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「それは、敵対者に襲われるからではないのですか?」
フィアが過去にどのような目にあったかは、以前に聞いている。いくら酒を入れているとはいえ、それを忘れるような人ではないはずだ。
「それは表向きの問題だ。国の貴族にもそう通してある」
「……では、フィアの脆弱性、ですか」
「そうだ」
表情では見せなかったが、少し声色が変わった。俺がそこまで気付いていることに驚いたのか。
「あの子は昔から変わっていた。以前の巫女はほとんど全員、とても明るい子だった」
「フィアは明るい子とはかけ離れていますからね」
「そうだ。しかし、六歳になってから急に性格が変わった。それ以前は子供らしくもない、病気とすら思うように暗い性格だった」
「問題は、二度目の性格変動が起きた、というところにあるのですか?」
「いや……そうなのかもしれないな。その時には歴代の巫女とは違うなりに、少女らしさを持っていた。だが、その頃だ――フィアは自傷行為を始めた」
それがフィアの抱えていた闇の正体、か。
ビフレスト王はグラスを傾けながら、話を続ける。
「最初こそは転げまわったり、危なっかしい程度だった。しかし、次第にそれが過激化していき、窓から落ちる、自分の身を傷つける……そんなことを始めた」
「奇妙な行動ですね……好転してその状況、ということですよね」
「だからこそ、私も頭を悩ませた。止むなく、フィアに監視を付けてそうした行為を完全に封じた。それからは、君の知っている通りだ」
心理的に、自傷行為を行う者は注目してもらいたい、という意思を持っているという。ビフレスト王の様子を見るに、愛がないというわけではないだろう。
ともなれば、また別のものがあると思える。それこそ、誰かに助けてもらうことを待っているかのような……。
俺は軽く頭を振り、「こちらではそのようなことが起きないように計らいますよ」とだけ告げた。
「人生は短い。私としては大事な時期を他人に預けたくはないが、幸せに生きて欲しいという親心もある……任せたぞ」
俺は静かに頷き、自席へと戻った。
再度暇になり、さて何をしたものかと考え始めた時、不意にフィアの姿が見当たらないことに気付く。
ただ、気配が分からないわけでもなく、俺はこっそりと会場を抜けだしてバルコニーに出た。
月光で照らされた白い肌。靡く金色の髪が煌めき、異様なまでの美しさが演出される。
「フィア、何しているんだ」
瞬きをした後、俺はゆっくりとフィアへと近づいていく。
「別に……外の空気に当たってただけ」
「そうか、なら俺と同じだ」
「……嘘ばっかり」
フィアは俺の方を見てくれない。バルコニーは城下町の主となる方角には向いておらず、時間相応に暗くなった家々、遠くに見える森、天に煌めく月くらいしか見えない。
「どうにも、ああ言う場はなじめない」
「王としてどうなのよ、それって」
「やろうとすればできるさ。ただ、どうにもそんな気になれなかっただけだ」
フィアの真後ろに立って時点で、俺は彼女の肩を抱いて俺の方に振り向かせた。
目を閉じていた。ぎゅっと閉じ、何も見ないようにしている。
いや、これはただ待っているだけなのかもしれない。俺の口づけを。
意を決し、唇を近づけた瞬間、フィアは俺の頬を叩いてきた。
「みんなから聞いた。あなたが別の国でなにをしてきたかを」
「うーむ……なんだったかな」
「とぼけないで! あなたは子供に目を付けて、襲い続けてきたじゃない。私だけじゃない、誰でもいい……違う?」
なるほど、妬いているのか。本当に、子供だな。
「物語の王子様は一途だ。だけど、現実の男はそうじゃないんだ。だから、俺が特別に変というわけでもない」
「……不潔よ」
「そうかもな」
「最低」
「かもな」
「大嫌い」
「そう言われると、少し悲しいな」
フィアはまた、目を閉じた。
「本当に悲しいのね」
「嘘はつかないさ」
「嘘ばっかり」
しばし見つめ合った後、俺はフィアの体に触ろうとした。
「だから、やめてって言ってるでしょ!」
橙色の《魔導式》が展開され、俺は咄嗟に一歩下がった。だが、再びフィアに近づく。
「俺はフィアと仲良くしたい。ただそれだけだ」
「嘘つかないで!」
《魔導式》が起動し、橙色をした光の糸が近づいてくる。天ノ三十三番・線断だ。
