博物館の音声ガイド
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
地域の歴史や文化を保存して未来に伝える使命を帯びた博物館は、単なる研究機関に甘んじる事無く、地域の文化交流の中枢や観光資源としての側面も重んじなくてはならない。
そのため、来館者の方々に快適な時間を過ごして頂くのは、博物館のスタッフにとって至上命題と言えたね。
特に受付嬢である私達は、博物館の顔とも言える存在だから、接客には人一倍に留意しているんだ。
「いらっしゃいませ!ようこそ、堺県立歴史博物館へ!」
今みたいな来館者の方々の御出迎えやチケットの確認も重要だけど、私にとって特に遣り甲斐があるのは、窓口に寄せられるお問い合わせ対応なの。
どのようなお問い合わせが来ても大丈夫なように、常設展の展示物は勿論、特別展で開催される講演会やワークショップの日程や注意事項に至るまで、キッチリ暗記しているよ。
館長さんや副館長さんには流石に負けるけど、過去の特別展のテーマだって、ある程度は知識として押さえているし、情報コーナーにある書籍や映像ソフトのラインナップも把握しているんだ。
『袖掛さんって、この博物館の事なら何でも知ってるんですね。まるで古株の学芸員さんみたい。』
こんな風に同僚の子から言われた事があるんだけど、割と的を得ている評価だと思うの。
子供の頃から自分の住んでいる堺県の歴史や郷土文化に興味があって、大きくなったら博物館で働くのが夢だったんだ。
大学では民俗学を専攻して学芸員資格も取得したけど、生憎と学芸員のポストには空きが無くてね。
それでも諦めずに頑張った結果が、堺県立歴史博物館の受付嬢だったの。
当初の希望とは少し違ったけど、正規職員としての採用だから立場は安定しているし、ポストに空きが出来たら学芸員になれる可能性もある訳だから、私としても良い話だったね。
何より、子供の時の夢だった博物館スタッフに成れたんだもの。
制服であるベージュのジャケットと黒のスカートに身を包み、「受付のお姉さん」として来館者の方々と直接触れ合う今の仕事は、私にとって遣り甲斐のある物なんだ。
だけど、晴れて学芸員として採用された暁には、この受付嬢の制服ともお別れなんだよね。
そう思うと、何とも名残惜しくなっちゃうんだ…
そんな博物館受付嬢の私こと袖掛町子が奇妙な事件に巻き込まれたのは、来館者の方から寄せられたお問い合わせがキッカケだったの。
「音声ガイドのボタンを間違えて押したら、変な声が聞こえてきたんですよ…」
イヤホンと端末を返却トレーに置かれると、その来館者の方は怪訝そうに首を傾げていらっしゃったの。
「申し訳御座いません!過去の特別展の音声が残っていた模様です。」
開催終了した特別展の音声ガイドでも、その番号に新たな解説音声が割り当てられない場合は、そのまま残っちゃう事があるの。
展示品数の多い特別展の後に、小ぢんまりとした特別展を開催する時に起きがちな珍事なんだ。
これは私が高校生の頃の話だけど、「日本の銘刀展」で借りた音声ガイドの端末から、「百舌鳥古市古墳群の成立は…」って解説音声が流れた時には吹き出しそうになっちゃったね。
そういう訳で、私は頭を下げながらもノスタルジーな感覚に浸っていたんだ。
ところが、事態はそうも単純じゃなかったんだ。
「いや、僕も最初はそうだと思ったんですけど、啜り泣く声まで聞こえてくるみたいで…」
「えっ…?」
どうやら、単なる解説音声の消し忘れではないらしい。
来館者の男性に間違えて押した番号を思い出して貰った私は、この奇妙な珍事件に深入りする心の準備を決めたんだ。
閉館時間である午後五時を過ぎ、来館者の姿が消えた特別展示室。
三角縁神獣鏡の収められたガラスケースを見据えながら、私は黒いヘッドフォンを着用した。
「番号は261。今期の特別展である『卑弥呼の時代』には、割り当てられていないはず…」
音声ガイドの端末を取り出し、来館者の男性から聞き出した番号を入力する。
啜り泣く声とは何なのだろう。
単なるノイズ音の聞き間違いなら、それで良いのだけど。
『個人蔵。播州皿屋敷の怪談で名高い、お菊を描いた幽霊画です。』
どうやら、過去の特別展で展示公開された幽霊画の解説音声なのだろう。
ローカルラジオの局アナと思わしき女性の落ち着いた声が、淡々と解説を進めている。
『その画風には、応挙を祖とする円山派の影響が色濃く…』
『ウウッ、ウウッ…』
音声ガイドに異変が生じたのは、幽霊画の解説を始めて数秒後の事だった。
女性アナウンサーの落ち着いた解説音声に被さるようにして、啜り泣く女性の声が響き始めたのだから。
『ウウッ、ウウッ…』
「な…何なの、この声は!?」
単なるノイズ音でないのは明白だった。
儚げな面持ちの若い女性が、身を小刻みに震わせて泣いている。
そんな姿が目に浮かぶようだったの。
「何これ…止めなくちゃ!」
停止ボタンを押しても、何故か反応しない。
「嘘っ…どうして?」
『ウウッ、ウウッ…』
常設展の音声ガイドの番号を入力しても、あの嗚咽が被ってきてしまう。
端末の電池を取り出して物理的に止める事で、やっと私はあの泣き声から解放されたんだ。
その後、情報コーナーの蔵書である過去の図録を調べたり、館長さんを始めとする古株の学芸員さん達から話を聞いたりして、色んな事が分かったの。
私が産まれる前の事だけど、夏休み企画として幽霊や妖怪に纏わる特別展を企画した事があったんだ。
あの解説音声にあった幽霊画も、展示品として個人宅から借りたんだって。
円山派の画風で描かれた播州皿屋敷のお菊さんは実に美人で、特別展でも評判だったの。
その評判を聞き付けた帝都の美術館が、幻想絵画の特別展に出展するために、件の幽霊画を当館の次に借り受けたんだ。
だけど、特別展が終わって元の持ち主に返却するタイミングで、その絵が行方不明になってしまったの。
帝都の美術館の学芸員は、絵の持ち主に謝罪をしようとしたんだけど、その持ち主までもが謎の失踪を遂げていたんだ。
事情を聞いた私は、行方不明になった幽霊画を特別展で展示した事がある美術館や博物館に問い合わせてみたんだ。
−件の幽霊画に割り当てられていた番号を音声ガイドの端末に入力して、何か変わった事が起きたという話は御座いませんか?
問い合わせてみたら、もう出るわ出るわ。
音声ガイドに啜り泣く声が混ざったり、自動ドアに腰元姿の女性の影が写り込んだり。
妙な事が起きていたのは、うちの館だけじゃなかったんだね。
その後、館長さん同士の協議の結果、件の幽霊画に割り当てた番号は、音声ガイドでは欠番扱いになったんだ。
この欠番処置は、あの行方不明になった幽霊画が見つかるまで続きそうだよ。