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未だに戦意を維持しているキリクと違い、白の方は口許を緩めた後「ハハ、これじゃあ勝てませんね」と冗談のように言った。
「組織の任務を放棄する、というのか」とキリク。
「ええ、彼は遊びを見逃してくれる、そう言っているんですよ。ここで正面から挑むことになれば、今度はちゃんと戦うことでしょう」
遊び、それは紛れもなく、彼をこの世界に呼び寄せた――呼び寄せる条件を整えたことだった。
特に目的もなく、召喚命令を下すようなものだ。普通であれば、これは大きな問題ではあるのだが、ガムラオルスに憤りなどは見られない。
「しかし、残念ですね」ガムラオルスを見据え、言う。
「……何のことだ」
「この場に、ティアさんがいないことですよ。彼女の様子を見るに――」
白の横目に気付いたエルズは、首を傾げた。
「余計なお世話だ」
「ハハ、エルズさんの前例を見るに、時間はしばらくありますし――山に戻られては?」
「余計なお世話だと言ったはずだ。それに、俺には別件の用事がある」
「ほう、それは興味深い。あなたは自分が何をしたのか、どうやら察しがついているようですね」
「睦言混じりにな」
これを冗談と汲み取ったのか、黒ローブは一度唖然とした後、すぐに笑い出した。
「なるほど、未来というのは素晴らしい世界のようですね。もっと具体的に詰めたいところでしたが、今はそれで良しとしましょう」
「……さて、それはどうだろうな」
「彼女もずいぶんと、愉快な性格になっていましたよ。平和な世界なんですね」
「ただ大人になった、というだけのことだろう。世界がどういう姿であろうとも、それをどう捉えるかで世界は変わる」
意味深な言葉を述べた後、彼はキリクの方に視線を送った。
「そこの男は納得したようだが、お前はどうする」
「……」
「キリクさん、ここは退きましょう」
悩ましいといった様子の槍使いだったが、白の説得が有効に働いたらしく、頷くことで撤退の進言に従った。
戦いが終わろうとした瞬間、ウルスは奇妙な単語に気付き、言葉を失った。
「キリク……だと」
仮面の槍使い。それはかつて、魔物を討ち取るべく協力した冒険者の特徴と合致していた。
しかし、彼はその可能性を見ていなかった。
「(《雷光の悪魔》――キリクは確かに強い冒険者だった。しかし、奴は神器を持っていなかったはずだ)」
規格外の力、凄まじい身体能力など、当時から同類かもしれないという認識を彼は持っていた。
しかし、断定するには至らなかった。少なくとも、悪魔がどの《選ばれし三柱》なのかは判明しなかった。
「……サイガーが求心力を得たのは、お前の影響か?」
既に戦えない者の声であったにもかかわらず、槍使いは明確に驚愕の反応を示した。
「キリク、お前が組織に加担していたとはな。冒険者ギルドが組織と通じたのは、その影響なのか?」
「ウルスさん、そういう質問はよしましょうよ。組織は幅広い活動の反面、全員がその末端まで知り尽くしているわけではないんですよ」
「どういう――」
「どういうことだ」キリクが先んじた。
「それは追って説明することにしましょう。今は、撤収が優先です」
「……分かった」
二人は背を向け、無防備にその場を後にした。
それを追跡することが可能なのは、この場でただ一人――ガムラオルスだけだった。
「奴らを……奴らを追ってくれ!」ウルスは声を絞り出すように言う。
「断る。奴らは俺が始末する相手ではない――それに、追ったところでどうなる」
「……くっ」
「《天の太陽》が本気で殺しに掛かれば、勝負が成立しないことくらい――お前なら分かるだろう、《火の太陽》」
「お前、俺を知っているのか」
「必要最低限ではあるが」
そう言った後、彼は纏った外套の内側に手を突っ込み、三枚の札を取り出した。
