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――雷の国、アルバハラにて……。
「ここまで来てなんだけど……あのパツキンに会いに行く理由なんて、あたしにはないしねぇ」
普段の彼女であれば、ここで取引でも行うところである。しかし、それをしようとは思えなかったらしく、踵を返そうとした。
しかし、偶然それは起きた。
「アカリ?」
「……ツイてないねぇ」
ただの偶然とはいえ、アカリはヒルトと再会することになった。
「なんでアカリがここに?」
「散歩さ」
「……寄っていかない?」
「仕方ないねぇ」
具体的な展望を欠いていたこともあり、仕事人は二言返事でこれに応えた。
気に入らない相手ということでもなく、元々は会うべくして来たということもあり、彼女は無条件でこれを呑んだのだ。
ただ、それは彼女の主観的な認識だ。おそらく、アカリはヒルトに危険を知らせ、その上でどこかに向かおうとしていたのだ。
警告を行うまでは、この場から離れることはできなかったはずだ。
そうして屋敷に招かれたアカリだが、その変わりない様子に安堵を――奇妙な感触を抱いた。
世界は変化に満ちている。カルテミナ大陸の攻略に成功し、空の鈍色とは対照的に、大陸の人々は色を取り戻しつつあるのだ。
同時に、この雷の国はそうした色鮮やかな部分とは正反対に、凄まじい脆弱性を得ていた。ハリボテの夢を見ている者達が多い国、ということである。
にもかかわらず、ここは変わらない。勝ちも負けも、この永遠性を砕けないと感じさせるほどに。
「パツキン、雷の国がどうなってるのか、知ってるかい」
「……活躍しているんだよね?」
「まーそうともいえるんだがねー」
彼女の反応が悪いとみるや、ヒルトは事情に勘付き始めた。彼女はその点の直感は冴えているのだ。
「本当は違う、ってこと?」
「……パパンはいるのかい?」
「うん、いるよ」
「なら、そっちの方に案内してくれないかね。お茶はその後にでもできるしさ」
「う、うん」
具体的な姿は見えない。それであっても、少女はアカリが大きな問題を抱え――引っ提げ、この場に来ているのだと察知した。
「(家にいるってことは、十中八九気付いているってことかねぇ)」
仕事人もまた、彼女の言葉で状況を悟った。
それであっても、一応は警告をしなければならない。それを無料で行い、かつラグーン王からの口止めを無視するなど、不合理もいいところな選択だった。
シナヴァリアを師に持つ彼女が、ここまで合理を投げ捨てているのは、やはりヒルトへの個人的な思いが影響しているのだろう。
ハーディンの私室に案内されたアカリは、ヒルトに先んじるようにノックもせず、扉を開けた。
驚く様子の少女には気を留めず、彼女はずかずかと部屋の中に押し入る。やはりというべきか、衛兵は夫人の側に寄せられているらしく、ここは無防備だった。
机に向かい合っていた男は、予期せぬ来客であることを瞬時に判断し、振り返った。魔力もそうだが、この屋敷には不作法な者は誰一人としていないのだ。
「驚いた、仕事人も御用聞きをするとは」
「まさか」
「とすると、純粋に訪ねて来てくれたか」
アカリは何も言わず、ヒルトの方を一瞥した。
それに応えるように、ハーディンは「部屋で待っていなさい」と厳しさを感じさせない声で言った。
従順でおとなしいヒルトだが、この要求には僅かばかりの反抗を見せた。一度言われた時点ですぐさま帰ろうとはせず、しばらく立ち止まっていたのだ。
「パパンの言うことは聞くもんだよ。なに、茶の一杯くらいは呑んで帰るから安心しな」
「……うん」
そこでようやく納得し、ヒルトは戸を締めて自室へと戻った。足音が遠退くのを確認し、仕事人は口を開く。
「雷の国がどうなっているのか、知ってるのかい?」
「君が知っている方が驚きだ」
「はは、面白いことを言うねぇ。あたしゃこの国で最強の日雇いさね」
「全く以てその通りだ。だが、疑問はそちらではない――ここに来た理由はなんだ」
かつて仕事を請け負ったにもかかわらず、ハーディンの態度は威圧的だった。
「そんなカッカするところかい? あたしゃ純粋に、パツキンの様子が気になっただけさね」
「……本当か」
この返答には拍子抜けだったらしく、領主は間の抜けた顔を見せた。
「半々ってところさね。あの子の様子はそのついでさ」
 




