君と私と彼らと彼女ら
楽しそうに語る龍は、緑にいただきますと言い食事を初めた。彼岸はカレーに入っている大量の野菜を少し睨んでから不服そうに食べ始めた。
そんな彼を見ながら今日も龍は思う。
上手くいってる、経過も良好。病院にいる誰もが緑くん達の正体に気づかない、私の計画は成功には至らなかったが近しい事はできている。あぁ、君達はなんて素晴らしいのだろう。私が生み出した、私が創り出した最高傑作。一人で五人分の働きをしながら低コストで動く最高の医者。日光に強く、ニンニクも効かない、木の杭もシルバーも。当たり前だ、だって元はただの人間なのだからと。
「やっぱもっと欲しいなぁ」
龍がそう呟いた瞬間、何かが割れる音がした。咄嗟に顔を上げ音のした方を見れば、緑は手からグラスを落とし、景玄の手の中には割れたグラスがあった。和泉は顔を蒼白させながら、瞳孔が開ききった目で龍を見つめていた。いらん事言ったわ。そう瞬時に察した龍は、向かいに座る彼岸を見た。彼岸は、知らぬ顔で野菜と戦っていた。そこに少しの怒りを感じながら龍は緑達に視線を向けた。
「無理だよ、だって君達が全部壊してしまったじゃないか。残ってたウイルスも解剖したミイラも、全部残らず。後にも先にも君達だけだよ、私の創り出した『吸血鬼』は」
その言葉を聞くと緑は割れたグラスの片付けを始め、和泉は新しいグラスを取りに食堂の奥に入っていった。残った景玄を龍は自分の元に来るように言った。
漫画やアニメなどなら間違いなく周りに花が飛んでいる様な笑顔で景玄は龍の元にやってきた。龍が手を差し出すと景玄はその手に自らの手を重ねた、水と血で濡れている手を。龍はその手についた水と血を拭き取ると、白衣に仕込んであるピンセットでガラス片を取っていく。
うん、やっぱり治ってる治療は要らないね。本当になんでこんな副産物が出てきたんだろ。困りはしない、むしろ助かってる。病院以外に金をかけなくて済む。守銭奴なわけではない、節約に美徳を感じてるわけでもない。ただ、削れるとこは削れりたいだけそう、それだけ。
「龍さん、冷めちゃうよ」
新しいグラスに水を注いだ和泉が声をかけた。龍はハッとした様に目を見開き、景玄の手を離そうとした。離そうとはした、だがしかし景玄はより一層手に力を入れ離そうとしない。景玄、と名前を呼び和泉は景玄を睨みつけた。和泉はいい子ではあるが、龍の事になると少々過激だ。景玄のそれとは違い、飼い主に忠実で飼い主の事を一番に考える犬の様なものだ。
龍の事を一番に考え、龍の一番になりたい、龍に迷惑をかけたくない。自分がそうある事を願う和泉は、龍を困らせる景玄や親友という立場にいる彼岸をどこか妬ましく思い、龍に対する態度を自分と同じであるように強要する。
誰だって思うはずだ、この人は自分を創ってくれた。今の僕として生まれる前の記憶はないが、今の僕があるのは他でもないこの人のおかげだ。だから、迷惑をかけたくない、側にいたい、役に立ちたいと思ってしまう。前にこの事を緑に話したら、龍さんはどんな僕でも嫌わないと思うって言ってくれた。わかってる、そんなの知ってる。だって、この人は彼岸さんと上手くいかない僕に笑顔で言いはなったんだよ?『人の在り方なんて十人十色で考え方、感じ方、表現の仕方違ってて当たり前じゃないか。血が繋がってようが、どんな絆があろうが、結局は他人なのだから。逆に全てが同じ生物がいたら気持ち悪い。自分の心が読まれる様で、煽られてる様で負の感情しか感じないな!』って、理解はした。わかったつもりになった、でも認められなかった、納得できなかった。龍さん以外に、僕より秀でて欲しくなかった。龍さんが僕を見てくれなくなるのは寂しい。だから僕は周りに同じである様に強要してしまう。こんな自分が大嫌いだ、吐き気がする、なんだか泣いてしまいそうだ。そう、和泉は常に考えている。
