11v
彼女は口で言いながらも、自分の認識が狂ったのではないか、と困惑し始めた。
なにせ、彼女の頭の中に存在するガムラオルスは、ここにいる男と比べて小さかった。それ以上に、若かった。
態度もそうだが、声や顔、服装に至るまで、合致する点の方が少ないほどだ。
「なんでワタシを?」
「……」
彼が答えないと分かるや否や、スケープは口を噤んだ。
自身がこの世界から隔離されており、自身で考え、発声した音は他人に届かないことは分かり切っていたのだ。
だが、ガムラオルスは振り下ろされた二撃目を察知していたらしく、これを跳ね返した。
彼女は気付いていないが、一撃目の攻撃で魔物は片腕を引きちぎられ、痛みによって悶えていたのだ。故に、次なる攻撃は非常に読みやすかった。
「お前にここで死なれると困る」
「えっ」
「……煩わしい。お前と言葉を交わすなど無駄だったな」
全く理解できないものの、相手が失望を覚えたということだけは察しがついた。
とはいえ、その言葉とは対照的に、ガムラオルスからは敵意が放たれていない。
「あなたは、ガムラオルスさんですよね?」
「下がっていろ」
彼は答えることもなく、両肩より光を迸らせ、巨大な闇に向かって飛翔した。
撒き散らされる光粉、残光を写した彼女の瞳は、眼前にあった闇の正体を捉えた。
紫色の外殻を持つ、六足甲虫型の魔物だ。その姿はいつか善大王が風の大山脈で戦ったそれに近く、体躯の割に動きは機敏だった。
人間の接近を察知したのか、瞳に藍色の文字が刻まれていくが、飛行者はその眼球に目がけて超重量の剣を投げつけた。
投剣術のそれを想起させる軌道で、剣は前転運動をしながら標的へと伸びていく。
切っ先が眼球に突き刺さると同時に、体液が吹き出し、その表面に刻まれていた《魔導式》も四散した。
「すごい……まるで、魔物との戦い方を心得ているみたいな」
「……」
両者間には大きな間が離れているはずだが、彼はスケープの声を認識していたらしく、小さく表情を変化させた。
『ナニモノダ……ニンゲン』
聞こえてきた声は、この場の誰の者でもなかった。
低く響くような声は、耳というよりも頭の中で反響し、抑揚がないにもかかわらず確実な言語の形で二人に届いた。
「お前は逃げ延びていた個体か」
『……ナゼソレヲ、シッテイル』
「やはり、か。ならば――余計に逃せなくなった」
彼の戦い方に躊躇などなかったように見えるが、魔物の撃破を優先目標としていなかったような口ぶりである。
「(逃げ延びていた……?)」
気になる単語が出てきたこともあり、彼女はスタンレーに伝えようとした。しかし、案の定というべきか、これが通ることはなかった。
カッと目を見開くと、ガムラオルスは翼を広げ、急加速を開始した。
さすがに何度も見た技である為か、魔物もこれに対応する。
分厚い甲殻が左右に開かれると、透過性の高い薄羽根が現れ、激しく震動した。
瞬間、鈴の音――いや、耳を覆いたくなるような高く、そして大音量の波動が発せられた。
距離の差こそあるスケープでさえ、耳を覆ってもなお頭を揺すられるような感触を覚えていた。ともあれば、より近い距離でこれを聞いている男はただではすまないだろう。
事実、ガムラオルスの光は明滅し、出力が乱れ始めた。体勢が崩れ、地に叩き落とされそうになるが、それでもどうにか空に身を置いている。
「(ソウルの循環を狂わす音波か。過去の生き残りなだけはある――だが)」
火の揺らめきのように、強い不規則性に囚われていた緑光だったが、彼が目を閉じた瞬間――突如として安定した状態に復帰した。
これには魔物も驚き、眼球を大きく動かした。
ソウルの攪乱とは、つまりムーアの《秘術》と同質の効果である。それを自力で突破するなど、通常であれば不可能な現象である。
『オマエハ、マサカ……天使――鴉ナノカ!?』
緑髪の男は何も答えず、周囲の破壊的音響を別世界の理であるかのように扱い、平然と魔物へと迫った。
紫甲虫は羽根を折りたたむと、残っていた一個の眼球に《魔導式》を刻み始めた。速度で勝らぬとはいえ、それ以外では対処できないと想定したのだろう。
ガムラオルスの接近速度は凄まじく、この時代の彼が見せる最高速の数倍を叩き出していた。
この早さであれば、間違いなく間に合う。先ほどの一着で、既に相手の術は割れているのだ。
『《闇ノ四十四番・闇風》』




