5r
「自分の手札を晒し、逆転の機会を失ったエルズ。絶対的優位に笑みを浮かべる吸血鬼に対し、エルズが取った手とは……!」
「……来い」
「せっかく盛り上がったんだし、少しは乗ってほしいね」
焦るべき立場のエルズは余裕を保ち、まだ遊びのような態度を取っている。
だが、それを打ち壊すべく、守りに徹していたトニーが攻めへと転じた。
「おっ、やっぱり調子がよくなってきたみたいだね」
「……」
腰に差した剣に手をかけることもなく、《魔導式》を展開し、即席の武器を生成する。
「《闇ノ四十三番・毀剣》」
互いが剣を握った時点で、騎士はガッツポーズを取った。
「そうそう、こうやって互いが同じ武器を持ってなきゃ、戦いは盛り上がらないって! これでこそ神聖な決闘ってもんよ!」
「ならば、己の望んだ決闘の中で……尽きろ」
「そりゃ、無理な相談だねっ! だって、私は強いから」
剣が衝突した瞬間、藍色の火花が散り、相殺されるように両者の姿勢は崩れた。
しかし、そこは吸血鬼。驚異的な身体能力で攻めの体勢に復帰し、追撃を放つ。
「おおっと、これはあぶあぶ……」
仰け反ったエルズはそのまま後方転回の予備動作に移り、回転中の蹴りによって二撃目の剣を弾いた。
「おーっ! すごい! まるで私の技みたいっ!」
「あなたはもっと容易にこなすでしょう。ですが、あの場面で、風の一族でもない者がするのは驚異的ですね」
そう、ここで真に驚くべきは身軽さなどではなく、場面栄えする技術で切り抜けたこと。
「(意図が読めない……この娘は幻術を得意としたはず。ここまで近接戦にこだわる理由はなんだ? 何故、遊びを含ませられる……何故、そのような相手に一撃さえ浴びせられない)」
トニーは言い知れぬ恐怖を感じていた。
攻撃を見切っているという発言自体、彼女の異質さを現している。
人間の目であっても、吸血鬼の行動を読むことや捉えることは可能だが、実践として回避を行うのは困難。
その上、挑発のような行為を織り成して成功させるともなると、もはや人間の運動能力を超えてくる。風の一族でさえ、命を賭けてようやくというほどだろう。
「(攻撃を受けてもなお、あれだけの状態を維持している……まさか、因子の覚醒が起きたとでもいうのか? あり得ない! 後天的に吸血鬼に変異するなど、聞いたことが……)」
刹那、無数の思考が彼の脳裏を過ぎる。
その中には、場に当てはまる説も存在していた。
「(《魅惑の魔王》と謳われた初代エルズ……彼女の直系だとするならば、このような事態も起こりえるというのか?)」
眼前の女性が戦友の娘であると信じられずとも、彼女がエルズの名を用いた時点で、彼は問わずにはいられなかった。
「お前は、《魅惑の魔王》を知っているのか?」
「……エルズね。もちろん、名前の由来だから知っているよ。その当時、誰よりも多くの眷属を従えていたことも、性に奔放だったことも」
「後者については、吸血鬼の一部でさえ、知らないはずだが──あの男も、知っている素振りを見せなかった」
トニーは確信を得た。
このエルズは《幻惑の魔女》ではなく、《魅惑の魔王》と呼ばれていたエルズなのだと。
「(本人か、世代を越える契約が行われた眷属……が原因かどうかはわからない。しかし、そうであるならば辻褄が合う)」
「……一応言っておくけど、私は違うよ? あの魔王が眷属を寄生させられたってのは聞いたことがあるけど、少なくとも私の世代ではもう残っていないみたい」
「ならば、お前の力の根源はどこにある」
違うと言われ、それを信じるトニーでもない。
そうでなければ、彼女の異常さは説明がつかないのだ。それこそ、奇妙な騎士がエルズと関係のない他人ではない限り。
「……正義だよ!」
「は?」
「正義の心! ジャスティス!」
「……」
「私は正義を売りにしてるんだから、そういう悪評を立ててもらうと困るんだよね。吸血鬼の子孫とか、吸血鬼の魂が蘇ったとか、そういうのはヒール役の設定にでもしてほしいよ」
もはや話し合うだけ無駄と理解したのか、彼は黙って剣を構えなおした。
