第5話/ウタハ、すずめをファムファタる②
「あれは嘘です」
「どれのことぇす?」
真心を売りにする兄のめずらしい罪の告白に、地べたへ寝転がったウタハは爪をいじりながら応じた。ぼやけた色の蝶々が舞う中庭にて堂々たるサボりである。
「先ほどの、詩作の一件のことですよ。不安要素がきっちり当たってしまってね……うまく騙されてくれるとよいのですが」
「え、なになに。なにやったんすか」
「やったというか、起こったというか」
口もとに人差し指を当てがって、カメリアはしばし考える。学院に通いはじめて一日と経たないうちに脱出を図ったウタハの耳に、果たして己の声が届くのかどうか。
「……魔力の根源が破壊である、という話をしたことを覚えていらっしゃいますか?」
束の間の迷いに逆らって問いを投げかけたカメリアの心境を知ってか知らずか、幸いにもウタハが小さくうなずきを返す。
「うん……それが?」
「それに尽きます。それだけなんです。魔力という代物は、神秘を集めるどころか、神秘を片っぱしから砕いてしまうのです」
ウタハは、蝶々の動きを目で追いかけてしばし、ゆったりと口を開いた。
「じゃあレッスンとか意味ないじゃん……」
ご最もだ。
しかし、カメリアは「詰み」ともいえるこの状況においての打開策を握っていた。伊達に長く地上で僧侶をやってきたわけではない。
「いいえ、文門で行うことは何も詩作に限られません。むしろ、詩作の土台となる資料を読みこむ時間のほうが長いはずです」
「でも、それって詩を書くためにやることでしょ。いいんすか、結果残せないのに居座って」
ウタハにしてはめずらしく、わずかながら熱のこもった反発が飛び出る。
「父にとっては十分な結果でしょう」
だが、カメリアも退かなかった。
(彼女は……やはり、結果にこだわる傾向にある)
ウタハという少女が、面倒を避けるためだけの言い訳を探しているわけではないことを、徐々にだがカメリアは察しつつあった。彼女は、結果のない過程を厭うのだ。元いた世界のように、ここで学んだことが身にならない「可能性」を考えて、ためらう。
(異世界から呼びつけてしまった魂……か)
魔王が起こした事態とはいえ、彼女の身の上にはカメリアも責任を感じざるを得なかった。寝転ぶウタハの鼻頭には、灰青の蝶が止まっている。
「ちょうちょって……間近でみるとかわいくないなあ!」
「そもそもかわいいんですか?」
「えー……まあ、かわいいってかキレイの部類なんすかねえ」
寄り目で蝶々を観察していたウタハが、よいしょと言って半身を起こす。すると、蝶々と名のついた昆虫はひらりひらりと舞って飛ぶ。
「……蝶々は、意外とキモい。たぶん、毒を持った害虫だ」
その軌道を眺めるだけながめて、ウタハはとんでもないデタラメを吐いた。
「そう詩に書いたら、そういうモノになっちゃうんすか」
宙をさまよっていたウタハの視線が、ふいにかちりと定まる。その先にはカメリアのくちびるがあった。中庭の蝶々は未だふたりを取り囲んで自由自在に揺れている。カメリアは息を吸った。
「……どうでしょうか。実は、僧侶として修行を積んでいたときも、魔力が影響しそうな事象には避けてきたのです」
「ほー」
「ひとつ言えるのは、図録で確認できた蝶々ではなくなるかと。たとえば解説を読んでみても、そこにある図画と解説とが結びつかなくなるでしょうね」
「あー、改造されたウィキペディア的な」
「……?」
通じないたとえにカメリアが首を傾げる。毎度のことながら、それでもウタハは補足する素振りをちっとも見せなかった。考えても仕方がないので、カメリアは話を続けることにした。
「しかし、そこまで直接的に意味を与えようとする謳い方だとうまくいかないかもしれませんね。蝶は有害だ、と暗に大衆が解釈できるような綴り方をしないと」
「ますます勉強しないほうが国家のためになるような……」
やわらかい風がひゅうるりと中庭に吹きこむ。授業の終了を報せる荘厳な音色のチャイムが辺りに響き、ウタハが立った。
「寮に帰りぁす」
「ああ、そうだ。燃えた部屋ですが、思いのほか改装に時間が掛かってしまっていて。今日中に済むと言った手前非常に申しわけないのですが、しばらくサロンでおやすみください」
「え、いいんすか」
「やむを得ない状況ですし……野外で仰向けになられてるほうが気になります」
兄のことばに軽くうなずくと、ウタハは気だるげに三歩進み、それから止まった。
「どうされましたか」
「お兄さま、帰り道おしぇーて」
「……案内するので、覚えてくださいね?」
甘やかすのもほどほどにすべきなのか。教育方針に悩みを抱きつつ、カメリアは結局〈銀狼館〉の扉の前まで手のかかる妹を送り届けた。




