8r
──水の国、スペンド周辺の吊り橋にて……。
未だに大人の姿をしたエルズを連れ、ティアは防衛部隊を追っていた。
シアンは借りも返し切れていない段階で追加の救助など頼めない、と穏やかに断ったものの、正義の権化ともいえる渡り鳥がそれで制止できるはずもなかったのだ。
ただ、ああも時間を食ってしまった後ではもう戦いも終わり、全員がスペンドについていることだろう……と、ティアでさえ思い始めていた。
「ティアは相変わらずに疲れ知らずだねっ」
「……実はちょっと疲れてきてるんだけどね」
「ええっ!? そうだったの!? いやぁ、ティアはいつも能天気そうな顔しているから、そんな風に思わなかったぁ……うん、勉強になったかも」
彼女の疲れを促進しているのは、この空気感が明らかに違う女性のせいでもあるだろう。
緊張感のない雑談の最中、二人は目的としながらも、実際に残っているとは思ってはいなかった存在を捉えた。
「(あれ……あの人って、ブラストっていう人じゃないかな)」
「あのおぢさん、一人で戦っているみたいだよ。あれだけの数の相手とやり合えているなんて、立派なものだねっ!」
「エル──ディアナ! はやく助けに行こうよ!」
「……無駄。もう、あの人は死んでる」
まるで予言であるかのように、吊り橋の傍で戦っていた兵長は黒ポンチョの集団の攻撃を受け、水嵩の増した川へと転落していった。
その光景を遠目で見ていた渡り鳥は言葉を失い、腕を震わせていた。
ディアナに関しては──表情どころか全ての要素おいて、感情の揺れ幅を感じ取ることができなかった。
「ディアナは、ああなるって知ってたの?」
「……それはちょっと違うかな。あの人の生命は尽きていた……ティアに分かるように言うと、反射的に体だけが動き続けていた、って感じかな」
それらしい説明ではあったが、ティアは彼女が嘘をついていることを看破していた。
いくら距離があるとはいえ、巫女である彼女は人間の体に含まれている魔力、ソウルをある程度は感知できる。ずばり、彼は最後の最後までエネルギーが巡っており、生命は終わっていなかったのだ。
「なんで嘘をつくの!? 私だって人の魔力くらいは調べられるよ! あの人はまだ生きてたのに……」
「まー強いていうなら、ティアが無茶しないように、かな。あんだけの数いる組織の連中を相手に、今のあなたじゃあちょっとツライものがあるからね。無茶は厳禁……って、エルズもよく言ってたでしょ?」
調子こそは楽天家のそれだが、彼女の判断基準はエルズとかなり近かった──いや、正しくはかつてのエルズと言うべきだろうか。
「ディアナがなんっていっても、私は戦うから」
「もう善大王様が解決してくれた頃でしょ? なら、この戦いに意味はないよ。組織の連中だって、もう撤退命令を食らってるだろうし」
年長者の助言をものともせず、少女は無謀で無意味な戦いに身を投じた。
「(ティアは相変わらずだね。意味があってもなくても、もう守る人がいなくても、ああやって戦っちゃうんだから……そういう自己犠牲的な考えが、どれだけ他人に迷惑を掛けるのかを学んでほしいよ)」
頭の中で考えながらも、彼女は遠くからティアの戦いを眺めていた。
ツライ戦いになると彼女は評価したのだが、感情を高ぶらせているティアはそんな前評判を覆すかの如く、有利にことを進めている。
「もう戦いは終わっているのに、なんでこんなひどいことをするの!」
相手は会話に応じず、彼女は戦うことでしか場を変化させることができなかった。それこそが、純真無垢な子供の精神構造をした渡り鳥の消耗を加速させる。
その消耗こそが、ディアナが感じ取った危うさであり、辛さの正体だった。
心が痛み、奇妙な感触をただの錯覚と捉えた彼女の傍に、それまで戦おうとすらしなかった相棒が駆けつけていた。