「治療用の《呪符》だ。回復までしばらく掛かるが、奴らの追跡という無謀を防ぐには都合がいい」
「……あ、ありがとうございます」クオークは困惑しながらも感謝を述べる。
「お前達がここでのたれ死ぬと、後々厄介なことになる。ただそれだけだ」
無愛想な答えだったが、それに慣れ始めていた若い術者は気にすることはなかった。
「では、俺は行く」
「待って!」
制止を呼びかける声を聞いた瞬間、彼は足を止めた。
「あなたは……あなたはティアを連れ帰ったのよね? どうして、どうして山に――」
「風の一族は、救世主を望んでいた。彼女がそれにふさわしかったからこそ、俺が連れ帰ることになった」
「……」
「《闇の太陽》、お前に頼みたいことがある」
あれほど強かであったガムラオルスが、突如として謙るような態度になった。
「えっ」
「ティアに力を貸してやってくれ。今、山に向かえばお前は受け入れられる」
この言葉に、彼女はどこか嬉しさを感じた反面、奇妙さを覚えた。
「なんで、断言できるの? 未来で聞いたことだから?」
「……俺はただ、若かった。だからこそ、里を見捨てた。今、あの里で現実を見ている人間は誰もいない」
彼の言葉には、過去の反省が強く含まれていた。しかし、それだけでは彼女は納得できない。彼女からすれば、彼は親友を連れ去り、勝手に山を抜けた男でしかないのだ。
「だから、なんで断言できるのよ!」
「かつてであれば、ティアの意見ではどうにもならなかった。だが、今はあいつの一声で全てが進む。あいつがお前を受け入れると言えば、一族の者達もそれに従うだろう。それだけ、あの者達は回天の機会──流れを変える力を望んでいる」
彼女は、風の一族がどのような状態にあるのかを察した。
「でも、なんでエルズなの? あなたが戻れば――ティアは、あなたのことが好きなのよ。エルズなんかじゃなくて、あなたのことが」
「ああ、知っている……知っているさ」
気持ちが高まっていたエルズだが、この言葉には言葉以上の強い感情が含まれており、彼女は気圧された。
「だが、あいつに必要なのは今の俺じゃない。一番可能性を持っていた頃の俺だ」
「えっ……」
「そして今、あいつの無茶で無謀な行動を止められるのは、お前だけだ。どうか、支えてやってくれ」
この一方的なやり取りに気が立ったのか、ウルスは《呪符》を使いながらに、彼の顔を睨み付けた。
「うちのメンバーを引き抜こうと?」
「風の聖域が陥落されることがどれだけ危険か、お前なら知っているはずだ」
「……チッ、勝手に言いやがって」
ガムラオルスは自身の役目を終えたと判断したのか、両肩に力を収束させ、翼を展開する準備を始めた。
「待って! あなたが未来から来たって言うなら、これからどうなるのかも知っているのよね!? 世界はどうなるの!? ティアは――」
「未来で会おう! エルズ!」
それだけ言い残すと、彼は返答を避けたまま、南方に向かって飛び去っていった
「あの人……本当に未来の人だったんですかね」
「さあな、だが――あいつがここに来たのも、どこかに向かおうとしているのも、奇妙だとは思わねぇか」
「どういうことですか?」
「……未来はまだ、確定していないってことなのかしら」
その先の未来が確固たるものではないとすれば、彼の介入はおそらく、彼の時代に繋げる為のものなのだろう。
「ああ、だからあいつの指示に従えば、未来は奴の手の内だ」
「……卑怯ね」
「だろうと思った。まー止めはしねぇよ、せっかく会える機会だっていうなら、乗った方がマシだ。後悔後先立たずだ」
理解に至らないクオークにも分かるようにか、エルズは「そうね、あいつが嫌な奴だとしても、今のティアを見捨てるわけには行かないから」と狭められた選択を述べた。
「あっ、そういうことですか!」
「こっちのこと、あなた達に任せるわね」
「ま、もとよりそのつもりだ。あの男じゃねえが……渡り鳥、きちんと守ってやれよ」
「ええ、もちろんよ」




