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近接戦で斬撃を繰り返していたが、この魔物は一向に死ぬ気配を見せない。
俺を見据える藍色の瞳は、体中に刻まれた傷を歯牙にもかけていないかのように、鋭い眼光を放ち続けていた。
爪などの一撃などが幾度も掠り、その度に導力で治療を行った。術で回復する余裕がないのだが、当然というべきか、導力では時間がかかりすぎる。
結果として、どんどん傷が増えていき、肉体強化してようやく普通という段階にまで感覚が鈍っていった。
ただ、意識は覚醒していた。死が四方を囲っている状況なだけに、一瞬の油断もできない。
遠くに見えるフィアは目を覚ます様子を見せない。肉体の状況は変化していないが、早く治療しなければ後戻りができなくなるかもしれない。
刹那、俺は焦りを覚えた。
光ノ百九十九番・光輝剣を逆手に構え、爪での攻撃を受け流し、そのまま胴体に向かって突進する。
素早く持ち替え、順手で胴体に一閃を刻み込んだ。
このままならば勝てる、早く勝ってフィアを救う。
意識がその方向に向いた瞬間、俺の視野は狭くなった。
黒い龍の哮りが俺の体を襲う。鼓膜が破れそうになり、耳を塞ぐが、あまりの勢いに俺の体は浮かびあがった。
突風に当てられたかのように吹っ飛ばされ、俺の体は地面に叩きつけられる。
《魔技》で軽減すればどうということもなかった。しかし、俺は直撃してしまった。
体は痛みに悲鳴を上げ、足を動かすこともできない。
死の淵に手が触れ、俺は何度も瞬きをした。
次第にその頻度は低下し、暗闇が続く時間が延びていく。
脱力が全身に伝播し、俺は死を実感した。
刹那、最後の瞬きのように開かれた瞳が、一つの光景を映し出した。
フィアへと近づいていく、黒い龍。天の国のある方向とは違う。奴は、フィアを狙っているのか?
このまま俺が死ねば、フィアは助けられない。
俺は……俺はまだ、フィアとなにもしていない。こんな状況で、死ねるかよ。
体は動かない。だが、幸いながら意識はある。思考もできる。
俺は導力を体にそそぎ込み、無理矢理に体を起こした。
肉体は死に近づいている。ここからは死ぬ前の悪足掻きだ。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおッ」
叫びをあげながら、崩れた姿勢で黒い龍にまで接近する。術は既に使えない。
フィアの前に行き、両手を広げた。
フィアが覚醒する可能性はゼロに近い。それでも、俺が僅かな時間を稼ぎ、彼女がそれまでに起きてくれれば……。
黒い龍は憎悪を滲ませるように、瞳を輝かせた。その目には、《魔導式》が刻まれている。
口許から黒い炎が溢れだし、それが俺の身に向かって放たれた。
凄まじい熱が体を焼く。
声すら出せず、俺の体は死の方向に逆戻りしようとした。
死なんて、怖くはない。もう恐れない、俺は、俺は……フィアを守るっ……! 命を賭けてでも。
執念が体に満ちた時、前方で燃えさかっていた黒い炎が消滅した。
俺はかつて、この現象を見ている。
「エルフの……技法」
右手の甲に刻まれた紋章が煌めいていた。
体に力が満ちあふれ、死に向っていた肉体が急激に回復していく。これならば、勝てる。
《魔導式》を展開しながら、俺は黒い龍へと迫っていった。
俺が術を使わないと判断したのか、再び眼球に《魔導式》が映り込む。
黒い炎が放たれるが、俺は右手を翳した。
熱が瞬時に引いていき、黒い炎は霧散する――はずだった。
「熱っ……」
消し去ることには成功した。しかし、完全に消せたわけではなく、手に軽い火傷を負う。
一発目と何が違っているのか。そもそも、この力は相手の術を撃ち消せるのではないのか。
「違うわ、その力は……エルフの技法なんかじゃない」
背後から聞こえてきた声に、俺は驚愕した。
俺が違えるはずもない。後ろにいるのは、フィアだ。
振り返り、十全とは言えないにしても立っているフィアが目に入る。喜びに震えそうになるが、フィアはそんな俺に気取られずに続ける。
「善大王としての権能、《皇の力》よ。魔物を滅ぼす為の力」
《皇の力》、それはライカやライムが口にしていた単語だ。そうか、この力のことをいっていたのか。
これがあればアカリを安全に無力化できた。
これがあればミネアの術を封殺できた。
これがあれば、ライムの幻術すら打ち消せたはずだ。
俺はフィアの隣に立つと、右手を構えた。
「フィアは俺が守る。だから、攻撃を頼む」
「……私は術が使えなくなっているわ。だから、あなたが倒して」
それを言われ、俺は改めて笑いだした。
「それもそうだな、少し甘え過ぎたな」
「本当は、こんなことを言いたくはないけど……《皇の力》は名前を持って初めて力を得るのよ。術の詠唱と同じ、あなたが願う力を名として与え、戦って」
どういう意図で放たれた言葉なのかが理解できなかったが、俺が何をすればいいのかが分かった。
フィアの真意を知ることは可能。しかし、黒い龍は俺達を待ってはくれない。
黒い炎が迫ってくるのを確認し、俺は瞬時に意識を凝固させた。
「《救世》」
世界を救う為、魔を撃退する。俺が《皇の力》に願った力だった。
白い光の糸が伸びていき、黒い炎と衝突した瞬間、対消滅するように消えていった。
これが、《皇の力》か。如何なる術でも消し去る力。
「違うわ、その力は魔を撃ち払う力よ。だから、その力で魔物を消し去るのよ」
俺は小さく頷き、魔物に近づいていく。
爪などで襲いかかってくるが、度重なる術の発動で弱り始めていたのか、攻撃に鋭さがない。
紙一重で回避し、至近距離に入った時点で俺は再び右手を構える。
「《救世》」
光の糸が凄まじい勢いで拡散していき、無数の糸となって黒い龍の周囲を囲んで行く。
抵抗するように黒い龍は牙や爪などで切り裂こうとするが、反発するような力に押され、それは無意味に終わる。
繭を思わせる光景が広がった瞬間、対消滅現象が発生し、黒い龍と共に白い光の糸は消え去った。