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――光の国、東部戦線にて……。
「宰相、こちらを都合していただきたい」
「……私は宰相ではない」
「ハッ、申し訳ありません」
野外陣営の中、シナヴァリアは将校から紙を受け取ると、それを眺めた。
「そちらの部隊は遠征だったな」
「はい。ですので、足と食料は最低限に用意しなければなりません」
「半数で十分だ。輜重は二、兵糧はそこに詰める限りが妥協点だ。予備の武装を入れるとすれば、食料数は指定の三分の一になる」
「なっ……」
遠征部隊というのは最前線側へと陣を広げる役割を持つ──所謂、敵地侵入の一番槍のことである。
もちろん、具体的に陣を張るわけではなく、その可能性があるかを調べてくるのが主な任務だ。そこでの戦闘は当然熾烈なものとなり、危険な任務として認識されている。
それ故に、シナヴァリアが見定めた通り、要求数がかなり水増しされていた。危険である必然という意味でいえば、十分に納得できる理由だが、彼はそれを許すような男ではない。
「……確かに、多く要求したことは認めます。ですが、士気の維持を考えるならば、この数が適正かと」
「馬車を四台は機動力が損なわれる。二台にしても、途中で放棄することを前提とした数値だ」
「放棄……まさか、本気ですか」
神皇派の首魁、タグラムの統治によって、税収は大幅に増している。それにより、軍に回される金はかなりのものになった――のだが、兵站については、かつてとなんら変わりない。
いや、むしろ減少傾向になる。余計な徴税行為により、生産能力に翳りが見えているのだ。
無論、こうなることをシナヴァリアはもちろん、ダーインも理解していた。
前線の苛烈な環境を理解しながらも、大幅な増税を避けてきたのはそれが原因だったのだ。大幅に環境が変化したのは、統治者が交代した段階からである。
兵站の供給路、人民の意識、軍備の品質維持には、徴税などを民が耐えきれる範囲にとどめなければならないのだ。
とはいえ、タグラムの能力が全面的に不足していると言うことでもない。彼の見方は戦術家としてのものであり、それが適材適所ではない場所に入ったのが問題だった。
「ものならばいくらでも替えが利く。だが、人は一度きりだ」
「……であるならば、提案を呑んでいただきたいのですが」
「戦いは現実の中で起きている。夢想に逃げ込むのであれば、戦う資格はない。別の部隊で向かうとしよう」
「……分かりました。その数で往きましょう」
将校は引き下がり、陣を後にした。
しかしこの状況、凄まじく奇妙なものに見えるだろう。
シナヴァリアは役職を奪われ、ただの一兵としてこの戦場に来た。にもかかわらず、彼のやってることは依然として宰相のような勘定であった。
これは彼がなにをしたということではなく、ましてやダーインが手回しした結果ではない。事実、シナヴァリアは数日間は前線で戦い、脅威の戦闘力を発揮していたのだ。
言ってしまえば、この現象は収斂であった。水の中に棲む生物が魚のそれに近づくのと同じように、資質を持っている者は同じ場所に辿りつくのだ。
人とは元来、こうした収斂を阻害する力を持つが、この場で戦う軍人達は摂理に抗うような性質を持ち合わせてはいなかった。
それもそのはずだ。城で勢力争いをする貴族達とは違い、彼らはまさに命を賭けた鉄火場で争い、負ければ死を賜るのだ。
必然、原始的な思想、行動原理を持った者は摂理に抗わない。生きる為には、それに従うべきだと体が知らせるのだ。計算ではなく、本能が。
英雄が戦いの後に没落するのも、これが原因と言える。平和という文化的な状態が、人を高度な生物に変えるのだ。
そうなると、収斂への反抗心が生まれる。原始の頂点とも言える英雄が、同じく叡智を持った人間であっては都合が悪くなるのだ。
「言い方を考えたらどうだろうか」
陣の奥で別の業務に当たっていたダーインが姿を現し、それと同時に彼へ注意を行った。
「必要な分を必要なだけ。それが最も有効だ」
「無論、それは私も理解している。兵力の減退がもたらす影響、宰相殿がそれを見逃すことがないということも」
「……」
「ならば、そう言えばいいのだ。思いはせずとも、結果そうであれば装飾しようとも問題はあるまい。兵の命を優先している、同志の死は避けたいと」
「無駄な言葉だ。論理は骨組みだけで十分だ、余計な贅肉は余計な認識を生む」
「その余計な認識というのが大事なのだよ。嘘を吐くのは人の性だ、であるならば、その言葉を使うことになんの問題がある」
この大貴族は、飽くまでも表の世界で戦ってきた男だ。だからこそ、このように考える。
君主というものは、嘘八百を堂々と言い、その責任を潔く背負う力が必要とされる。合理が破綻した不合理であれ、それを認める力。非現実の世界で生きる力。
対して、シナヴァリアのような補佐役は正反対だ。幻想などではなく、ただひたすらに現実を見る必要がある。そうしなければ、ボスがあっという間に腹を切ることになるのだ。
彼の言い分は君主としての気構えだった。だからこそ、シナヴァリアにとっては非常に苦手な分野とも言えた。
「その調整はそちらに任せる。私には適していない」
「――たしかに、それは同意する。ただ、少しは寄り添う努力をすることだよ、宰相殿」
「……私は宰相ではない」
 




