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狼と悪夢。朝の希望の光、  作者: 狼狐__rougitsune
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狼と悪夢。__“おれ”

悪夢で終わりではない。次やってくるのは朝なんだ。


――信じ合うこと。それはどんな時代でも人間に必要なこと。


  みんなを信じて助け合えれば。


  医療従事者を、患者は信じる。感謝の言葉を述べる。


  患者が助かることを、医療従事者は信じる。その前に、患者の努力が必要だけれど。


日は必ず昇ってくるから。その先には続きがあるから。


人間、信じ合わなきゃだめだと思います。

——おれは、朝を迎えなければならない。彼女との約束を果たしていない。彼女がまた一人で罪を背負ってしまう。なんとかしなくてはならない。



という声が、聞こえたような気がした。


クリスマスでたまにはイルミネーションでも見に行こうか、と言ってただけだった。そんなことさえ、許してもらえないのだろうか。


大通りから少し離れた、住宅街とも路地裏とも言えない場所で、おれは道路の真ん中で彼女を見上げていた。満月の光を全身に浴びて舌なめずりをしている彼女は、もう人間ではない。一見、人間の姿にも見えるが、頭から暗い夜空に向かって生えている獣の耳、銀色の毛皮をまとった尾、手先の爪は鋭くなっていて、理性がない。狼と化していることがいえる。その狼と化した彼女が、目を光らせ、おれを見降ろしている。


もうすぐ、おれは喰われる。彼女になら喰われていいと思っていた。でも、さっき聞こえた声が、おれの気持ちを左右してくる。


しかし、間に合わないだろう。もう何を思ってもおれは喰われてしまうのだ。


彼女の爪が月明かりに照らされ光った。



ダァァァアンッと、大きな音が響く。突然、目の前に見たことのある風景が現れた。背中や後頭部に激しい痛みを感じるような気がする。腕にはいくつもの青痣。首筋を流れる赤い線が、雨に濡れて沁みる。しかし、まるで夢を見ているような気分だ。


(おれはあの場で気絶したのか?幻か……いや、もしかして死ぬ前に見る走馬灯というやつか)


おれは路地裏の行き止まりで倒れこんでいるようだ。身体が重い。目の前には男らが集まってきている。中学生のおれがこいつらに勝てるはずがない。そして、逃げ場もない。


「……っ」


「ん?なんだ?逃げようってか?家族を皆殺しにされている中、お前は一人逃げだして、それで満足か?自己満足も程々にしやがれ!!」


目の前の大柄な男が拳を握る。


そうだ。おれはこいつらに親族を殺された。爺ちゃんの米寿の祝いの中、血が飛び交った。おれら一族は先祖代々長男が大企業の社長を務めてきた。爺ちゃんこそ誰もが尊敬する社長であったが、同時に周りに沢山の敵を作ってきたらしい。その敵が、今目の前でおれの顔面に向かって拳を突き落としてきている奴らだ。おれももう殺される。


しかし、次に来る衝撃を予想し目を閉じていたおれは、その衝撃がなかなか訪れないことに気づいた。おそるおそる目を開くと、目の前にあったのは血を流し倒れている男たちだった。その男たちの横には開いたままのビニル傘が落ちている。


突然の出来事に呆然としていると、いつの間に晴れていたのだろうか、おれを照らしていた満月の光を誰かが遮った。見上げると、手や顔を紅に染めた彼女が佇んでいた。おれと同じくらいの年齢の彼女。その佇まいはいつものおれが見れば恐ろしいと思う姿であったが、今は勇ましい戦士のように思えた。おれと彼女との間に涼しい風が通り抜ける。彼女の目から一粒の光が零れ落ちたような気がした。


はっとしたような表情で、彼女がこちらを見た。その表情はさっきの勇ましい姿とは裏腹に、愛らしい子犬のように思えた。


すると、彼女はこちらに近づいてきて、おれの腕を掴んだ。耳元で、


「行くよ」


と囁かれる。その時、おれは彼女が男たちを殺したことに気づいた。男たちに囲まれていた時の身体の重かったのも忘れ、おれたちは必死で逃げた。


それが、彼女との出会いだった。


ようやく彼女の家にたどり着いたときにはもう午前1時を回っていた。すると、彼女はあっ、と声を上げた。


「なんで私逃げてきちゃったんだろ。警察に通報しなきゃいけなかったのに」


彼女はポケットから彼女の年齢では珍しいガラケーを取り出した。ガラケーを開こうとする手を、思わず止める。


「君が警察に行く必要はないよ」


「どうして。私は人殺しだよ」


「おれを、助けてくれただろ。」


「いいえ、私には人殺しの罪がある。なぜ君を殺さなかったのか分からない。」


「どういうことだ?」


彼女は口を開こうとして、躊躇した。しかし、おれに視線を向け、姿勢を改め、再び口を開いた。


「私は、2つの姿を持っているの。1つは人間、つまり理性を持った姿。もう1つは、狼。つまり本能だけで動く姿。……私はね、満月の光を全身に受けると、もう1つの狼の姿が理性を奪うの。」


