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プロローグ

 雪に覆われた大地を、軽やかに駆ける騎馬がひとつ。

 笠を目深に被ったその男は、ここへ来た大義名分を胸に抱えていながらも、久方ぶりに目にする実家の門構えを見て心なしか気分が高揚するのを抑えることができないでいた。

 ……ただし、その先に見えるものは、そっけない、廃れた寺院である。お世辞にも人が住める環境とは言いがたいレベルの。


「ンッククク……おっと、いけない」


 その光景にあまつさえ郷愁を覚えている男は、喉の奥でひとしきり笑い声を立てると、ようやく騎馬から降りる。

 それから顎にかかった紐をほどき、頭上を覆う笠を外した。

 鮮血――におぼしき赤赤とした長髪が、風をはらんでふうわりとふくらんで……はらりとひとふさ、顔にかかる。

 男はぐいっと手の甲を使って前髪を撫でつけ直すと、笠と騎馬を「畳ん」で荷物にまとめた。


「よし、行こう」


 それで今度こそ本当に、門をくぐる。

 世界を覆うフィルターが、切り替わる。



 ――カシャッ。



 雪が止み、まず立ち現れるのは白銀だ。

 地面だけでは飽き足らず、天上に至るまで白銀を溶かし込んで固めたがために荘厳を越えて息が詰まる故郷の風景を、男は感慨深く見回す。


 ――魔界。


 男が踏みこえた境界線の果ての名を、あるいはそう呼ばわるものもいる。

 瘴気がはびこっているだとか、どこまでも闇夜が続いているだとか、どこからともなく叫び声がこだまするだとか……うつし世の住人がイメージするおどろおどろしい雰囲気とはえらく異なっているものの、静謐としたこの光景もまた常人の心程度ならバッキリへし折ってしまうだろう。


「もしや……そのお姿、カメリアさまにあらせられられれ!?」

「おや、カウベルさん。おはようございます。ご無沙汰しております」


 ……と、そこへ、単身で飛びこんできた二足歩行の巨大な白銀の怪牛・もとい門番が、勢いのままに男へ向かって平伏する。


「なんだか、カメリアと呼ばれるのも久しいな。僕はね、あちらで〈雪原の椿〉という名で通しているのですよ。ンクク、詩情に富んでいるでしょう」

「は、はあ」

「さてと、世間話はこれくらいにしておいて……魔王陛下のご要請のもと、馳せ参じました。父はいずこに居られるのかな」

「ヒッ! い、いえ、そうですよね。それなんですけど、実は、そのぅ」

(……歯切れが悪いな)


 胸中でそんなことを思って、カメリアは一重のまぶたをさらにすがめた。

 責めているわけでも追い詰めたいわけでもないのだと、今にも気を失いそうなほど顔色が悪い門番に言い添えておきたいところだが、何かがおかしい。

 現状の門番の慌てっぷりと、いつになくハイテンションだった父親からの電報の様相とがどうにも像を結ばない。


「む、息子よ! 戻ったか!」


 カメリアが思考を整理し終えるより先に、轟音と共に魔王城の巨大な銀の扉が開け放たれ、白銀の巨像がぬっと頭を突き出した。

 銀づくしの世界で、如何にも威厳がありそうなこの巨像こそ、魔界を統べる王・サタンそのひとである。


「おや、お父様。お久しゅうございます。魔王陛下直々に出迎えてくださるだなんて、息子は誠に幸せです」

「うむ。出来ればあと数十年は遠ざけておきたかったのだが……いやいや、ちがうよ? 魔王ジョークだよ? 実の息子に寝首を掻かれることを恐れて別天池に追いやったわけじゃないよ?」

「ご安心ください。不肖な息子なれど、お父様のご威光を疑ったことなどついぞございません」

「なんでだろうなあ。うれしい言葉なはずなのに、怖いんだよなあ」

「真心です」


 また、臙脂の髪の男――改め、魔王の実子・カメリアは、ここ何十年ものあいだ故郷たる魔界を離れており、うつし世で〈雪原の椿〉としての人生をつつがなく送っていた。その名目は、シンプルに「情操教育」である。

 もちろん、これは魔王によるでっちあげの命令……ではなく、階級が高い魔族のあいだでは恒例の成長カリキュラムだった。

 古来より、他の生物と比べて遥かに長い寿命を持つ魔の一族は、そのぶん身体の成長もスローペースなのだ。ウン百歳を越えてやっと成人と見なされる体躯を得るために、情緒の発達もあわせて遅い。

 ただし、人間界の時間軸で過ごすとなるとそうもいかなくなってくる。

 魔族といえど、短い一生を送る人間たちと共生するともなれば、時の流れも人間がわへ軍配があがる。

 結果、魔界では悩みのタネになりやすい「魔族の子どもの情操教育」を促すために地上世界を利用するやり方は、大いにウケたのであった。最近では、姿かたちに反して達観した精神を宿す魔族の例すら出てきている。


「ところで、お父様。本日はご予定通り、つい先日誕生したという妹(仮)をあちらの王立学院へ迎えるために参った次第なのでございますが……」

「フグゥッ」

「あ、やはりトラブルがあったのですね」


 痛いところを突かれたのか、魔王は巨体をふたつに折って精神的ダメージをアピールしてみせた。建物全体が軋みをあげ、恐縮しきりな門番も、飄々としたカメリアも数センチ宙に浮く。


「準備は……準備は万全だったのだ。長い長い時間を掛けて我が娘となる素体を創造し、相応のドレスを手ずから縫い、うつくしく磨きあげっ。憎き下界の親玉に娘の存在を公表、同時に適合する魂魄を発見したッ!」

「ああ、そのタイミングで送ったのが僕宛ての電報ですか」


 カメリアは懐を探ると、魔王から「FAXのようなもの」で送られてきた文書を難なく取り出した。

 そこには、

「ついに娘が完成したよ! やったね! 実子のカメリアとは違ってちょっと生い立ちが複雑だけど、仲良くしてあげてね! つきましては親善大使(笑)として下界で役立ってもらうため、そなたは妹を迎えに参上してください。これは勅命です」

 と書かれており、いつになくあかるい父親のようすにカメリアも心を躍らせていたのだが……。


「まさか、魂が適合しなかった?」

「否、その逆である。あの娘は、魔王の娘たる器にふさわし過ぎた」


 それならば、特に問題は無いのではないか。

 訝しげに眉をひそめるカメリアに対し、魔王はもどかしげに頭を抱えるとことばを続けた。


「会えばわかる。そして……どれくらいの月日を要するか分からぬが、どうか説得してほしい。そなたならいずれはあの者に敵うであろう。無能な父を嗤うがいいさ」

「なんともの悲しいお告げでしょう。とりあえず、手のかかる人物であることは承知いたしました。ふさわしい魂魄を見つけたことに変わりないのですから、お父様は自信を取り戻してください」


 カメリアは微苦笑を称えると、新しくできた妹が待つ一室を目指して相変わらず軽やかな足取りで城内へ踏み入った。



 ――その先に待ち受ける艱難辛苦を、彼はまだ何も知らない。



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