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自由になった右手はトニーに向けられ、その掌からは無数の光糸が伸びていく。三連続の驚愕がこの一動作分の時間を稼いだのだ。
「いっけえええええ!」
フィアは叫ぶが、善大王は舌打ちをする。
あれだけ怒濤の攻めをしたにもかかわらず、この怪物が迷ったのは、心臓が一度鼓動を刻む時間にも満たなかった。
三本目の糸が放出された時点で、彼の体は回避態勢を取っており、一本目が到達する寸前には吸血鬼は空中に逃れていた。
「逃がすかッ!」
無論、それで攻撃が終了するはずもなく、無数の正エネルギーは世界の異物を追跡していく。
速度は互角。しかし対象を捉えていない光糸は消えることなく、世界を白に染め上げていった。
「(森の掌握にはあと少し……奴の足場を全て掌握すれば、それで終わりだ)」
「(あれほどまでの力、何の代償もないとは思えない。彼が私を捉えるのが先か、それとも私が消し去られるのが先か)」
「「(次の一手で全てが決ま──)」」
二人の読みは正しかった。あと一手で、どちらかが詰みとなっていた。
しかし、吸血鬼は枝を足場にした跳躍に失敗し、地面へと落下していく。
それと同時に、《皇》の張り巡らせていた白の結界は崩壊し、トニーを残して消え去った。
地面に叩きつけられ、胸を掻き毟る吸血鬼。
地面で頭を抱え、のたうち回る善大王。
二人の強者は戦闘とは直接関係のない要因によって苦しみ、同時に戦闘不能に陥った。
「ライト……まさか!」
善大王の苦しむ理由にはアテがあったらしく、彼女は彼の元へと駆け寄った。
「ライト! ライト!」
「がぁああああああ! うるさい! うるさいッ! 黙れェッ!」
苦悶に喘ぐ恋人を見下ろしながら、フィアは絶望しきったような顔をした。
「私はここにいるよ! ライト……ライトっ!」
幾度も呼びかけるが、彼女に対して何らかの反応を示すことはなかった。苦しみの虜となり、その渦中から抜け出すこともできない。
「は……はは、どうやら、あの力は想像以上に使用者を蝕むらしい……な」
フィアは声の聞こえてきた方向に振り向いた。
彼女の視線の先に立っていたのは、悶絶していたはずのトニーだった。
しかし、彼とて十全とはほど遠い様子で、狂気によって意識を保っているような状態だった。
《天の星》は両手を広げ、善大王を守ろうとした。小さな体では全てを遮りきれないが、それでも彼女はそうせずにはいられなかった。
「はは……はははは! 誇り高き吸血鬼の前に立ちふさがるか? ただの人間風情が──生命にも満たない雑種風情がッ!」
「私は人ですらないの。出自が違うだけで、あなたと大きく変わりはないの──ただの化け物」
「化け物だと……? 高潔な吸血鬼が化け物だと!?」
彼女は冷静だった。恐怖さえなく、震えることもなく、自分を化け物と言ってのけた。
それはある種の暗示だった。善大王を守る為に、自分を人間ではない存在だと言って奮起させているのだ。
そして、既に冷静さを欠いている吸血鬼を憤らせることで、罠にはめようとした。
「その穢らわしい身を引き裂き、食い散らしてやる」
もはや、ただの化け物となったトニーはフィアに向かって直進していく。荒々しく、獣のように。
その速度は彼女の予想を遙かに上回り、詠唱を行う時間さえなかった。




