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――闇の国、マナグライドにて……。
「カルテミナ大陸が落とされたってのは本当なのか?」
「ああ、聞いた話だが、どうにも本当らしい」
悪鬼の如く思われる闇の国だが、そこに住まう人々はというと、他国と大差ない心情であった。
「うちの兄貴も生き残ったっていうのに、帰ってこないし……どうなってるんだよ」
「それを言うならあたしの弟もよ」
常勝と謳われたカルテミナ大陸が落とされた――という噂は、公式発表もなく広まっていた。
もちろん、その戦いに参加した兵士達は軟禁され、情報を口外することはできない。もし自由だったとしても、緘口令が敷かれている為、やはり事実は隠されていたことだろう。
「そのような風説を撒いているのは誰だ! 我が国は今もなお優勢だ!」
軍服を身に纏った男――第三部隊の者だ――は厳しい声で言い、集まっていた民衆を払っていた。
かつてディードが所属していた部隊も、いまでは事実の隠蔽に奔走しており、他国に攻め込む暇もない。
各国で恐れられていた闇の国だが、戦いの多くで敗北し、その勢いは完全に削がれていた。
優秀な指揮官を失ったこともあるが、実情も知らず、公表される情報で士気を高めた民間人が参加していることも影響しているだろう。
第五部隊についても、敗北して戻ってきたというのに、戦果をひっさげた凱旋ということになっているほどだ。
軍としては咎めるところも多いのだが、自国が敗色濃厚であることを悟らせまいと、表向きには英雄扱いである。
とはいえ、責任追及が一切行われなかった――ということではない。部隊長だったディードは第三部隊への転属となり、副官だったバロックが部隊長に昇進となった。
転属とはいうものの、軍内部では彼が敗軍の将であることは知れ渡っており、状況は以前よりも悪いものとなっていた。
こうして町中を歩き回っているのも、先ほどのような集まりを散らす為であり、もはや前線は――昇進は遠く彼方に去ってしまった。
別の場所に移動しようとした時、ディードは聞き慣れた音に気付き、立ち止まった。
闇の国の通信術式。第三部隊の活動上、使用される頻度は並大抵ではない。
「(どこかで暴動が起きたのか)」
戦争をよしとしない者達が独自に動き出し、活動を行う。このようなことも、闇の国では珍しいことではなくなっていた。
当たり前だ。この戦争において、闇の国の利益は乏しい。なにより、戦う理由自体がないのだ。
一応には領土拡張、という名目こそあれど、それを受け入れているのは特に考えもしない者達だけ。
一部の思慮深い者は、この戦いには別の意図があると読み、その上で反対活動を行っていた。そこには当然のように、暴力が伴われていた。
とはいえ、飽くまでもそれは少数派に止まっている。具体的に徴兵令が出されたわけでもなく、志願兵として軍に所属する者達は、思いの外多かったのだ。
それ故に、失敗を失敗たらしめないとばかりに、その親族が戦争の意味をこじつけるように与えていたのだ。
元隊長はため息を付き、通信を受けた。彼としては、自国民を制圧するような真似は、なるべく避けたいのであろう。
――しかし、連絡は彼の想像していたものとは異なっていた。
『ごきげんよう』
「……巫女様、ですか」
『ええ』
彼は訝しんだ。作戦に失敗し、左遷されてしまった自分になんの用があるのだろうか、と。
ディードの考えはひねくれたものではなく、実際に軍は彼をもてあまし、突き放すような態度でしか関わっていない。
「暴動ですか?」ディードは平時と変わらずに問う。
『でしたら、わたくしが連絡することはありませんの』
正論であったが、少なからず皮肉を込めた言葉を軽く躱され、ディードは機嫌を悪くした。
「……では、なんでしょうか」
『マナグライド城に来てくださいまし』
彼はすぐに了承し、通信を切った。
即断即決ではあるが、彼にとっては色々と複雑な命令だった。ただ、上の人間から命じられたことであるならば、それに応じる他にない。
城はつまり、闇の国の中枢である。そんな場所の住人からすれば、ディードは厄介者でしかないのだ。
巫女の命令、ということを伝えると、番兵はディードを通した。彼もまた、指示に忠実で、私情を持ち込まない人間なのだろう。
ただ、城内は別である。すれ違うようなことがあれば、奇異の目で見られる。もちろん、言葉を交わすことはない。
「(多くの部下を死なせた罪が、わたしにはある。しかし――巫女様は、こんなわたしに、なにをさせようというのか)」
通信においても、用件は伝えていなかった。直接会うまで言えない内容なのか、それともからかいの意なのだろうか。
彼は後者ではないか、と考えた。悲観的な思考のようにみえるが、そうではなかった。
うっすらとだが、ディードはライムという少女の幻影を見ていたのだ。
一時とはいえ、行動をともにした仲だ。その夢のような記憶では、彼女のいたずらな性質が強く残っていたのだ。
もちろん、具体性はなく、ただの思い込みや印象のレベルだ。それでも、彼の脳に存在していた情報だ。
指示された場所を聞いた時点で、彼は一つの予想を立てていた。飽くまでも現実的な、そうであることが自然な流れ。
「(捕らえた者の尋問……は第四部隊の仕事のはずだが)」
階段を降りていくと、第三部隊として幾度も立ち寄った、城内牢に到着した。
ここに収監されるのは、所謂貴人の類いである。
表の牢屋に送り込むと都合の悪い人間、という意味でもある。だからこそ、危険な人物も同様に捕らえられている。
城下に設置された場所では、全員を一カ所に閉じ込めていくという形を取っているのだが、こちらは一人一区画が確保されている。
一見良質な対応のように見えるが、管理が甘くなり始めている表と違い、こちらは脱獄の不可能な場所だ。
ディードは囚人の手首を一瞥し、すぐに視線を前方に戻す。
彼らの手首に巻かれている鎖。それは拘束具にしては小さく、軽量だった。むしろ、鎖の装飾品といった方が正確だろう。
「(《暴食の鎖》……装着者のソウルを喰らう道具というが――まさか、あれをわたしにつけるつもりなのか?)」
かつて、善大王が水の国で巻かれたものと同一の名前だが、こちらはその初期型である。
後々に拘束用として量産されたものと違い、こちらは本格的に対象者を封じる道具だ。
具体的に言えば、ソウルを喰われる量が三から四倍ほどあり、回復量を上回る速度で対象者を蝕んでいく。そして、最終的には死に至らしめる。
いくら罪を認めようとも、それは犬死にだった。償いであるならば、彼は受け入れることだろう――しかし、無駄死になるのであれば、それに抗う覚悟をしていた。
そして、真実が明かされる時が来た。城内牢の最奥に、闇の巫女は立っていた。




