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──光の国、ライトロードの教会にて……。
“宰相シナヴァリア、民から奪った金で天の国に賄賂。狙いは保身目当ての亡命か”
教会が刷った刊行物によって、ライトロード人の多くがシナヴァリアの悪行を知った。
最大の問題は、この内容の大部分が脚色されていることだった。宰相をよく見せようとせず、別の見方から捉えることで極悪人のように演出しているのだ。
その上、追撃のようにシナヴァリアが大量の人間を殺していたことや、他国から光の国を破滅させる為に送り込まれた者──などと尾鰭のついた風説まであふれかえっていた。
前者については、暗部時代の仕事がそうであっただけにたちが悪い。こうした嘘というものは、それなりに真実が混じっている方が信憑性を増すものだ。
「主の教えを理解していない者が指導者になれば、ああなるのも当然だ」
「他国の人間を要職に置くなど、愚行でしかない。神に従う我らライトロード人であれば、あのような恥知らずな行動は取らない」
教会に集まった者達はシナヴァリアへの批判を述べ、話し合っていた。
この会話に生産性はなく、ただの愚痴にも等しい行動なのだが、それも教会の機能──精神衛生の維持、向上──である以上は仕方のないことである。
しかし、彼のことをよく知るアルマからすると、この汚職事件を素直に信じることはできなかった。
「(シナヴァリアさんは確かに怖いけど、みんなが言うような悪い人じゃないよぉ)」
今すぐにでも、それを信徒達に伝えたい気持ちでいっぱいだったが、この場で口にするのは彼女からみても不適切だった。
光の国が平和な国とされているのは、教会による倫理矯正が最も強く働いているからだろう。だが、それだけで人間が負の感情から解き放たれるわけではない。
この教会内での集会もまた、人々の理性を保たせる作用を持っているのだ。
他者を貶めるような言動は悪徳の一つではあるのだが、この場に限ってはその制約は外れる。それは教会が国家に匹敵する影響力を持ち、その内部はどの国であっても治外法権となる為だ。
主の名の下に、この空間内では平等が成り立っている──という理屈を用いているようだが、これは各国が認めるところである。
これは教会に気を遣ってるという性格だけではなく、民の不満を吐き出させる理性的な場所、という為政者からしても都合のいいものだったのだ。
つまるところ、この風景は異常でも何でもない。むしろ、本来の姿といえる。
それを教会内でも象徴的な立場にいるアルマが咎めようものなら、信徒達が気持ちのやり場を失い、暴走を始めるかもしれない。
ただ、そんな彼女でも何一つ手を打たず、善大王の帰りを持つというようなことはしない。
「(あたしだって頑張れるもん!)」
ただの子供が発する言葉であれば愛らしく、悲しいほどに無力なものにすぎないのだが、彼女はすべてにおいて有利な立場に立っていた。
姫であり、巫女であり、教会の象徴。この国に存在する全ての派閥に対し、宰相以上に融通を利かせることが可能な存在なのだ。




