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──水の国北東部、スワンプ周辺にて……。
一団が到着したのは、深夜の深夜、それこそ朝の方が近いと思われるほどの時間だった。
疲労困憊のひどい状況ではあったが、沼の生き物に襲われない場所をやっとのことで見つけ、各自で露出した木の根に座り込んでいる。
ただ、それだけで全てを防ぎ切れるわけではない。蚊は依然として飛んでいる上、沼の水棲動物ならば木の根っこ部分にまで移動することも可能であった。
そこでアカリが「追加料金で動物払いをするけど、どうする?」と提案したことで、ようやく休憩が行えるようになった始末だ。
周囲一帯には火属性の導力が撒かれており、ダメージを受けるわけではないにしろ、不快感から動物達はその場を離れている。過敏な隊員は同じような状況にあったが、休めるという安楽感と引き替えにはできなかった。
夜の闇を藍色の火が灯されたランプで払い、指揮官達は地図と睨めっこをしながら会議を行っていた。指揮官達とはいったが、そこにはアカリすら含んだ上、たったの六人しかいない。
「仕事人、お前にはあの集落の偵察を行ってもらいたい」とディード。
「そんなことする必要はないと思うがね」
「……どういうことだ?」
「隊長様も分かっていると思うけど、こんな僻地に住んでいる人間なんて大したことないよ。物好きな貴族が別荘を建て、狩りに興じるくらいの場所さね。純粋な人口は……」
「だが、冒険者が待機してるってこともあるだろ」とバロック。
「そんなのに警戒するようじゃ、どっちにしろこの部隊は終わりだと思うけどねぇ。少なくとも、ここに正規軍が来るわけないんだし、さっさと済ましちまいたいもんだよ」
急いているように見えるアカリだが、彼女からすればこのような行軍のお守りには全くの関心がなかったのだ。
思考の迷走、雷の国に戻る可能性の乏しさ、既に彼女は仕事を終えてもいい段階だった。挙句、彼らを出し抜いて逃亡もできるというだけに、やる気がなくなっていても仕方がない。
だが、そこはプロの仕事人というだけはあり、阿呆な所業にもつき合っているのだ。
「口が過ぎるぞ、部外者が」と指揮官の一人が言った。
「そりゃあんたの方じゃないかい? あたしはやらないとは言ってないがね……やれと言われりゃやるけど、そんなことをしている間に、隊員は余計に疲弊しそうっていう私見を述べただけだよ」
「グチグチと──」
「君の進言は心に留めておこう。だが、万全を期す為にも向かってくれないか?」
バロックを抑止しながら、ディードは飽くまでも方針を曲げるつもりはないといった様子で話を進めた。
「……はいはい、じゃあしてくるとするよ」
初めから偵察の手伝いをするという契約をしていたのだから、これ自体はさほどおかしなことではなかったが、アカリはただ一人でスワンプに進入することになった。
暗部時代の経験を生かした索敵方法は完璧で、今が夜間であることを差し引いても痕跡一つ残さずに調査を終えた点は評価に値した。
ただ、彼女は最初から分かり切っていた情報を回収した程度で、別段有意義な結果を見いだせたとは思っていなかった。
朝日が昇りだし、夜襲に最も適した時間が過ぎ去るのを認めながら、仕事人は陣地へと戻ろうとした……。
「あたしも信頼されてないってことかねぇ」
部隊はスワンプの近くにまで来ており、すぐさま戦いを行えるという装備で今か今かとそのときを待っていた。
「強かな者は存在したか?」
「予想通りだよ。いるのは民間人くらいのもの、大したことはないね」
「それでは正々堂々とは言えない……やれ」
部隊長からの命令を受け、隊員の一人──あの中年の男だ──は《魔導式》を展開した。
「隊長、どうぞ」
『……我々は闇の国の軍だ。今より、この集落は我々の拠点となる。命が惜しい者は投降せよ』
ディードの声は拡声の《魔技》によって村中に広がり、全住民の耳に届くほどの爆音となっていた。
そんなあまりにも不可解な行動にアカリは困惑しきり、言葉を失った。
「(この時間ってもまだ眠ってる奴も多いだろうし、さっさと攻め込むべきじゃないかねぇ……)」
彼が平和主義者であれば、彼女の考えは根底から違えたものとなる。
しかし、ディードはここにくるまで多くの人間を殺し、平和とはほど遠い手段で拠点を確保してきた。いくら部隊の戦力が減退しているからといって、こちらの出方をみすみす教えるようなことをするのは愚かとしか言えない。
そして、アカリが懸念した通りか、住民達は抵抗の意志を見せていた。
さすがに術を使える者はいないが、長柄の棒や竹槍、農具の類を装備しているだけに、安全で簡単な攻略からは遠のいてしまった。
「こちらの提案には応じないらしい。……皆殺しだ」
精神衰弱からくる正気の喪失か、隊員達は動物の喚きに近い雄叫びを上げ、戦闘を開始する。
幻術を用いれば容易に突破が可能なのだが、やはりこれも使われていなかった。公平さを重んじるといった最初の発言も、嘘ではなかったらしい。
戦いの内容は悲惨そのもので、もはや秩序もあったものではない。
「(隊長様の無能さは、ビリビリ姫から聞く限り急な変化のようにも聞こえるねぇ……連敗による判断の鈍りって線もあるけど、どうもそれだけじゃあ説明できない気がするのよねぇ)」
本来のディード、彼女にとってのそれは隊員達から聞いたものでしかないが、そこからも相違が生まれているというのだから奇妙だ。
何より隊員の命を重く捉え、闇の国を強く愛する愛国者……それがディードという人物だった。
しかし、この行軍や迷子な方向性からはそれらを感じさせるものはなく、別人にすり替えられたといっても驚かないほどの変化だった。




