10F
近接戦に移行したものの、ディードが優位になったかと言われると、そうではない。
なにぶんモーションの重い攻撃である為か、熟練の冒険者であるウルスには軽々見切られ、カウンターの炎を合わせるほどだった。
その様相は、攻めているはずの部隊長が防戦一方になるという奇妙なもの。
「(この男……強すぎる)」
場の感情を排除すれば、炎の剣と槍の衝突、遅延を狙った追撃などそれなりに勝負が成立しているようにも見える。
だが、それが相手の手のひらの上で舞う行為に等しく、戦いの次元に到達していないという感触を覚えていた。
「このわたしを侮辱するつもりか」
「……お前を一撃で終わらせたとして、あいつらが納得すると思うか?」
「ッ……戦え! 手加減など無用だ!」
ディードの叫びが村に響き、切断者は肩をすくめてみせた。
「それが希望なら、終わらせてやるよ」
刹那、アカリが敗れた技と同じ──全方位を囲む炎の壁が出現する。この攻撃手段は対人戦において、対策不能の凶悪な技術であった。
ウルスの炎は予備動作が皆無に等しい反面、魔物や防御の術を一撃で打ち破るほどの爆発力に欠ける。
しかし、炎の壁に関していえば火力は必要ない。呼吸に必要な空気を高速で消費しつくし、相手を窒息させてしまうのだから。
空気の膜を作り、呼吸を維持しようとしても周囲の炎が空気を熱し、肺を焼き焦がす。
熱の伝導を防いだとしても、今度は迫り来る炎が物理的に対象を焼き払う。
か弱き人の身にある限り、この攻撃を突破することは困難である。
──だが、ディードという男は……やはり普通の人間とは異なっていた。
炎壁が出現すると同時に、彼は直進した。
「……ッ! あの若造、気を違えたか」
先程も述べたが、この炎は一瞬で突破しない限り、対象を確実に蝕むものだ。
直下から昇ってくるものならば、導力の皮膜でその一瞬を僅かに延長できるのだが、自ら突っ込むとなると皮膜で増した時間など無に等しい。
その上、点で狙う火柱と違い、炎壁は空間を対象にしている。単純火力は劣るものの、突破に要する時間は比較にならないほど延びている。
火中を走るディードは、皮膜を貫通して襲いかかる熱に呻きながらも、足を止めなかった。
そして、先も見えない世界、揺らめく赤一色の空間で、皮膜は効力を失う。そうなれば最後、刹那のうちに浸蝕を行う火炎が、血肉によって構成された人体に牙をむく。
導力を維持するのではなく、吹き出させることで絡みつく炎蛇を払おうとするが、人体発火が発生してしまったからには焼け石に水。
凄まじい速度で皮膚が焼き焦げていき、まだ炭化していない部分さえ脂肪を燃料に引火し始める。
生きたままグリルにされるような苦痛を味わわされながらも、彼は声を出さない。歯で食いしばり、体内に熱を送り込まないようにこらえているのだ。
しかし、これでは当初の予定通りに酸欠に陥るのが関の山である。むしろ、中途半端に抵抗したからこそ、苦しみが増したとも言える。
──だが、彼は踏破しきってしまった。
頭が蒸し焼きにされ、体に空気が行き渡らないような状況になりながらも、炎の壁を突破した。その厚さが、ベッドの縦の長さ二つ分と等しかった事実は、走りきった当人が誰よりも信じられないことだろう。
「あの無茶で突破しきったか……だが、世界を相手に戦うくらいだ、その兵隊もよほど狂ってなければ成立しねぇか」
「我々は……正気だっ……! 勝てるとみたからこそ、無茶を……した……っ!」
あろうことか、ディードは未だに突進を続けていた。全身から火を噴きながらも、標的へと直進し続ける。
機能不全に陥った肉体を動かすのは、やはりソウルだった。もはやこれは、傀儡人間のそれと大差ない。ただエネルギーが循環しているだけで、人間と称することさえ危ぶまれるほどだ。
無論、それを分かり切っていたウルスは勝負が決していることを知り、炎剣を構築した。
瀕死の人間の武器──それも重量級のものを落とすのは困難ではなく、振り下ろした剣で叩くだけで腕から落ちた。
武器もなく、術を発動するだけの意識も残っていない。この時点で、完全に詰みとなった。
その、はずだった。
武器を奪われ、もはや本能に任せた突進さえ防がれたディードに打つ手などあるはずがない。
だが、彼はこうなることさえ予想していたかのように、槍には目を向けずに突進を続けた。
「(もはや判断する頭も残ってねぇか)」
足蹴りして転倒させようとした時、切断者は気付いた。
「(いや、奴は言葉を話していた。あれは反射的に行えることじゃ──)」
死人を思わせるような動作で、部隊長はウルスへと飛びかかった。
もはや随意的に動かせる部位がなく、力強さなどは微塵も残っていない。だが、この攻撃はあまりにも常識はずれで、当事者になればこそあり得ないと切り捨てる展開だった。
槍は落ち、穂先はなくとも、ディードは不意を突いたのだ。
彼の体を燃やす炎は火属性の性質を帯びた……実体のある炎だ。術ならば調整によって相手だけを対象にできるが、この副次的な現象にそれはない。
全身に至るまで発火した彼の炎はウルスにまで延焼し、攻撃手段を失ったはずの状況から想定外の一撃を浴びせた。
「トンデモな無茶をしやがる」
「……わたしは既に、雷獣との戦いで……どこまで無理ができるのかを知っているつもりだ。どの程度生きていられるかも、調査済みだ」
ライカによって死の淵に追いやられた経験が、この場面まで彼を導いた。
そして、ウルスの炎が術ではないことも、臨死体験が教えたといっても過言ではなかった。




