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──水の国、北部の城、ライオネルにて。
「ライトっ!」
「……なんだ?」
城の一室で眠っていた善大王の上には、寝間着姿のフィアが乗っかっていた。
かつての彼であれば、そのまま卑猥な行為に移行してもおかしくなかったが、今回はどうにもその気はないらしい。
「(これはこれで可愛いもんだが、なんというか……色気がないな)」
色気、などと少女に情欲を抱く彼らしくもない感想だが、確かにその通りだった。
起こそうとしているにもかかわらず、彼女の髪にはアホ毛の他にも寝癖が目立ち、衣服も相当に着崩れている。
まさしく、油断しきった女とでも言うべきだろうか。強すぎる生活感が、性欲の解放を押さえつけているのだ。
だが、それにしても当時の彼であれば興奮していそうなものだ。だらしないとは着飾らないことであり、少女らしさを際立てる要素とも言える。
つまるところ、善大王が高ぶりを覚えないのはただの慣れ、というべきだろうか。
彼が呑気に思考している最中にも、フィアは両手──それも握り拳だ──で彼の胸部を叩き、覚醒を促していた。
「起きた?」
「反応した時点で分かるだろ。あと、そろそろ降りてくれ」
「えっ? ……あっ、ごめん」
彼女こそ目覚めきっていたのかったのか、冷静に言われた改善要求で正気を取り戻したらしい。
「今度こそティアに仲間になってもらうんだよね」
「おっ、今回はちゃんと話を聞いていたんだな」
純粋な感心だったのだが、これが皮肉に聞こえたらしく、寝癖姫は非常に不機嫌な様子だ。
とはいえ、善大王自身が彼女を相当に過小評価──今までをみる限りは適正だが──をしていたのが原因とも言えるが。
「私だって学習するの」
「そうか。なら今度こそなんていう傷つきそうな単語は使わないでくれ。俺はそこまで気にしないが」
さりげない一言だったが、なかなかにキツイ言葉ではあった。
彼はここに来るまでに二度も敗北しているのだ。今回がかなり重要な状況であり、今までのような出し惜しみがないとはいえ、敗北は敗北である。
「一応確認しておくが、今回は問題ないんだな」
「うん。ライトなら勝ってくれるかもしれないけど、今回は絶対に負けられないからね」
「おう」
海で三国が顔合わせをしている頃、彼は彼で追加の戦力を求め、こうして風の大山脈を目指しているのだ。
海上部隊がすぐさま戦いを挑むということではなく、防衛をしながら息を合わせていき、最終的に主力であるカルテミナ大陸と決戦するという流れだ。
その為、戦力を補給する時間はまだしばらく存在している。
冒険者ギルドなどもその候補に含まれそうなものだが、上位の冒険者だけを都合よく引き抜けるはずもなく、結果として軍隊だけで戦うことになったのだ。
故に、例外として投入する戦力にはティアが適切だった。彼女は山に戻ったということだが、一時的にでも助力が望めれば、大きな武器となる。
無論、その戦いには善大王とフィアという、それ自体が最終決戦兵器に相当するコンビが参加するわけだが、これは余裕があればということになっている。
「それにしても、こーんなふかふかのベッドで眠れるなんて、運が良かったよね!」
「フィアに配慮したつもりだぞ? ここは水の国でも教会の影響が強い場所だからな。神から任命された善大王なら軽いもんだ」
最近は硬いベッドにも慣れ始めたフィアだが、彼は彼女のことを考えた上でこの城を経由したのだ。
なにせ、ここからは山を登っていかなければならない。硬いベッドところか野宿を強いられる環境の中、疲労や不満がたまっていては難儀だろうと彼なりに気を遣ったのだ。
「だから私もいい待遇だったんだね」
「教えに興味のないフィアに気付け、というのは無茶だから言わないが……少しは観察してみような」
粗相をした子供のように、少し悪びれた様子で笑ったフィアだったが、彼が何かを顎で指していることに気付いた。
その方向に目を向けると、十字架、聖画像などが飾られていた。
貴族であれば多少なりこのような傾向はあるが、ライオネルの城ではこのような意匠が各所に施されている。
「なるほどー」
まったく興味のなさそうな反応のお姫様に呆れながらも、善大王は起床の準備を進めた。
「さて、今日中には麓に向かうぞ」
「うんっ」
「……それと、フィアはさっさと着替えてくれ。あと、髪も梳かしておけよ」
投げられた櫛をきれいにキャッチすると、彼女は慌てながらベッドを降りた。




