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フィアは驚いた。最初からハーディンと同様の交渉をするのだろうと想定し、この展開を予想の範疇としていたにもかかわらずだ。
これは彼女からみても危うい手だった。相手の揚げ足を取ることを得意とする商人に対し、今までのような愚直作戦は臓物を掴まれるに等しい悪手である。
「金……ですか?」
「水の国と雷の国に対し、多額の支援を行う予定だ。その金を都合してほしい」
「……なるほど、大義名分の存在する要求ということですか」
会長の口調は元に戻っていた。これはつまり、交渉のテーブルに乗ったことを示している。
「生憎、金が底を突いてしまってな」
「なるほど……なるほど」
「だが、返金するつもりはないぞ? 飽くまでも、あんたの秘密を黙っておく代わりに金を受け取るという話だ」
「脅しですか?」
「むしろ正々堂々で正直、雷の国の流儀だと思うぞ?」
瞬間、フィアは気付いた。気付いてしまった。
このやりとりは以前に行われたものと酷似していたのだ。だからこそ、彼女であっても次に起こる展開を予見できた。
「確かに。しかし、善大王様がそのような要求を行った、という情報はこちらも握れるわけですが」
「ああ、問題な──」
「問題大アリなの! もしおじさんがライトの悪口を広めようとしたら、私は絶対に許さないの!」
善大王は唖然としていた。少女に対して完全な観察を行える彼が、彼女の暴走を予想できなかった。
起こりえない状況に脳が完全に停止するが、そこは善大王というべきか、すぐさま思考を切り替えて対応に移った。
「悪い。俺のツレが余計なことを言ったな」
「……」
「(こりゃ、相手を悪い方向に挑発しちまったかな……)」
彼の戦略はシンプルだった。つまるところ、フォルティス王に用いたのと同じ方法──都合さえ良ければ、相手の倫理観を無条件に肯定するという手段だ。
通常の人間には揺るがない信条などがあり、それは確実に譲ることができない。しかし、彼にはその信条というものが乏しく、相手がどれだけおかしなことを言っていても受容できてしまうのだ。
盗みを働く、人を殺す、女性を犯す、こうした倫理の破綻した行為でさえ、彼は認めるのだ。それが悪だと認識しながらも──自分がそれを裁く立場にありながらも、見過ごしてしまう。
倫理観や偏見は人の手足を縛り、思考という関節部を硬化させる。だが、それがない人間というのは危うさの塊でしかないのだ。
「(ライトが悪い王様なんて思われるなんて、絶対に良くない……っ! ライトはみんなの為にがんばってるのに、そんな風に思われてほしくない!)」
少女の願い、動機はこの程度のものでしかなかった。善大王が果たそうとする大命と比べれば、一個の人間が持つ利己主義に基づいたものでしかない。
「ライト? それが善大王様の名ですか?」
「……あー悪い。それはこいつが──」
「うん──じゃなくて、はい!」
「(おい、フィア。そろそろ静かにしてくれ)」
「(ライトは黙ってて! こんなやり方をしてたら、ライトはみんなから嫌われちゃうの! だから……)」
「(それは仕方のないことだ。この世界を救うにしても、方法はいくらだってある。その中でも、俺が取ってきた行動は簡単な──誤差を生み出しづらく、そして最速で進行するものだ)」
「(だったら、もっといい方法を探せばいいの)」
「(それが俺の選んだ道なんだよ。別の方法なんていくらでも思いつくし、実行できる自信もある。だが、俺はそこまで他人を信じちゃいない──これ、悪い大人の例だから覚えておけよな)」
彼も本質的にはシナヴァリアと変わらなかった。
もっと簡単にする方法はいくらでもあり、自分の負担を軽減することは造作もないのだ。それであっても、彼らは自分達以外の不確定因子に大事を委ねるつもりがない。
部下に仕事を与えず、自分で全てを解決していくというワンマン指導者の典型例だった。一つ違う点があるとすれば、彼らは突出した才能を持ち、不可能という状況さえも一人で打開し続けてきたことだろう。
 




