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第5話/ウタハ、すずめをファムファタる④


「……間違いなくこれが、魔王の娘についての記録なのだね?」

「ええ、はい」

「この、日がな食っちゃねぐうたらのものぐさが、魔王の娘だと?」

「ええ、ですから、はい」


 あれから数日間、〈P-04〉はターゲットである魔王の娘の元へ通い続けた。

 ターゲットはそれはもうよく眠り、また話し相手を欲していたのかよくすずめに語りかけた。すずめとして過ごす時間も徐々に延びていき、そのおかげもあってか報告書に記せることは多かった。が、弱点や機密情報といった有益な発見は今のところ得られていない。むしろ、彼女が重大事項を握っているかすら怪しい。


(魔力が強大なことに間違いはないが……)


 いっそ、彼女に張りこむより彼女の兄を追いかけたほうが実りはありそうだ。指令以上の労働をする意欲が〈P-04〉にあればそうしていただろう。


(あっちを張ったら本気で殺されそうだし)


 現ターゲットのフィルターを通して垣間見る魔王の嫡子は案外おだやかで親切な人柄をしていたものの、身内以外にもソレが発揮される保障はどこにもない。

 よって、〈P-04〉はいつもの如く息をひそめ、司令塔である特待生の反応を待った。


「……まあいいさ。腑抜けであることが判明したんだ、少々手荒な手段に出よう」

「は、手荒な……とは」

「ほんのあいさつ代わりだ、お香を練りこんだ手紙を例のぐうたら娘へ届けてもらおうか。なに、君も掛かったことのある罠だよ。効果はよくわかっているだろう」


 暗やみのなか、〈P-04〉がぴくりと片眉を跳ねあげる。それから夜目が効くのを良いことに、薄ぼんやりとした灯りの下に立つ特待生の全体像を視界へ収めた。まるで、真実の敵でも狙い澄ますかのように。


「ああ、すまないね。半人半魔でどこにも居場所がない君は、いずれにせよ我々の手駒になる以外の道はなかったのだった」

「……はあ」

「気を落とさないでくれたまえよ。身のほどをわきまえて自ら鎖にかかる賢い生きものは嫌いじゃないんだ」


 〈P-04〉は沈黙を守った。差し出された悪巧みのための手紙も受け取る。そのままきびすを返した背中へ、何てことのないついでとばかりに声がかかる。


「あとソレ、文門生徒による手紙って設定になってるから。呆れるほど愚鈍な小娘でも侮辱に腹を立てるだろうね! きっと乱暴を働くんじゃあないか。……これが、陛下の目を醒まさせる一環になれば良いのだが……」


 話の後半部分は特待生の希望を含んだ独白だったのだろう、もう〈P-04〉の存在など忘れて宙を睨んでいる。一方で〈P-04〉はすずめに転じ、深い夜の底へと潜りこんだ。





 〈P-04〉と呼ばわれる以前、男は地上と魔界とを転々としていた。「どこにも居場所がない」というのは事実だが、半人半魔……地上人類と魔の一族の混血であるかは定かではなかった。男は孤児だったのだ。

 そうして誰に育てられるでもなく魔界の深き森にて生き延び、物心がつくころには「己は魔界の生まれだ」という自認を得た。

 しかし、住処としていた森から一歩外へ出てみると、如何なる集落においても男は必ずつま弾きにあった。印象的な瞳を除き、くすんだ色合いの毛髪などの身体的特徴があまりにも地上人類に似通っていたからだ。

 だから男は、己が存在を変質させる術を身につけた。力任せの破壊行為は不得手だったが、針穴に糸を通すような緻密な工作はうまくやれた。

 自我を曖昧にし、その場その場の最適解とされる隙間へ潜りこむ。ボロが出たらいち抜ける。そうやって生き延びてきた矢先、男のもとへ地上の王立学院に忍びこめるチャンスが舞いこんできた。当初は衣食住の確保を理由にしていたが、本質的には教養を身につけることに憧れを抱いていた。

 その願いが仇となったのか、男は秘密裏な研究を進める星門所属の科学者たちの格好の餌食となり、とある厄介な洗脳を受けてしまったのだった。


(ニオイによる束縛行為……あの人が、あんな小細工に引っかかるとは思えないけどな)


 魔界生物は、地上人類より圧倒的に五感が鋭い。星門のトップ集団はそれを逆手に取り、魔界生物を従える方法を日夜研究している。大概は魔界の植物や動物に試すものだが、それが人体にまで及んだ例が〈P-04〉だった。


(おれは中途半端な存在だからやられたんだ。いくらだらしがなくても、あの人の威厳は本物だった)


 頭では司令官を軽蔑しながらも、くちばしにくわえている手紙を捨てることもできず、すずめは〈銀狼館〉目がけて滑空する。脳裏に思い浮かぶのは、必然とターゲットの少女のことばかりだ。


 すずめを相手に、彼女は本当によく喋った。


 寝室の窓辺を訪ねた次の日にはすずめのための小皿が用意されるようになり、それを〈P-04〉が突いているフリをしているあいだ、ターゲットの口から取り留めもないことが滔々と語られた。