命中すればとんでもないことになるが、今の俺からすれば大したものではない。
右手を構え、迫る攻撃に備えた。
「《救世》」
右手の甲に刻まれた紋章が輝き、白い光の糸を発生させ、術を対消滅させる。
「当たると危ないからこういう術は使うなよ」
「なんで、なんで使ったのよ!」
「そ、そりゃ危なかったからだな……いや、避けられはしたが」
予期せぬ怒り方に、俺は驚いてしまった。そこまで怒らなくてもいいだろうに。
「《皇の力》は神が与えた力なのよ。だから、あなたの私用で使うようなものではないの!」
「ま、まぁそうだけどな……いや、一応は命を守る為に使ったと思うんだが」
「なるべくその力は使わないで」
茶化して終わりにしようとしたが、あまりに真剣なフィアの表情を前に、俺は黙りこんでしまった。
「約束して」
「……その前に、この力の正体を教えてくれ。他の巫女からはフィアに聞けの一点張り、まだ俺は何も知っちゃいない」
フィアは小さく頷き話し始める。
「《皇の力》は神から与えられた権能の一つ。魔を封じる力よ……ただ、本当なら《魔封》になるはずだったんだけど」
「その名だ! 先代の善大王が使っているのを一度だけ見たことがある」
もしかしてそれかもしれない、とこっそり試したが、何も発動しなかった。こっ恥ずかしくなったのでそのまま隠していたが、どうやら当たってはいたらしい。
「私の一存で力に手を加えたのよ。《星救》という術と――いえ、蛇足ね」
「つまりなんだ……この力は神のものだけじゃないってことか?」
「ええ、そういうことよ。かなり実験的だったから、あなたが死ぬ可能性も十分にあったわ。知っていたらしなかったかもしれないけど、成功したから問題はないわね」
善大王を殺しても何とも思わない辺り、ビフレスト王の言っていた通りに、危ない子なのかもしれない。
「それで、何で魔物を一撃で倒せたんだ?」
「本来の力もそうだけど、この力は負の力を打ち消すものなのよ。攻撃性を持った術にも含まれている力だから、術も無効化できるというわけね」
「その、なんだ……負の力っていうのは?」
「裏側の世界に存在している力よ。善悪で言えば悪に含まれる力ね……魔物の場合は肉体の全てが負の力で構成されているから、条件を無視して倒せるわけ」
なるほど、話しは掴めてきた。だとすると、俺のこの力は魔物戦において最強ではないか。
どんな強い魔物が現れようとも、問答無用で倒せる。
「……一応忠告しておくけど、魔物が現れてもなるべく使わないようにして」
「ああ、心得ておくよ」
そこで話を切り、俺は別の話題を出した。
「フィアを外に連れ出してもいいことになった」
その言葉を聞いた途端、フィアの目が煌めいた。
「それ、本当なの?」
「ああ、俺の保護下で、だがな。気に入らないかもしれないが、我慢してもらうぞ」
「……あなたとずっと一緒、ということ?」
「仕事があるからな、ずっとではないが、大抵の場合は俺がついておくな」
ビフレスト王から任されている以上、誰かに頼んだりはできないだろう。まったく、負い目があるとは言え、皇に子守を任せるなんて滅茶苦茶だ。
「そう、なんだ」
「……そういえば、フィアにお土産があったな。ついてきてくれ」
「えっ」
「水の国で買ってきた土産だ。俺に会えなくて寂しかろうと思ってな」
軽口を叩いてみたが、フィアは何も言い返してこなかった。
「それで、どこにあるの?」
「興味はあるんだな。よし、じゃあ付いてきてくれ」
会場に戻ると、全員がべろんべろんになっていた。ビフレスト王が扇動したのだろう。
肝心のビフレスト王も顔を真っ赤にし、俺達に気付いている様子も見せなかった。
城を出て、裏の森に向う。以前に来た場所だ。
森の中に隠していた木箱を開け、中に入っていた服をフィアに手渡した。
「ほら、フィアに似合うと思ったんだ」
大人は多少の嘘をつく。でも、気付かれなければそれは醜く映らない。
「まぁまぁ……ね」
フィアの頬は僅かに紅潮していた。きっと嬉しいんだろう……分かりづらい反応な辺り、勘違いされてきたんだろうな。
「着てみせてくれないか?」
「ええ、じゃあ城に戻って――」
「ここで着替えてくれよ。大丈夫、誰も見てないさ」
「でも、あなたが……」
「駄目、か?」
しばし迷うような素振りを見せ、フィアは口を開いた。
「明日、着替えて見せてあげるわ」
「おう、楽しみにしているよ」
俺は喰い下がらず、そのままフィアの言葉に従った。