14
──水の国、ライオネル領内の村、クロア……。
あれから数日が過ぎたが、村に誰かが戻ってくる気配はなかった。
もし戻ってきたところで、フィアはそれを追い払っていたことだろう。
そういう事情もあり、彼女は善大王と一つ屋根の下で暮らし始めていた。いや、泊まっていたというべきだろうか。
「ライト、ご飯ができるよ」
「……そうか」
経過した日数は微々たるものだが、善大王の体調は日を追う毎に悪くなっていった。
幸いだったのは、彼が優秀な光属性の術者だったことである。自身の身であるからして、この侵蝕を意図的に遅らせることは、決して不可能なことではなかったのだ。
ただし、それでも時間制限は確実に存在している。彼の四肢は既にアンデッドの特徴とされる、灰色じみた肌に変わりはじめ、爪などは肉食獣のそれを思わせる鋭さを帯びていた。
「(もってあと三日……いや、二日くらいか)」
彼は死期──もう死んでいるのだが──を悟り、それでも取り乱したりはしなかった。
善大王がこうして生きながらえているのは、フィアが彼を受け入れたからに他ならない。もしも彼女が懇願しなければ、早急な介錯要求をしていたことだろう。
「(こんなことをして時間を潰すべきでもないんだが、だからといって……フィアを見捨てられないしな)」
ただ、彼は感情論だけで全てを投げ出すような、世を考えない無責任な男ではない。
意識がある間に、と今後の予定を記した書物を用意し、フィアの道しるべとすることを計画していた。
かなり不足ではあるが、彼女以外に自分の仕事を任せられる者はいない、そう確信していたのだろう。
「ライト?」
「あ、ああ……今すぐに行く」
二度目の呼び出しで、彼はようやく応じた。
書き掛けの日記をそのままにし、食卓へと足を運ぶ。
「ライトの為にいっぱい作ったよ」
「……ありがとう」
礼を述べながらも、彼は食事に手をつけようとはしなかった。
それはかつてのフィアが作るような、所謂粗悪な食事というわけでもなく、むしろ少女が作ったにしては上等な仕上がりだった。
にもかかわらず、彼は食べない。いや、食べられなかったのだ。
「調子が悪いの?」
「ああ、どうにも腹が減っていなくてな」
「毒とか入ってないよ?」
「そりゃ分かるさ」
これもまた、アンデッド化の症状だった。そこに空腹感が生まれる余地はなく、性欲でさえ皆無という状態だ。
ただし、全ての欲望が消え去ったわけではない。彼が唯一抱く欲望は──。
「ライト? えっちなのはやだよ?」
「……」
「どしたの?」
「……ああ、悪い、どうにもな」
適当な言葉でごまかしたが、彼は自分の欲求を抑えられないことに気付いた。そして、分かってしまったからには、同じ場所には居られない。
席を立った瞬間、フィアは彼の手を掴んだ。
「……血が欲しいの?」
「フィアにはお見通しか。ハッハッハ」
笑ってはいるが、かなり無理をしているらしく、作り笑いであることがフィアにも分かるほどだった。
「私のでいいなら──」
「バカ言え、俺は吸血鬼じゃないんだぞ。連中なら都合よく血だけを吸い取れるかもしれないが、俺にゃ無理だ」
そう、これこそがアンデッド最大の問題点だった。
彼らは吸血鬼の如くに吸血欲求を持つ。とはいえ、器官が別物であるということからして、その欲求を満たすのは容易ではないのだ。
それを行う為の唯一の方法、それは──人間を食い散らすこと。
無論、流血を誘発することで体外に血を出すことは可能だが、それでは何の意味もないのだ。
「にしても、厄介なもんだな……吸血鬼が血を吸うのは力の補給と聞いていたが、それが人間にも起きるなんてな」
「……体質はほとんど同じだから、仕方ないよ。負の力はこの世界じゃ弱まっちゃうから」
「ってことは、魔物が変な雲を出しているから進行が遅くなってるのか?」
「それもあるかもだけど……」
そう、吸血鬼は魔物に近い存在なのだ。故に、日の下では活動能力が著しく低下する。
ただし、この世界は謂わば《正》の世界である。いくら直射日光を浴びなかったとして、消費は静かに、そして着実に行われていく。
これを補うのが吸血行為なのだ。生命エネルギーを他の生物──特に効率のよい人間から吸い出すことで、不足分を補っていく。
この効率的というところが問題であり、過去より吸血鬼は人間を優先的に襲うとされ、生き血を本能的に欲しがるのだ。
理性を獲得した吸血鬼ならばまだしも、本能が全てを支配するアンデッドになり果てれば、間違いなく人間を食い殺すことになる。
 