 ローテンションで、退屈そうな、弾みもしない、ひたすらになだらかな声音。


(話題も、兄と課題とおやつとねむいの繰り返し……でも、あの声はよく耳に残った)


 カーテン越しだったこともあって、時々気だるげに小冊子を読みあげるターゲットの低く静かな声は〈P-04〉のなかで容姿よりも色濃く印象づいた。


「これは……予想外だな」


 ほのかな感傷とともに窓枠に留まってしばらく、だだっ広い部屋が空っぽであることに気がつく。

 居眠り姫の気配が霧散している……。

 思わずぽとりと取り落とした手紙を慌ててくわえ直し、すずめは上空からターゲットのすがたを探した。


(勘づかれたか? そんなまさか)


 ふと、〈銀狼館〉からそう離れていない憩い場の庭園に横倒しの人影を見つけ、サッと血の気が引く。地べたで大鴉の翼のように広がって波打つ黒髪は紛れもない彼女のものだ。小さなからだで勢いよく降り立つと、ターゲットはあっさりと目を開けた。造りものめいた皮膚も確かに息づいている。


「おや、すずめさん……すずめ? こんな夜更けに……」


 ターゲットはのろのろと半身を起こし、そばでじっとするほかないすずめを見つめた。こんな近距離まで接近するのは初めてで、〈P-04〉は内心で冷や汗を掻いた。


「まあ……そういうこともあるか」

(本当に大らかだな)


 ターゲットは長い脚を折りたたむと膝を抱え、ちょっと小首を傾げた姿勢ですずめの観察を続行する。それから、わずかに口を開いた。


「なつかれてる……のかなあ。よく遊びに来るすずめさんでしょう」

「……」

「なら、お礼を言おうかな。すずめさんとお話ししたおかげで、ようやく理解してきたんすよ。学問の種別くらいぇすけど」


 ターゲットは、どこかうわの空な調子で喉を震わせる。いつもと同じだ。窓越しの会話の、その続き。


「文門が文系で、星門が理系で、武門が体育会系。ね、お兄さまの資料のおかげでもありぁすけど、やっと噛み砕けてきてて。ヤバくないです? 星門とか星ぇすよ。響きが詩的だから、文門と何がちがうの〜とか思ってたや」


 そういえば、と〈P-04〉も王立学院の存在を知ったときのことを振り返った。ターゲットの話す文系だか理系だかが何を指すのかは判然としないが、「星門」と聞いてイメージしたものはもっときらきらしい世界だった。境界を越えて地上に出たとき、心を慰めたのは星々の輝きだったから。


「そんで、せっかくなら学院のいろんな場所を実際に見てみようかなあって思ってて……そろそろ自習にも飽きたし、文門に行っても詩が書けるわけでもないし。お試しにこのへん散歩してみたら、至るところに休憩所があるってわかって」


 ターゲットが、ほのかに口もとをほころばせる。


「わりとおもしろいね、ここ」


 ……夜目が効いていて、損をした。

 揺れる心をごまかしてうつむくと、ターゲットの腕がすずめへと伸びる。避ける間もなく、くちばしの先の手紙が回収される。


「ところで、これって誰宛てなんすか?」


 ターゲットは手紙をくるくるっとひっくり返し、宛先に〈白銀の譜〉とあるのを見つけて動きを止めた。当然、赤黒い封蝋に手が伸びる。


「ッ、待って!」

「えっ」


 咄嗟だった。

 気がつけば〈P-04〉は変化を解いていて、地面に膝をついた体勢でターゲットの腕を掴んでいた。数センチ先に彼女の鼻頭があり、思いきりのけ反る。手脚の関節がギクシャクと強ばった。


「そ,その手紙っ。開けちゃだめだ、罠が仕込まれてて……その、罠って言っても、あなたが引っかかる程度ではなくって。ッ、でもダメだ、万が一ってあるだろっ?」


 ここまできて退(しりぞ)くわけにもいかず、〈P-04〉は、自分でも情けなくなるくらい舌をもつれさせながら必死にターゲットへ手紙を手放すよう訴えた。本来のすがたで人と話す機会がほとんど無かったために、うまく自分を取り繕えないのだ。


「えっと……すずめさんはどこに?」

「すずめはおれだよ!」

「マジか。え、初めて見た、すずめ人間」

「すずめ人間!? こっちこそ初めてだ、そんな解釈……」


 反面、ターゲットは人の調子を狂わせる術に長けていた。〈P-04〉が狼狽するあいだにも、封蝋をカシカシと指先で危なっかしくいじっている。


「と、とにかく! その手紙、開けちゃダメだ。これまで監視してたことと危険だってわかっててソレを運んだ処罰は受けるからっ、て、ああっ」


 ぱらり。

 〈P-04〉の忠告むなしく、手紙の封が切られる。そこから引き抜かれた便箋には薬品が染みこんでおり、〈P-04〉の嗅覚まで刺激する。


「……ッ」


 ザワリ、と肌が総毛立つ。生理的に不快な異臭に、脳が危険信号を鳴らす。反射的に距離を取り、そこでようやくターゲットの顔をまともに見た。


「うぇ」

「ま、まって。おれ、消臭の薬品持ってるから……その、嗅いでしまったら一時しのぎにしかならないんだけどっ」


 かすかに眉をひそめるターゲットを見て、大慌てで腰に提げたポーチを漁る。探り当てたスプレー式の消臭薬を取り出したと同時に、目の前で封筒と便箋が同時に消し炭と化した。


