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――風の大山脈にて……。
「ガムラン、どうして……」
ガムラオルスが山を去ってからしばらく経ち、里は次第に落ち着きを取り戻し始めていた。
それとは対照的に、ティアは日々焦りを増していき、こうして一人で山を歩き回ることが多くなった。
もしかしたら戻ってくるかも知れない、そんなありもしない可能性に縋り、危険の中に身を置いていたのだ。
無論、一族に彼女を止められるだけの者はなく、こうした危険な行動でさえ見過ごす他になかった。
里は落ち着きを取り戻したと言ったが、その落ち着きというのも、決して好意的な解釈ではない。
ないものはないと受け入れ、組織構造をなあなあにまとめ上げただけである。最大の皮肉は、彼が残した構造の多くが採用され、それによって首が回っているという状況であることだ。
当たり前かもしれないが、ティアは帥として動いたことがないのだ。
部隊の統御を行ってきたのは、常にウィンダートやガムラオルスといった現実を知った者達だった。
必然、優れた部隊編成や策が採用される。彼女が人を縛る質ではないということもあり、実質的な不干渉の立場になったのだ。
君主は戦に関わるべきではないというが、この部分でいえばティアが君主であり、ガムラオルスなどが将であったということになる。
戦争という部分を考えると、彼の喪失は想像を絶するほどの被害をもたらし、今後の即応性は間違いなく損なわれることだろう。
ただ、彼女はそのような部分を見てはいなかった。ただ一人の女子として、想い人の喪失を嘆いているのだ。そして、戻らぬものを追い続けている。
こうした無駄な散策は何日も続き、今日もまた収穫なしで終わるかと想われた時――ティアは何かを察知した。
「(……闇属性?)」
久しく感じていなかった魔力に、彼女は目つきを変えた。
この山に攻め込んでくるのはもっぱら魔物であり、闇の国が踏み込んだのは戦争初期、それも小規模である。
彼女は知らないが、カルテミナ大陸の敗北以降は敵地遠征が縮小を受け、部隊規模で大陸を訪れることは減った。
ただ、前述した通りに彼女はそれを知らない。十分に可能性はあるとし、敵意を強めたのだ。
自分自身でも迫りながら、標的との距離を詰めていく。実際はそのような行為に意味などなかった。
初期の襲撃について述べたが、これについては戦闘が発生したという話ではないのだ。
そもそも、罠が無数に張り巡らされ、情報も限られた山脈を踏破するなど現実的ではない。
第一群もほとんどが罠で命を落とし、逃げ延びた者こそあれど、戦闘に至った者は一人としていなかった。
しかし、今回の例は全てにおいて異様だった。
敵は単騎、しかし魔力の量や質はかなり上等。その上、明らかに罠を突破しながら進行を続けている。
「(こっちの事情を知っている? ……でも、知っている人なんて)」
疑う心がないというのは、リーダーとして有用な才覚である。ただ、彼女はその可能性を見ていなかった。
ガムラオルスが地上で情報を売り、この山の攻略法法を開示してしまった、という可能性。
明確な罠の配置などを知っている者ともなると、シナヴァリアやガムラオルスくらいのものである。両者とも一族の中枢に触れ、数年単位で里の内情を更新している男だ。
注意に注意を重ね、対象との距離を詰めていったティアは――魔力だけを頼りに先制攻撃を仕掛けた。
「ッ――」
「!?」
両者は攻撃の寸前で停止した。
ティアの爪先は拳一つ分ほどの距離を取り、標的の頬に迫っていた。
対するエルズは、仮面を装着し、今にも洗脳を行おうとしている。
互いに相手を仕留め切る手札を揃えながらも、二人は気付いたのだ。いや、正しくはその線を予見していたのだ。
「エ、エルズ!?」
「ティア、よね?」
互いが互いの魔力を忘れるには不足な時間だったが、二人は再会は叶わないと理解していたからこそ、こうして最後の最後まで戦いの意思を消さなかった。
しかし、全く意識しなかったわけではない。だからこそ、こうして最後の最後に止めることができた。
「ど、どうして? エルズは……エルズは冒険者として戦っているはずだよね」
