して身体の調子を確かめているウタハと、どう向かい合うべきか悩んだ結果、カメリアはなぜか真顔になった。
「ありがとうございます」
「…………」
今度はウタハが黙考する。それぞれがお互いのことを考えて行動しただけのはずが、どうしてか気まずい。
「……ハイ」
早くこの空間を脱したかったのだろう、ウタハはなんとか返事をすると、二の腕をさすりながらカメリアの寝室を後にした。
翻ってカメリアは、その扉が完全に閉じられた後も、熱心にウタハの去っていった方角を見つめ続けていた。




