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ゆっくりとした歩調で迫り来る魔物に、アルマはただ呆然としていた。
彼女ほどの術者であれば、たった一体の魔物を撃破することは難しくない。その上、相手の戦力は眷属のそれと同等といったところだ。順当にいけば、片手間にも処理できる相手である。
そんな彼女に代わるように、インティは《魔導式》を展開しながらも、姫の前に立った。
「姫は下がってください」
「……」
「姫!」
「えっ!?」
聞こえた声に応える形で、彼女は咄嗟に退いた。
それを確認した瞬間、彼は手に持っていた玉を空に放りなげる。すると、光属性の黄色に発光し、昼間の明るさ、照明に隠れない光量が迸った。
目を閉じるアルマだが、インティはと言うと軽く瞬きをした程度で、《魔導式》の維持も難なく行っている。
「これで援軍が来るはずです。短い時間ですが、どうにか凌ぎきって見せます」
軍人らしい勇敢な行動、という言い方では表現しきれない。彼の在り方はまさしく、人間の勇気に裏付けられたものだった。
いくら対魔物戦術が進歩しているとはいえ、眷属と一対一で対峙するのは危険とされている。ベテランの戦士と術者の一組により、安全を取りながら各個撃破――これがシナヴァリアの提案した有効な戦法であり、唯一といってもいい策だった。
もちろん、奇策の類は無数にある。だが、一人一兵という個の戦力を過小にも過大にも評価しない彼は、この策以外はほとんど許してはいなかった。
つまり、彼の選択は常日頃から慣れた戦い方ではなく、その上で近接の時間稼ぎ役の抜けた状態といえる。
騎士団が到着するのが先か、彼の命が果てるのが先か。勝負は五分五分――いや、実際には勝利の方が勝るか。
「あ、あたしも戦うよ!」
「姫……ですが」
「大丈夫。悲しいし、つらいけど――でも、あたしは光の巫女なんだよ!」
「では、私が時間を稼ぎます」
「ううん、あなたが……えっと」
「インティです」
「インティさんに攻撃をお願いするね。あたしは邪魔の方が得意だから」
金髪の術者は頷き、術の順列を高めていく。一人であれば低級術で時間稼ぎというのが定石だが、二人――それも、巫女が補助を請け負ったとなれば、かなりの無理ができる。
状況が変化したと見てか、寄生種は力の抜けたひどく不格好なフォームで走り出し、接触までの余裕は半分ほどに縮まった。
「(まずいっ……! 式を崩して間に合わせ――だが、私にできるのか)」
現在の量は中級術の中盤といったところ。解体したところで再構築できるのは十数番の脆弱な下級術だ。
その上、解体が超のつく高等技術であることは以前にも述べた通りであり、優秀や秀才という程度では不足が大きい。成功率は五割を切ってくることだろう。
そんな逡巡を払拭するように、魔物が奇妙な――なにも障害物のない場所で転倒した。
「あの魔物、人の体に慣れていないのか」
「ううん、転ばせたんだよお!」
姫の言葉に疑問を抱くインティだったが、巫女がそう言った以上、嘘ということではあるまいと自身を納得させた。
立ち上がる――かと思われた人体は、四肢を足のようにして歩き出した。速度こそは遅いが、そちらの方が勝手知ったるといったところだろうか、安定度は高くなっていた。
だが、今度はもっと明確だった。人間の四肢は四足移動を是としたものではなく、当然跳躍などの能力は動物のそれに劣ってくる。
速度が増した直後、地面がせり上がった。高さは踝までの低いものだったが、それでも十分に妨害に達した。
「(導力によって動かしたのか!? あの石畳を)」
たいしたことのない、地味な技のように見えるが、インティはこれを恐ろしく高度な技術のように感じ取った。
導力の遠隔制御が困難であることは知っての通りだが、彼女の場合はそれをさらに上回る。
石畳を持ち上げるだけの力というと、普通の術者が導力を手から放出したとしても、ほぼ不可能とされるレベルだ。その上、このライトロードの地面は軽々掘り返せるものではなく、地の結束を引きちぎるという余計な力まで必要とする。
しかし、この技はそうした力技ではない。彼女だからこそ――《光の門》と繋がり合うことのできる《光の星》だからこそできる、連携の技。
「(さすがは巫女、これならば――勝てる)」
確信に至った若き術者は、上級術へと至る《魔導式》を刻み切り、アルマに合図を送った。
「《光ノ百三十九番・光子弾》」




