2F
蹴りが放たれた瞬間、咄嗟に子供特有の機敏性でこれを回避し、挙句に彼の真横を走り抜けた。
彼女の肉体は幸いなことに、鈍りきってはいなかった。そして、この囚人生活も貧困の煽りを受けていなかった為、英気も十分に養われている。
この場を切り抜けたところで解決するとは限らないものの、状況を打開できるという気概で挑んでいた。
事実、この場で彼女は逃げ切った。逃走ルートについても、先ほどの買い物の最中に確認済みである。
だが、肝心の部分を読み違えていた。
「開くし!」
蹴りつけるが、壁は壁のまま、変わることを是としなかった。
「無駄だ、その壁を開けることができるのは――闇の国の人間だけだ」
不意をつかれこそしたが、彼に焦りはない。そもそも、脱出の手段がない以上、牢から出たところで何の意味もないのだ。
「クソ!」
「無駄なことを」
ゆっくりを近づいてくるディードを前にしながら、彼女はまだ光を消さない。瞳に強い精気が宿り、既に絶無の状態に置かれた身を強く奮起させていたのだ。
ディードはそれが奇妙に見えて仕方がない。逃げの手が成立するのであれば、今のような油断に続き、彼が壁を開く他にない。
無論、その手続きはただ導力を流せばいいというものではない為、偶然では解決しない。
どう考えても、この場に希望はなかった。にもかかわらず、彼女が諦めていないのが違和感をもたらしていた。
「何故、そのような気になれる」
「は?」
「私の失着は多くて一回。それでは、確実にこの場から逃れることはできない」
「……?」
「お前は何故、諦めない」
そこまで言われ、ようやく理解したのか、彼女は口許を緩めた。
「無理なんてことはねーからだし」
「……なんだと?」
「昔、《二尾の雷獣》って呼ばれてた時、アタシに挑んできた奴がいたし。そいつは絶対に生き残れない状況でアタシに挑み、挙句に生き残りやがったし――それができるっていうなら、ここから逃げ切るくらい大したことでもねーし」
状況が理解できず、ディードは言葉を失った。
「二尾の雷獣だと?」
「アンタは覚えていないみたいだけど、アタシは一度だって忘れたつもりはないし」
そこでようやく、彼は気付いた。彼女が巻いていたマフラーは、帯電こそしていないが、確かに雷獣の尾とされていたものだと。
「はは……まさか、アレが人間だったとは」
「二足で歩いてたじゃん」
「自国の味方まで焼き払いながら迫り来る者など、化け物と思って当然だろう? 《神獣》の類かと思っていたが、まさか巫女がそれをやっていたとは」
彼女の別名に《雷火の電撃姫》というものがあるが、それはどちらかというと自称の面が強かった。
その暴れようを恐れたラグーンの者達が畏怖の念によって付け、それが他国に伝わったという類のもの。他国の者や敵国が名付けた者という、多くの異名とは性質が異なっていたのだ。
だからこそ、闇の国もこれを事実とは受け取っていなかった。一種の煽りや誇張、偶発的にそうなったと考える者が多かった。
だが、《二尾の雷獣》がそうだとすれば、これは十分に現実味を帯びてくる。
「(なるほど、巫女様も意地の悪いことをなさる。仇敵の召使い……これは笑えてくる状況だ)」
冗談のような事態に、彼は自嘲した、
意図して用意された場面だとすれば、これほどまでに皮肉なものはない。
実質的な、制裁行為だ。
「いつまで出ているつもりだ……牢へ戻れ」
「言われなくても分かってるつーの。出れねーって言うなら、部屋で寝てた方が楽だし」
さすがに無理と察したのか、ライカはおとなしく自室――牢へと戻った。
彼女の言うこともおおよおそ間違いではなく、居座りを決めるのであれば、最低限度が用意された牢のようが快適である。