「ガム――ごめん、ティア」
ガムラオルスから託された、という言葉を紡ごうとした彼女だったが、咄嗟にそれを収めた。
この場において言い訳などが無意味であり、必要なのが純粋な謝罪であると分かっていたからだ。
許される気などなく、この場に訪れた本当の理由は彼ではなく、彼女自身の個人的な欲求だったことも一因だった。
だが、きっとここで告げることができていれば、ティアはほんの少しの安堵を獲得できていたことだろう。通常の計り、叱責に対する言い訳の無意味さという、常識が互いの情報交換を阻害した。
「会いたかったの、ティアに」
「……」
「駄目、だったかな」
「……駄目だよ。エルズがいなきゃ、誰が外の世界を守れるの?」
所詮は口実でしかなかった。あの場にエルズを置き去りにしたのは、ガムラオルスがそれを是としなかった。
だからこそ、それらしい理由を残して彼女は立ち去った。自分の消えた後の世界を相棒に託した、という気持ちが嘘というわけではないにしろ、そこまでして固執することでもなかった。
だが、彼女はそれを認めなかった。一度は掲げた願いを、嘘だと思いたくなかったのだ。
「外の世界は大丈夫。ティアは知らないと思うけど、みんなが頑張って、あと少しで闇の国を倒せる、ってところまで来ているんだよ」
「えっ……本当なの?」
エルズは無言で頷いた。
本当は根も葉もない話であり、カルテミナ大陸を打ち破ったことは事実だが、その裏に潜む黒幕は未だに健在である。
より事情に通じている彼女だからこそ、この嘘はより大きなものになっていた。
ただ、それで十分だった。ティアからすれば、戦争が終わりに近づいている、ということはあり得ないことではなかったのだ。
時折顔を見せる様になった太陽、黄昏の輝き、それらが平和の予兆だとすれば辻褄が合うのだ。
「じゃあ、エルズはなんでここに?」
「善大王様から頼まれたの」
一度踏み外した瞬間、そこにあった現実はヒビの入った食器を突くようにして、凄まじい勢いで崩れていった。
「善大王さんが? どうしてエルズに? それに私のところにって……えっ?」
全くわけが分からなくなっていたティアだが、エルズは落ち着いた様子で虚の織物を紡いでいく。
「善大王様とフィアさんが麓に来ていたこと、ティアは知ってる?」
「……えっ!? 来てたの?」
「うん。本当はカルテミナ大陸っていう――闇の国の船を倒す為に、ティアの力を借りに来たみたい」
麓と盛ってはいるが、実際にその意図で彼らは動いていた。
幸いなことに、アカリを通じてこうした事情を知っていた。だからこそ、嘘に本当を交えながら物語を描くことができた。
「そう、だったんだ」
「でも、二人とも用事ができたからって、エルズに頼んだの」
「……じゃあ、私はエルズと一緒に地上に?」
ここで言葉が詰まった。
この流れで言えば、そうなるのが当然である。とはいえ、ガムラオルスから託されたのはティアと、彼女が守る山である。
「来てくれる?」
「ごめん。私はここを守らないと」
「――だよね。善大王様もそう言うだろうって言ってたから、エルズもティアと一緒に居る」
「えっ?」
「ティアが付いてきてくれるまで、説得するってこと。それまでは、エルズも山を守る為に戦うから」
しばらく考えたものの、渡り鳥は相棒の意図が掴み取れなかった。
「私が絶対行かないって言っても?」
「絶対、なんてことは絶対ないからね。もしティアがその気になったらでいいよ」
あまりに都合のいい話だった。
普通であれば、こんな怪しい話には裏があると勘ぐるところだが、ティアはそう考えなかった。
彼女は純粋に、救いを求めていたのだ。強かな精神と肉体を持つ彼女であっても、恋人との別れという大事件を受け、心身共に衰弱しきっていたのだ。
だからこそ、助け舟があるというのであれば、それに乗る。そこに迷いはなく、心の抑圧から解き放たれたいとばかりに、飛びついた。
「本当に行かないからね」
「ティアの頑固さは理解しているつもりだよ。それでも――ううん、とりあえずは一緒に居られるだけでも満足かな」
「……えへへ、実は私もエルズと同じ気持ちかな。エルズが居たら、百人力だよっ!」
二人は笑みを浮かべた後、握手を交わした。