「ディアナ……?」
「まったく、人を助けたいっていうティアの考えは分かるけど、ちゃんと視野は広げること」
「ッ……」
突如として出現した穂先は地面に突き刺さっており、それと共に現れた仮面の刺客は驚愕の声を漏らしていた。
「こんちわー《雷の月》さん。生憎、あなたの名前は知らないんだよねっ」
「……何者だ。《闇の太陽》は子供と聞いていたが」
「ちょっとした事情で代理を引き受けてるって感じかな」
瞬間、槍使いの姿が消える。ティアは目にも映らない相手に驚きを覚えているが、ディアナは終始落ち着いたもので、なにもない虚空に蹴りを放った。
煤のように藍色の光が舞い、再び《滅魂槍》が地面に打ち落とされる。
「見えているとでもいうのか?」
「いいや、見えてないよ。ただ、こういう相手と戦う機会は少なからずあってね。人生はなにより経験ってね、無駄な体験なんてなにもないものよ」
「ならば、その経験は無駄だ。私の攻撃が命中すれば最後、お前は死ぬ」
「あれ? 《雷の月》さんって呼ばなかった? ……残念ながら、私は《滅魂槍》のこともよく知っているんだよね。死の恐怖で揺さぶろうとしているみたいだけど、《闇の太陽》を相手に心理戦なんて見上げた根性じゃない?」
彼女はすべてを理解した上で防御に成功していた──違う、ここでの異常性は彼女が恐れていないことだ。平静を保ち、依然として気を張りつめていないことだ。
一度の失敗が死を招く、それが分かっていれば誰であっても警戒心や恐れに足を引っ張られる。回数で死を覆せるスタンレーならば話は別だが、彼女の命は一つでしかないのだ。
「あなたの死がどのような影響を及ぼすか分からないし、逃げてもいいよ。できることなら同類は殺したくないからね」
「私を侮るな──余裕を見せているようだが、それもすぐに剥がれ落ちる仮面だ」
「《邪魂面》だけに……って? だとしたら面をつけてない今じゃ剥がれようがないなぁ」
今度は彼女の背後から穂先が延びるが、背面に向かって放たれる回し蹴りがそれを叩き落とした。
「だから、経験があるって言ったでしょ? 防げる分、あなたの攻撃の方が対処しやすいくらいよ」
組織のメンバーはキリクの実力、能力を認知しているらしく、この驚異的な攻防に目を奪われていた。
「(ディアナって……本当にエルズなの?)」
「(もちろん。たっだねー……これ余裕ないからね。早く助けがこないとしくっちゃうかも)」
突然聞こえてきた声で意表を突かれたらしく、ティアは尻餅をつきそうになった。
「(えっ!? 私の考えが分かるの?)」
「(少しはね。というより、意外とピンチなところに突っ込んでほしかったなぁ。こんなカッコつけておいて実は必死でしたー! って結構おもしろいと思ったんだけどなぁ)」
口調は相も変わらず余裕綽々なものだが、彼女の言い分は本当のようだ。
「(でも、助けなんて……来るのかな?)」
「……ふふっ、そりゃヒロインのピンチにはヒーロー参上っ! ってのが一番盛り上がるからね。私じゃあ役者が不足してる感じだし、適役がきっとくるよ」
追い詰めているはずの人物が軽口を叩き続けているという状況に、キリクは焦りと同時にひとつの確信を得ていた。
この人物は指令にあった《選ばれし三柱》ではないが、確かに自身と同じ特異な存在であると。
「……なるほど、聞き及んでいた者とは異なっていたが、《選ばれし三柱》であるのは事実か」
「まぁ、そういうことね。っても、私も倒されるわけにゃいかんから──よしっ、じゃあそろそろ手加減も終わりにして、さっさと決着つけさせてもらおっか!」
刹那、ディアナの体からは莫大な量の魔力が──陽炎のように揺らめく力場が放たれた。
「これは……っ」
「ディアナ、これって……!?」
「さ、正義のヒーローの活躍を……って、あれ? ありゃ?」