瞬間、両者間に存在していた地が消えたように、吸血鬼がエルズの真正面に移動する。
時間を超越していないことは、後方や下方に向かって吐き出されていく、圧倒的な運動の余波によって確かめられた。
「残念ながら、あんた以上に速いやつを知っているから……脅しにもならないね」
「脅しだとでも?」
藍色の剣閃が煌き、主を覆い隠した緑色のマントごと対象を両断した──かのように、見えた。
しかし……現実は違っている。マントは攻撃を受けてもなお、引き裂かれることなく剣を受け流した。
「風翼獣の羽を元にしているだけあって、防御性能は折り紙つき……直撃を受けたら、さすがにまずかったけど」
緑色の布が宙を舞った瞬間、その下方より騎士とは思えないエルズが飛び出した。
剣や盾はそのままだが、服装は豊かなボディーラインを浮かび上がらせる──体に密着した黒装束に変わっており、暗殺者を想起させた。
咄嗟に後方への退避を考え、思考と同時に行動を起こしたトニーだが、彼女の追撃はその速度を越えていた。
機動力の高さを印象つける衣装とは相反し、彼女は盾による突進を行う。こうなると斬撃に必要な攻撃動作が削られ、追跡速度は予測を越える。
強烈な一撃を胴体に受け、仰け反りと同時に剣を落とす。通常の戦闘であれば、この時点で決着だが……両者に油断は生まれていなかった。
奇襲に続く本命の剣が吸血鬼の脳天目掛けて振りかざされるが、彼は最強の武器である己の体を使い、必殺の一撃を防ぐ。
片手に刃が食い込むが、それによって不調となるはずもなく──むしろ彼女の行動が制限出来る分、都合のいい結果となった。
さらに言えば、全身が武器である吸血鬼にとって、一本や二本の封殺は消費足りえない。
「う、動けない……!」
「終わりだ」
「エルズ!」
何かを掴むように開かれた手は、身動き一つ取れないエルズに向かって伸ばされた。目視さえ困難なほどの速度で。
「これが、逆転ってものね。最高に気分が昂ぶるでしょう?」
「……っ」
内臓を破裂させ、引きずりだそうとした手は、空気を掴んでいた。
そんな状況を嘲るかのように、エルズは彼の真後ろに立ち、盾で背を押した。
押し出しの威力は乏しいが、相手を殺す気で放った攻撃が仇となり、吸血鬼は自分の力によって前のめりに崩れる。
「お前は……本当に人間なのかッ!?」
「《選ばれし三柱》にとって、その質問は微妙じゃないかな? ま、特別な種族じゃないことは確かだけど」
「ならば……何故ここまでの力を──たかが人間風情が」
「人間の可能性を知らないあなたじゃ、そう思うのは当然ね。でも、人間はあなたが思うよりもずっと強い……それを知ることが出来ないなんて、哀れでしかないわね」
声の調子が変わっていることから判断するに、この発言には遊びが含まれていなかった。
表情にも三枚目な笑みはなく、心の底から哀れんでいるような、同情だけが表れている。
「(この者の正体を暴こうと思ったが、それをする余裕はない……か)」
彼は幼いエルズへの想いから、倒す以上に調べ上げることを優先していた。
ただ、それを捨てて戦ってもなお、このエルズには届かなかった。その時点で、自分の計り知れる相手ではないと確定したのだ。
トニーは決して弱くない。だからこそ、勝負すべき場面とそうでない場面の見極めが巧みだ。
善大王とスタンレーという、状況を不明瞭にする相手を前に、迷わず逃亡を選択したのも彼の強さだった。
その彼が一度として相手の底を知ることが出来ず、力を見誤り続けていた以上、この戦いが勝負として成立していないのは明白である。
「……次の攻撃で、決着がつきますね」
「えっ? での、あの吸血鬼の人強いよ?」
「お二人とも、互いに互いを終わらせる方法を持っているんですよ」
敵であるはずの男に感心し、「うんうん」と頷くティアだが、本質は何も理解していなかった。
それはエルズの演出によるものであり、シリアスな戦いはコミカルな勝負にまで貶められている。
ただ、この戦いが互いの生死を賭けているという点については、一切変わっていない。
決着がつくというのは、どちらかが死ぬ……ということに他ならないのだ。




