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──フォルティス城、シアンの自室にて……。
「フィアちゃんは……厳しいですかね」
侵攻部隊は既に出撃を終えており、二、三刻で衝突が始まるという頃合いだ。
シアンは現場に赴くべきではないと判断し、それであって状況判断を遅らせないように、部隊の人間を数名買収していた。
《教皇の聖歌》は通信術式の例に漏れず、距離を無視して送受信が行える。ただし、対象者には施術者本人が導式を刻まなければならず、事前の準備が必要不可欠という弱点が存在していた。
もし、この技術を開発したのが水の国の姫であるシアンならば、重要な局面で使うことができなかっただろう。
しかし、《海洋の歌姫》となった彼女ならば話は別だ。あのフォルティス王の部隊で裏切り──主に情報を伏せるという行為はこう表現してもいいだろう──を行わせるなど、思いやりがあってはできない選択だ。
裏切り者がどうなるか、それを想像するのは容易である。だが、そうであっても彼女は我を通した。
切り捨てる決断を下せた……という成長ではない。その人物が咎められようとした場合に、自分が守ってみせるという決意を得られたのだ。
閑話休題、シアンはフィアが間に合わないと確信していた。
現場を見ずとも、仔細な軍の動きを探れることは今言ったばかりだが、それによって不安が確信に変わってしまったといえる。
《カルマ騎士隊》があの場に間に合ったとして、終止符を打つことのできる二名が到着するまでの間、無犠牲で凌ぎきるのは不可能だ。
「……しかたありません。ティアちゃんに頼んで、急いでもらいましょう」
言葉に出すことで自分を鼓舞し、自室を出て行くべく立ち上がった瞬間、ドアがノックされた。
それは悪い予感に他ならず、無理矢理に高揚させた気持ちも瞬時に萎縮する。
「どうぞ」
「姫様……防衛部隊の拠点に闇の国の軍勢が現れました」
……
──フォルティス城、作戦会議室にて。
この緊急事態にもかかわらず、作戦会議室──元は王族用の食堂だった場所だ──に現れたシアンの姿は、ドレスや装飾で着飾っているという……身だしなみを過剰に整えたものだった。
悠長で貴族的な儀式行為にも見えるが、彼女は打算でこのような格好を取っている。
シアンは人の噂も乏しい海上にありながら、《海洋の歌姫》と敵味方から畏怖される存在となった。
これは陸上で異名を与えられる以上に驚異的なことであり、海上無敗という実績からしても群を抜いていると言える。
だが、その実力を知る者は少なく、陸上の知識は久しいのではないだろうか、と懐疑的な者もいる程だ。
常勝という旗と、肉眼で捉え、肌で感じる才気によって完全な統率を取っていた海上部隊とは正反対の相手。そんな彼らと協力しなければならないのだ。
幸い、彼女はその経験が初めてではなかった。だからこそ、こうしなければならないと分かっていたのだ。




