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「負け犬として這いつくばる気分はどう?」
「……」
「遠吠えでもあげてほしいところね。それで互角、手打ちよ」
ゆっくりと起き上がり、トニーは正体不明の相手を睨んだ。
「それで少しは気分が晴れたわ。ボコボコにするよりも、よっぽど……」
最後まで言い切ることなく、エルズは地面に倒れた。
入れ替わるように、吸血鬼は瀕死状態の相手を見下し、足で彼女の頭を踏みつけた。
「人間風情が、誇り高き吸血鬼を辱めたこと……後悔するがいい」
「がっ……なっ……なに、これ……」
弱弱しい声からは、先ほどまでの威勢を微かにも感じさせず、誰にも等しい死の前兆を思わせた。
「エルズっ! ……どういうことなの!?」
「呪いですよ。彼ほどの使い手ならば、動作もなく相手を死に至らしめます」
「なら……っ!」
「行かせませんよ? それに、彼を殺したところで、呪いは解除されません。とても残念な結果ですが、あの女性は終わりですね」
ティアは崩れ落ち、自分の無力さを思い知らされていた。
あの状況、自分が加勢したところで結果は変わらない──どころか、足手まといになると分かっていても、親友の死に一切の介入ができない無力感は、論理の枠を越える。
「……ティ……ア。なか……ないで……」
「エルズ!?」
「ほう、あの状態でまだ意識が保てますか」
達観する黒ローブとは違い、吸血鬼は彼女の短い髪を掴み、死に体の相手を直視した。
「人間など、この程度だ。思い知れ、無力を」
「……感情的ね」
「……!?」
「吸血鬼の誇り……そんなものが何になるっていうのよ。あなたはただ辛いだけじゃない……大切な人が死んでいくなか……自分だけ残されていくのが」
エルズは見切っていた。
常に気高さ、冷静さを保っている彼が、敗者の頭を踏みつけるという低俗な行動を取った時点で。
今の彼は、思考の追いつかない事態に疲れ、沸点が低くなっていたのだ。
「貴様のような小娘に……何が分かる」
「大切な人を失っていく悲しみは、人並み以上に理解しているつもりよ。それでも、人は生きていけるのよ」
「……戯言を」
「やっと……フェアになったわ」
彼女が突き出したナイフは、トニーの体に届くこともなく、指二本で封じられた。
「愚かな」
「あなたは今、とても冷静になっているはずよ。だから、これでフェア……それと、愚かと決め付けるのは早いわね」
彼女の言うとおり、冷静さを取り戻していなければ、いまの攻撃に反応することはできなかった。
本来、この呪いを受けた者は身動きを取ることもできず、凄まじい速度で生命力を削られていく。その前提を持っていれば、彼女が動くという展開は予想できなかったのだろう。
それでさえ、この攻撃の狙いには気付けなかった。
「……小賢しい真似を」
「これで、決着ね」
ナイフを掴んでいた腕を切断すると、何の躊躇いもなく投げ捨てた。
すると、それまで腕だったはずの部位は一瞬にして溶け、灰に変化する。
「片腕を持たずに、私に勝てるかしら?」
「どこで知ったかは聞かない。しかし、貴様が呪いを解除するには、あれだけの時間が必要だった。今度は……猶予を与えない」
そう、彼女は解呪法の知られていない高位の呪いを、死に蝕まれながらも解いてみせたのだ。
そして、不意打ちに見せたナイフもただの刃物ではなく、高密度の光属性マナが含まれたもの。吸血鬼に突き刺せば、瞬間的に戦闘能力を奪い去る。
……公平さに囚われなければ、怒りに支配されたトニーに気付く術はなく、彼女の勝利で確定していた。
「……まだやるの?」
呪いを表す印が彼女の身に刻まれるが、それは瞬時に砕け散り、効果を発動する間もなく消滅する。
「馬鹿な……」
「あなたの腕を奪う為に、一撃目はあえて食らってあげたのよ。このナイフで突き刺すなら、近くに寄せたほうが確実だからね」
「まさか……その為だけに、あの苦痛を選んだとでも言うのか」
「吸血鬼や呪いについては詳しくてね。どのくらい耐えられるかも事前に調べてあったのよ──光属性が有効なのも実物相手に試しているから、下調べに余念ナシってね」
実物、という言葉を聞き、彼は困惑の表情を露わにする。
「実物……吸血鬼の生き残りはもう二人しか──」
「私が戦い、生き長らえてきた時代は……そういうところなのよ」
トニーは黒ローブの男に目配せをし、彼が頷いた時点で、その場から消えた。




