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「な、なんのことだし」
当人は気づいていないが、この場には明らかな異常事態が発生していた。
「この空間で《魔導式》が使えたのは、今回が初めてではなくて?」
「……あっ、確かに」
「わたくし達がこうして到達した時点で、どうにも修復が始まっていたみたいですわ」
「《星》の力ってこと?」
「さぁ、どうでしょうね。ということで、わたくし達の出番はありませんわ」
納得しかけたライカだったが、さすがの彼女もただの馬鹿ではなかった。
「っちょ、ちょっと待つし! ならなんでアタシが術を説明する羽目になったんだし!」
「……フフッ、せっかくですので手札を確認させていただきましたの」
「なっ──テメーやっぱりここで殺す!」
「時間ですわ」
殴りかかろうとしたライカだったが、攻撃が命中する前にこの世界からはじき出された。
そして、一人になったライムはゆっくりと歩みを進め、倒れ込んだフィアの傍で屈み込む。
眠ったままの姫の頬に触れると、語りかけるような口調で話し始めた。
「ライカちゃんに感謝しますのよ? 彼女がここを見つけられていなければ、《天の星》がしばらく舞台から消えることになっていましたわ」
眠っているフィアはなにも答えないが、彼女は満足げな表情を浮かべる。
「……んっ」
「あら、お目覚めになりまして?」
「…………?」
フィアは幾度も瞬きをした後、目の前の存在に驚き、咄嗟にその場を離れようとした。
しかし、体勢が体勢とあって、腰が抜けた状態のような動きでしか逃げられない。
「な、なんでライムが」
「少し前にはライカちゃんもいましたわ」
「えっ、そうなの?」
まるで全てを忘れてしまったかのように、寝ぼけ姫は間抜けな反応をした。
「さて、フィアちゃんには聞いておきたいことがありますの」
「な、なに……?」
「こんな風になった理由、お聞かせいただけますの?」
彼女が指さす方向をみたフィアは、言葉を失った。
「……ここ、どこ?」
「フィアちゃんが作り出すことのできる空間ですわ」
「えっ、でもこんな風にした覚えなんて……」
「以前の変化は、フィアちゃんの仕業でしたの?」
「あれは……気づいたらそうなってて」
「フフッ、責めているわけではありませんの。ただ、確認をしておきたかっただけですわ」
対人恐怖症姫の対応を見て、ライムはすぐさま彼女が怯えているのだと察した。
いくら人慣れしたとはいえ、こうして叱責されると彼女は弱いのだ。
「つまり、何か悪いことがあったということですわね?」
「なんで……分かるの」
「以前の変化は善大王様──いえ、ライト様と出会った時でしたわ」
その発言はミネアのものと符合している。
時期からいえば、善大王が聖堂騎士となった頃であり、フィアが現実にも王子様がいると考え始めた頃だった。
「ライト……ライト?」
「あら、フィアちゃん専用の呼び名ですの? でしたら、わたくしは控えさせていただきますが」
「……ライト?」
フィアの脳裏に、善大王が自分を庇って倒れた場面が蘇り、彼女は頭を振った。
しかし、思考はとどまることを知らず、時間を追う毎に鮮明になっていく。
「ライトは……殺されちゃった? 嘘……そんなこと」
「なるほど、トニー様はそこまで行ってしまいましたのね。それでフィアちゃんは──」
「やだ、やだよぉぉ……ライト死んじゃうなんてやだよぉぉぉ」
彼女は泣き出すが、今度は先ほどのように力があふれ出すこともなく、ただ泣きじゃくる子供と差はなかった。
そんなフィアを見ていたライムは──別段気にしている様子もなく、飄々とした様で彼女を見ていた。
「ねぇライム! そんなことないよね? ただの夢だよね」
「……断言はできませんが、事実ですわ。あの方であれば、善大王様を殺すことも容易いことでしょう」
火に油を注ぐような発言だが、フィアは耳を塞ぎ、これを聞こうとしなかった。
「ライトは死なないもん。ライトが死ぬくらいだったら──」
「死ぬくらいでしたら?」
「……もう、ここから出て行かない」
それまで余裕を持っていたライムだが、これは予想外だったらしく、驚いたような顔を見せた。
「それで、いいんですの?」
「うん……それでいい」
「なにも解決しませんが、それでも?」
「もう知らない。関係ないもん」
フィアの精神は退行していた。引きこもり姫と呼ばれた当時の如く、ただひたすらに逃避しようとしている。
そこに破壊欲求や破滅的な思考はなく、ただ単純に思考を停止させていた。
「……」
 