窓の開いた部屋に冷たい風が入り込む。外ではぱらぱらと音がする。また雨が降ってきたようだ。



ふっ、と、おれの意識が戻った。手がアスファルトの冷たさを感じている。おれの息は白く濃いというのに、額にはびっしり汗を掻いている。


あの日、雨だったのにも関わらず、急に満月が現れ、彼女は人喰い狼と化した。そして次々に男たちを襲い……何かの拍子に理性が戻ってきた。……じゃあ、なにをすれば彼女の理性は戻ってくるのか。


ふと、そばの古い電器屋を見る。外に向いた大きなテレビに、彼女の獣の耳と尾が映る。もうこうなったら、おれが助かる方法はないと思うが、それでも考える。


時間で彼女が理性を取り戻したとすれば……いや、それはない。あの日、元々はあの場になかったビニル傘が落ちていた。あれはきっと、彼女が持っていたものだ。とすると、彼女は男らを襲う直前まで人間の姿だったと考えられる。あの時狼だった状態は僅か5秒に満たないといえる。そして、あの日、あの家に逃げ込んだ時の時刻は午前1時すぎ。彼女が狼だったのが0時半くらいだったとして、既にその時刻は過ぎている。おれの腕時計は、午前6時半を指している。


突如、鈍い音と共に、左頬に激しい痛みを感じた。手で触ると、深くえぐれている。彼女の爪から、ぽたぽたと滴るものがある。今夜はクリスマスだからとなけなしの金を使って赤いマニキュアを塗った彼女の爪は、今や数々の人を殺してきた証のように見えた。


月明かりで影を作った彼女は、血のついた爪を舐めながらじりじりと詰め寄ってくる。



「どうしたら」


と彼女の声。また、風景はあの日のあの部屋へ移り変わった。


「罪を償えるかな」


夕日がカーテン越しに悲しげな彼女を映し出す。警察に行こうとしていた彼女をおれが止めてしまったせいで、おれらは何もできずにあれから一日が過ぎようとしていた。


「大丈夫。おれを、助けてくれたんだから」


何度このセリフを言っただろう。ふと、彼女はおれを見た。


「不思議なんだよね……なんであの時理性が戻ったんだろう」


「おれのせいで……いろいろ……ごめん。」


おれは今にも泣きだしそうな彼女の背中をさする。すると、こわばっていた彼女の頬がゆるんだ。


「君のせいじゃないよ、君のおかげだよ」


「……そう、なの?」


「うん、そうだよ」


彼女は急に何かを確信したような目でおれを見つめた。


「じゃあ、約束してほしい。私の罪を償う方法を、一緒に探して」


この時のおれは彼女が何を考えていたか分からず、ただ頷いた。もう身寄りのないおれはおれを助けてくれた彼女のためなら、いいと思った。


彼女は安堵した様子で、自分の小指をおれの指に絡ませた。


「約束ね」


その後、彼女から色々なことを聞いた。


ここは、彼女の家であるが、親はいないということ。


自分の親は自分が人喰い狼になることにいつからか気づき、自分を追い出したこと。


親から仕送りを受けながら別居しているということ。


その生活は寂しいけど辛くはなかったこと。


そして、おれと同じ学校の不登校児だということ。


おれも、ここに住んでもいいということ。



あの時は分からなかった。でも今はそうなんじゃないかと思うことがある。彼女の罪を償う方法を共に探す、ということは、彼女と共にいる、ということだ。結果、おれは彼女の家に住み、今日以上に外に出ることはなかった。つまり彼女は……おれといれば狼にはならないと考えたのではなかろうか。彼女の言う、「君のおかげ」とは、そういうことではなかろうか。いや、考え過ぎだろうか。


でも、確かに不自然だった。クリスマスの夜だったのもあるが、満月の夜に自ら外へ出歩くなんて。


しかしこの通りだ。彼女は狼と化し、おれに飛びかかってきた。このまま朝を迎えられたとしても、彼女が元に戻るかは分からないし、おれたちが他の人に見つかったら通報されるに違いない。


彼女は、白い息をはぁはぁさせながら、おれの髪に喰らいつく。そしておれの腕を掴む。ああ、無理だ。



「——約束ね」



あの時の彼女の声がおれの脳内で再生される。


そうだ、約束したんだ。諦めてはいけない。おれは彼女の罪を償う方法を見つけるまで——おれはおれのことを助けてくれたから罪なんてないと思うのだが——彼女を守る義務がある。今度はおれが守る番。これ以上彼女を苦しませてはいけない。彼女のことを信じて元に戻る手伝いをしなくてはならない。おれは、さっき彼女との約束を思い出させてくれた幻に感謝した。



