崩れ行く均衡
――雷の国、ラグーン城にて。
「凱旋にしちゃあ、ずいぶんと気が沈んでるみたいだねぇ」
「口を慎め」衛兵は言う。
「いえ、構いませんよ。……彼女がいることですし、皆はしばらく休憩を取られては?」
皆は一様に迷った後、王が任意ではなく、強制命令を下していることを察して部屋の外に出た。
この応接間にアカリがいたのは、王が事前に呼んでいたからだ。彼女であれば不法侵入も容易だったが、ここでは正規の手順が踏まれている。
諜報の任を果たすべく、闇の国に付きながら各地で破壊活動を行い、水と雷に戦争を勃発させかけた張本人。
本来ならば大罪人もいいところなのだが、彼女はこの首都防衛を一手に引き受け、実際に守り抜いたのだ。
そして、その報酬支払いの場がここである。
「それで、勝ったのかい?」
「はい」
「にしちゃあ、あの顔はないと思うがねぇ。ま、あたしくらいに目が利かなきゃ、王様の意気消沈具合は分からないと思うがね」
「顔に表れていましたか」
「そりゃね」
態度や口調は軽いが、彼女の観察能力は王の知るところであった。
「極秘の情報となります」
「それを聞いても、報酬は額面通りに受け取るよ」
「ええ、それで構いません。ですが、口外は避けてください」
極秘情報、というのはそれだけで莫大な価値がある。一国の王がここまで――勝利をひっさげながら、その喜びを感じないほどの事態ともなれば、決定的な弱点であることが多い。
これを手土産に他国に亡命、という道もあるのだが、彼女にはそういった欲求はないだろう。
「そりゃー断言できないねぇ。状況次第――」
「ライカが闇の国に攫われました」
これにはさすがの仕事人も言葉を失わざるを得なかったらしく、小気味よい冗談や、挑発の言葉さえ喉奥に到達しなかった。
「……それは本当かい」
「ええ」
「戦死ってことじゃ」
「状況から鑑みるに、その可能性は乏しいかと」
ここまで詰められている状況では、何も言うことができなかった。
咄嗟に、アカリはこの場から逃げ出すことを考えた。次なる手を読み、その上でこの泥船から逃れる他にないことを、察したのだろう。
「《不死の仕事人》、あなたのポリシーは理解しています。ですが、どうか雷の国にご助力を願えないでしょうか」
「……攫われたって言うなら、他国に助けてもらえばいいじゃないかい。こんな野良を正規に雇うなんて、正気の沙汰じゃない」
「火は救出に対して否定的です。水については可能性がないとは言えませんが――信頼に値するかは疑問ですね」
これがラグーン王の本音だった。
火の国の一人抜けを許すような体たらく――その上、主催国である水の国がそれをしてしまったという時点で、現実的な統制能力が低いと見積もるのは当然のこと。
「ま、他国の姫がどうなろうと、知ったことじゃないからねぇ。それに、均衡を守る力が消えたとなりゃ、他国からすりゃ好都合なことばかりさね」
そう、この時点で雷の国は完全な無防備。一度は失敗したラグーン侵略についても、今であれば成功する見込みもある。
前回は組織や魔物の横槍があったが、カルテミナ大陸を攻略した以降、魔物や闇の国の勢いは弱まりつつある。
これが客観的な認識。
ただ、彼らは根本的に違えている。水の国はもはやラグーンを侵略することはないだろう。
フォルティス王は戦闘狂であり、自国を世界最強にするというヴィジョンを持ち合わせてはいるが、根っこの目的はライカとの一騎打ちだった。
これが成されないという時点で、わざわざ他国に攻め入るようなことはしないだろう。和を乱してもなお、侵略に打って出た理由が好奇心という辺り、これを予測しろというのが無理な話だが。