「ごちそうさま。和泉くん、私の部屋にホットココア持ってきて」
「……え?うん。ホットココアだね」
「今日は呑まないから、もう部屋に行くよ。緑くん彼岸が食べきる様に見張っててね」
「了解、おやすみ龍さん」
「龍の意地悪!お兄さん泣いちゃう!」
「泣け泣け、泣いてしまえ。それで君が野菜を食べるならいいよ。景玄くん、緑くんが彼岸の事甘やかさないように見ててね」
「任せて、龍さん!彼岸さんの口に野菜突っ込むから!」
そこまではしないであげて。と、苦笑を浮かべた龍は自室へと姿を消した。和泉は龍に頼まれたホットココアを作るべくキッチンへと入っていった。ココアを作りながら、和泉は不安を覚えていた。先程から考えていた事が不安となって押し寄せてくる。首が絞まる様な感覚だ。目の焦点もあっていない気がする。できたココアをカップに注いで龍の部屋まで持って行った。部屋に入ると龍はパソコンを眺めていた。近々オペをする患者の臓器でも眺めているのだろう。その表情はどこか楽しそうで、どう切るか、どう結ぶかを考えているのだろう。
和泉は龍の名前を呼び、ココアを机に置いた。それを見てから龍は、和泉に何処でもいいから座る様に声をかけ、和泉は部屋を見渡し、龍の隣に腰を掛けた。龍は和泉が隣に座るとより一層楽しそうな顔をしてカルテを見せた。有名なアニメ監督で病状は肝臓癌となっている。ステージもかなり進んでいて、余命を自由に過ごさせてあげるのが一番いいだろう。だが彼女は、龍は、フランメ王国一の医者にして吸血鬼を創った張本人。この手の手術は幾度となく成功させてきた。今では難易度の高い手術程楽しそうにやっている。
和泉が何故座る様に言われたか考えていると、龍は和泉に明日の手術の助手に入る様に言われた。吸血鬼達なら一人で手術をこなせるが、彼女は人間。そう、ただの人間である。手先が器用で、ぶっ飛んだ頭を持っていて、吸血鬼達を創り出したが肉体的ステータスは人のそれだ。助手は当然の如く必要になる。効率を考えれば吸血鬼達に他の患者の手術をやらせて龍は人間の助手を使えばいいのだが、以前これにより景玄が大暴れし龍が喰われかけたので、吸血鬼以外の助手を使うことがなくなった。後にこれは『カニバ事件』と呼ばれ、今ではすっかり酒の肴になっている。吸血鬼の時点でカニバリズムではないだろと思うかもしれないが、それは黙っておこう。明日の手術の助手は三人、和泉の他に二人だ。その二人はまだ決めていないとの事。医者がこんなにも適当でいいのかと思うが、それでいいらしい。この病院の医師達は皆、彼岸が作り出した独自のカリキュラムをこなしている。その辺の教授よりずっと優秀だ。
龍は要件を和泉に伝え、ココアを飲みながら軽く雑談をした。時計の針が十一時に差し掛かる頃、龍は睡魔に襲われ、特に抵抗をすることなく龍は眠りについた。和泉はそれを見ると微かに微笑んで龍をベッドに寝かせ、静かに部屋をでた。和泉は龍の部屋を後にし、まだ皆がいるですあろう食堂へ向かった。予想通りそこにはまだ人がいた。彼岸はヘッドフォンをつけ真剣な顔でパソコンを見ていた。大方推しのライブ映像でも見ているのだろう。緑と景玄はチェスをやっていた。大体いつもは緑が圧勝するが、今日はいい勝負をしているらしい。
「寝た?」
「うん」
「え、龍さん寝たの?写真!シャッターチャンス!緑、ちょっと待ってて」
そう言って龍の部屋へ一眼レフを持ち走り出した景玄の襟を和泉が掴み景玄を止めた。和泉はまるで鬼の様な形相で景玄を睨みつけた。その顔は「龍さんに迷惑かけるな!」と言っている様だった。
「龍さん起きちゃうよ」
不穏になりかけた空気に気づいた緑は二人に向かって声をかけた。その言葉を聞いた和泉と景玄は顔を見合わせて息を呑んだ。数秒の沈黙の後三人は椅子に座り詰めていた息を吐いた。ほっと胸を撫で下ろした刹那、扉が開く音がした。