希望の光が見えて、おれの中に存在するいろんな記憶が蘇る。出会ってから、あの家の中で、おれは彼女に教えてもらいながら、料理の練習をした。指切って「ばか」って言われて手を握られてどきってしてもう一回おれが指切って、「もう料理するな!」って頭叩かれたときは、彼女らしくないな、と思いつつ、彼女があんな大柄な男たちを殺したことが信じられなくなった。彼女が今まで学校に行ってたのに行かなくなったおれを思ってか、彼女がまだ学校行ってた時の教材を出してきて小6の教材で笑ったな。そのあと彼女結構悲しんでたのを、おれは見逃してない。


あの時間おれらは人殺しだってことも忘れて、おれは中学生とは思えないほどに沢山の新しいことを体験した。親のいない生活って、こうなんだって実感したと共に、でも彼女といれば大丈夫だって思った。できれば、またあの生活に戻りたい。


既に東の空が白んできている。白んできている、というが、空は幻想的な紫色だ。「むらさきだちたる雲の細くたなびきたる」、いつか学校で習った枕草子を思い出す。今頃、学校の先生や友達はおれを探したりしてくれているのだろうか。または、死んだという結論に至ったのだろうか。


そんなことを考えているうちに彼女はおれの腕に口を近づけ始めている。しかし、その動きはゆっくりだ。食べるなら、早く食べるはずなのに、彼女自身も本能を抑えているのだろうか。


「もうすぐで朝だよ、起きて」


おれは彼女に訴えかける。しかし、彼女の動きは変わらない。彼女はさらに、おれの腕を口元に持っていき、かぶりつく……。


その時、電器屋の正面のビルのガラスが光った。いや、日の光を反射したのだ。電器屋と隣のビルの間から朝の光が差し込む。晴れやかな空。金色の光を放っていた満月は、白くなっている。


彼女は眩しそうに東の空を見た。朝日を浴びる彼女の姿は美しい。


「すき」


思いがけず、おれはその言葉を口にした。


彼女は驚いた表情でおれの目を見る。彼女の目に映るおれも驚いている。


彼女の耳と尾はいつの間にか消えていた。


「りんりん」


電器屋のドアが開き、店主が出てきた。おれらのことを訝しげに見ながらも、テレビをつけた。テレビは朝の情報番組を放送している。エンタメのニュースだ。原宿のお店が映し出されている。今度彼女と行こう、と思った。


おれは、テレビを見ながら、朝が来たんだ、と実感した。彼女を助けることができたと。彼女は口を開く。


「信じてくれて、ありがとう。逃げたりもせず、諦めたりもせず……出会ってから今日まで、君はいつも私の助けになってくれた」


独り言のように呟いた。


「ねえ、朝日、綺麗だね」


彼女が東の空を眺めながら呟く。


「朝だね」


おれは何気なくそう呟く。



「おはよう」


そう、言いたかった。



遮ったのは、遠くで響くサイレンの音。


電器屋のテレビのニュースが、暗いニュースになった。


「三か月前、~県~市で起こった一家殺害事件について、行方不明になっていた中学生の男の子と、近くの路上で男の子と共に目撃された女の子が住んでいるとみられる住宅で、昨夜家宅捜索が行われました。2人の安否は確認されておらず、警察は——」


突然、目の前が暗くなったような気がした。血の気がサァッと引いていくというのは、このことだと分かった。


「逃げよう」


おれは彼女の腕を引っ張るが、


「この時が来たんだよ。逃げたら、多分君も警察に連れてかれちゃうよ」


パトカーのサイレンの音が大きくなっていく。


「いいよ」


「だめだよ」


その時、パトカーがおれらの周りを取り囲んだ。


おれが最も恐れていたこと。


警察官らがおれらに近づいてくる。おれたちのことではありませんように、と願うが、その願いも無謀だった。


彼女の名前を、彼らは口にした。彼女はその名前に頷く。彼女が警察官にさらわれていく。


彼女を底の無しの沼から救ったのに、突如手が離れて沈んでいく様を見ているようだ。


彼女に罪はないのに、何故こうなってしまうのか。


「彼女に何があるんだ!」


「ごめんね、ちょっと彼女に用事があるんだ。君は、あの事件の……」


「そうですけど、かの……」


「良かった。身元が確認できた。ああ、この頬の傷、誰にやられたかな?」


「自分です、自分なんです、彼女は何も……!」


言いながらも、おれの目線は彼女の方に向いていた。必死に手を伸ばすが、届かない。段々、野次馬やメディアの取材班などが集まってきた。


おれはパトカーに乗せられた彼女を見る。また君は、1人で罪を背負ってしまうのか。


……と、彼女がパトカーの中でおれに向かって何か言っている。


「い、ん、い、え、う」


そして、去って行った。


「信じてる?……何を」


何かは分からない。ただ、おれは言いかけた「おはよう」を言えずに去って行った彼女に手を伸ばすばかりだった。


周りから何か声をかけられているが、耳に入らない。代わりに電器屋の方から、明るいアナウンサーの声が聞こえてくる。


「おはようございます。12月26日、午前6時55分を回りました……」


本当は言えたはずのその言葉を取られたような気がして、おれはアナウンサーが憎く思えてしまう。


「おはようって、言わせてくれ……」


そこで、おれの意識は途絶えた。

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