36話 これからってね
――大穴を覗き込み、遙か底に沈むのは暗闇。
魔素の残り香が犇めき、吐き気を催す邪悪が潜んでいる。至る所の壁々が罅割れ、崩壊のカウントダウンが近い。
ここに落ちれば、戻ってくることはできないのだと、脳が心に訴え。冷や汗が止まらない。
手指が痺れ、身体の震えが収まらない。まるで、蛇に睨まれた蛙のように、謎の圧力に屈しそうだ。
「――なにこれ」
思わず零れる本音。それ程に意味が分かりません。
ただの少女から放たれる魔素ではありません。精霊王に匹敵する圧迫感。それが犇々と空間を食らいつくす。
「何が起きれば、ここまで……」
――もはや、人とは思えない。ほんの少し前、話した言葉の断片。それらをすべて、地の底に置いてきたといわんばかりに、理解不能。
「――ねえ、“ノー” ……。貴方には心当たりがある?」
『どうだろうね。僕は、ここで起きたことを知らない。でも、推測はできるデスよ』
何時になく真面目な態度を見せる精霊“ノー”。
フザケタ言葉は鳴りを潜め、言葉遣いもいつの間にかに洗練されている。
まるで、成長しているような。
『――女神様も思い当たるのでは? 僕より彼女の人となりを知っているデスよね』
「そうね。でも、実現可能だとは思えない。だから、精霊である貴方から聞きたい。あの子は今、どうなっているの?」
『一言でいえば、半融合デス。彼女の心が黒く染まっているデス』
「黒く? でもおかしいわ。だって、あの子には光の精霊が……」
『光の精霊デスか?』
「ええ。私たちが住まう国にとって、英雄と並び称される存在。誰もが敬愛を持ち、超次元な魔法を手に大国を維持してきた大精霊。それが、光の精霊よ」
――光の精霊。
その正体は大精霊だったはず。レイフォード様の大精霊ムーと同格。それ以上の存在。
古から人々を加護し続けてきた守り神のようなもの。
それが、光の大精霊。
だけど、“ノー”は怪訝な表情で私を見つめる。
全てを見通すような鋭い目つきは私の口を閉じさせる。
『……大精霊。そうなのデスね。今の世界はそうなっているのですね』
「な、何を言っているの?」
『女神様は知っているデス。でも、僕から告げます。光の精霊は居ないデスよ』
「そんなはずはない。だって、あの子が……カノンが光魔術を使うところを見たわ。それに、精霊と少女の姿が見えたって、貴方が言ったのよ」
何を言っているの?
光り輝く魔術。あれは紛れもなく光系統魔法に近いものだ。
それは、ゲーム内で千を超える魔法を開発してきた私が自信をもって言える。
『そうなのデスか。でも、違うよ……。だって、アレは穢れた精霊だから』
◇
――穢れた精霊。
それは、ゲーム内ではほぼ語られないワード。
断片として、精霊の終わりについてほんの少し記されただけ。そこには、精霊は眠りにつく、精霊は半壊するとあった。
誰もが理解できない説明不足の文章。それについて、頭のおかしい開発者はこういった。
【精霊が壊れたらどうなるか、それを想像すれば自ずとわかるよ】
追加説明ですら、理解できなかった。
だけど、ゲーム内の裏設定を創り上げていることは確かだ。だからこそ、穢れた精霊がどのような状態に陥っているのか、完全には分からない。
分かるのは、精霊の核が壊れているということ。
「――ねえ、教えてくれる。精霊の半壊。それは、どういう状態なの?」
『僕たちは死なないデスよ。でも、眠りにはつくデス。半壊は、それが妨げられ起こる事象デス。そうなった精霊は、穢れた存在になるデス。そして、それは戻らない』
精霊の半壊は、精霊の眠りとは違うようだ。
そうでなければ、ここまで意味深な発言をするはずがない。それに、精霊ノーの話す内容を組み合わせれば、事態は深刻に思える。
そもそも、精霊が人に害を与えるなんて、想像できない。
微精霊には自我はなく、あっても幼子レベル。精霊は大人レベル。大精霊は別格。それが精霊の知能だ。それを考えれば、精霊レベルが人に害を与えるほどに悪意ある行動をとるとは思えない。
それはレミリアとして生きてきた数年間の知識からも明らかだ。
人々と精霊は共存共栄している。それに、精霊の暴走など聞いたことがない。
だからこそ、理解できないし、したくない。
「戻らないのはわかったわ。でも、彼女と何の関係があるの。だって彼女は、カノンは契約していないはず。それなら、何一つ影響を受けるはずがないわ」
『契約……? あの、魔力回路をつなぐ行為デスか? あれは関係ないデス』
「か、関係ないって、どういうことかしら?」
『だって、精霊の半壊は契約と何一つ関係していないデスから』
精霊との契約は関係ない。それならば、余計に分からなくなる。
精霊に魔素を通すことで、魔法は発現する。精霊では想像できない高威力の魔法は詠唱があってこそ。
『女神さまは勘違いしているデスよ? 穢れた精霊は、術者の回路に潜り込む
デス』




