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「えっ……」
術は確かに発動され、その役目を果たしていた。
しかし、彼女は生きていた。意識は明瞭であり、肉体に痛みは存在しなかった。
不意に目を閉じてしまった彼女は、恐れを恥じるように瞼を開けた。
直後、倒れたブランドーが視界に入り、エルズはわけが分からなくなった。
「……なん――仲間割れ?」
容易に想定できる状況ではあるが、そのはずがなかった。
彼は明らかに射線上にはおらず、少し前までは座り込んでいたのだ。それがわざわざエルズの前に来るはずもなく、それを予想する術があるはずもない。
「すまな……かった」
「……」
「恨まれて……当然の相手に、助けられながらも……礼すら述べられず……すまなかった」
「いまさら……いまさら何を言うのよ」
「……私は、盲目だった。違えていたことを……認めたくなかった。だが……だが、あの少女は――そんな、私を……」
「なんで今更、そんなこと言うのよ! もう……もう遅いのよ! もう、ティアは――」
エルズは言葉を失った。
本当に、全てが遅かったのだ。
もし、この場にティアがいればどうなっていただろうか。
もし、こうなる前に言葉を聞けていれば、どうなっていただろうか。
渡り鳥が行った善行はただの愚行ではなく、悪人を改心させるに至るものだった。
ただ、それを知ったのは全てが終わった後だった。
ティアは感謝されることも、謝罪されることもなかった。本来聞くべき当人が、この場にはいなかった。
そしてエルズもまた、相棒の行為が意味のあるものだと気付けていれば、彼と和解する機会もあっただろう。
「……そこか」
防御を解いた瞬間、切断者の炎はクローゼットを焼いた。
まるで虫の巣を燻したように、ライオネル領主はそこから抜け出してくる。
その体は発火こそしていないが、余裕のない鬼気迫った形相で掃除烏一同を睨んでいた。
「エルズ、どういうことだ?」ウルスは敵を睨みながら聞く。
「……そこのは、ただの偽物よ。ただ、ほとんど本物と変わらない精巧な偽物」
「ってことは、あいつの置き土産か」
偽身分裂、スタンレーが保有する《秘術》の一つだ。
能力は本物と同じであり、自分の体を動かすように命令を行うこともできる。
それ故に、経験豊富なウルスでさえ気付かなかった。魔力の配分に至るまで、完全に人間のそれなのだ。
その上、当人が魔力を最大限に抑え、必殺の機会を窺っていたとなると対処のしようがない。
「精神がないと気付いた時には、もう手遅れだったわ」
「……なるほどな」
その言葉は、ムーア敗北に納得ができた、という意味でも発せられていた。
とはいえ、カウンターではなく無力化である。危険を承知で調べていれば、眼前の敵が偽物であることに気付き、対策も練れたはずだ。
疲弊していた彼にそれを要求するのも、酷というものだが。
「さて、これで本当に終わりだ」
「くぅっ……」
ライオネル領主は手を挙げ、降参の意を示した。もはや、勝ち目がないと悟ったのだろう。
しかし、エルズは粛々と仮面を装着し、すぐに外した。
「エルズ?」
問われるが、彼女は首を横に振った。
「仕方ねぇな、痛い目をみてもらうしかねぇよな」
「な……降参した相手を痛めつけるというのか!? 冒険者風情が貴族にそのような真似をして、ただで済むと思うのか!」
切断者は少し考えた後、背を向けた。
魔女の顔をみた彼は何かに気付いたように、そのまま部屋の外に向かって歩み出す。
「……よし、撤収だ」
「えっ、いいんですか?」
若輩冒険者は貴族とウルスの顔を見合わせる。
だが、ベテラン冒険者は「構わねぇよ、さっさと帰るぞ」と部屋を出て行った。
クオークは立ち止まっているエルズを見つめ、彼女が私刑を行うのではないか、と警戒した――が、魔女もまた切断者に続いた。
釈然としないまま、ライオネル領主を一瞥をし、彼もまた二人の後を追った。
「フン、冒険者風情が粋がりよって……この私を邪魔できる者など、いるはずもない。あの善大王でさえ――」
言葉を最後まで紡ぐことなく、彼は絶命した。