「あー、臭かった……すずめさん、だいじょぶ?」

「え」

「いや、なんかまだ視えるなあ。あんまりひどいとニオイって目に見えるんすねえ。すずめさん、こっち」


 手招かれるままに恐る恐る近寄ると、ターゲットの手のひらが〈P-04〉の頬に触れた。それだけのことで、フ、とからだが軽くなる。ずっとこびりついて離れなかった異臭が、嘘みたいに雲散霧消した。


「これでよし……、っと。ぁはは、困ったイタズラぇすねえ。家燃やされるよかマシだけど」


 気分を害されたようすもなく、ターゲットは呑気にあくびをこぼす。星門トップの計略など歯牙にも掛けないその態度は、気ままだからこそおそろしい。畏怖と、尊敬と、それから言いようのない想いの数々が〈P-04〉の胸を締めつける。


「始末、してほしい」

「ん?」

「おれ……おれを、処分してください! あなたのような偉大なお方に逆らったんだ、もう生きていられない……!」

「え、なに急に。どゆこと?」


 〈P-04〉は、土草が前髪に張りつくのも気にせずに深く叩頭した。心臓がドクドクとうるさく脈打っており、「絶対服従」の四文字が脳内を埋め尽くす。運命だと思った。決まった相手へ恭順する、そのむせ返るほどの甘美に胸の高鳴りが止まらない。


「あのー……」

「はいッ! 火炙りでも水責めでも!」

「いや、興味ないからそういうの。それよりすずめさん、名前は?」

「ありませんっ」

「……ありません?」

「孤児で、森で育ったから不要で」


 ちょっとの沈黙があって、少女の腕がまたも名無しの男へと伸びる。頭を強制的に持ち上げられ、視線が交わる。


「じゃあ、すずめさん。すずめさんは、行くところがないんですか」

「行くところ……」

「ないなら、うち来る?」


 息を呑む。福音とはこれを言うのだ、と男は本気で思った。あまねく星々のきらめきなど目に入らないほど、彼女はやさしい影となって男を包む。求めていたものの輪郭があきらかになろうとして、いる。


「いや、でもっ」

「ついでに、ぎゅうー」

「……!!」


 そっと手を引かれ、気がつけば男は少女の腕のなかにいた。ふかっとした弾力のあるふたつのふくらみに迎えられてわけもわからず心が温まる。

 ハグ、抱擁、抱きしめる。何とだって言い換えられる生きもの同士の触れあいが、男の張りつめた心をほぐしていく。その柔い刺激は涙腺にまで及び、視界がぼんやりと霞む。


「うーん……すずめさん、年下でしょ?」


 その頭を抱えたまま、魔王の娘なりの直感で少女が言った。男は顔があげられない。


「い、一応、星門の高等部生ですが……正しい年齢はわからず……」

「ウタ実は十八なんぇすよ。脳みその問題でかろうじて一年からやってて」


 またまた頭を持ち上げられる。恋する青少年と化した男は、もう成すがままだ。


「推定だとー……十六歳くらいか。そのわりには背ェ高い? ちょっと立ってみてください」

「はひ」


 ふらりとおぼつかない足取りで立ちあがる。少女も同じようにしゃんと立ち、胸をすくうようにして腕を組んだ。


「ウタよりちょっと高いくらいか」

「お望み通りに伸縮自在ですっ」

「ん? いや、別に……ちょうどいいぇすよ」


 そこまで言って、依然と気だるげな少女はフフと不敵に笑った。見つめられた男はもじもじと身をよじる。


「よーし、かわいい顔のお友だちゲット。わたしのことはウタハって呼んでください」

「と、友?」

「したでしょう、親愛のハグ」


 男は耳まで真っ赤になる。それから、汗ばんだ額にぱらぱらと散る色素の薄い前髪がうっとうしいのを言い訳に、耐えきれず片手で顔面を覆った。


「お兄さまに自慢しよう。じゃあ、帰りましょおか」

「……おれのような罪人が、本当に着いていっても構わないのですか」


 暗がりの只なか、ストロベリーピンクの双眸が揺れる。それに対し、少女は掴みたければ掴めというような素気なさで片うでを振りぬく。よって男は、悩む間もなく両手を使ってそれをとらえた。



 ――以後、彼女の庭へ迷いこんだ一羽のすずめの顛末は、のちに彼女が背負いし宿()()()()()を決定づけるものとなる。



第5話/ウタハ、すずめをファムファタる ― 了.


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