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──天の国、南部の城、アトゥム。
天の国と言えば、選ばれた人間にしか与えられない属性を持つ、超越者だと考えてしまうことだろう。
客観的にはそれは大きく間違っておらず、希少性や強大さは他国の比ではない。
ただ、金髪碧眼でありながらも、肥え太った男ともなると、その幻想に揺らぎが生じるものだ。
とはいえ、このアトゥムの城主、決して見た目通りの管理能力が欠如した人間ではない。
シナヴァリアが優先目標にしたのが、その証明となるだろう。
光の国と天の国の間には古き時代の系譜があり、それによって険悪な関係にならずに済んでいる……ということは、幾度か語った。
しかし、だからこそというべきか、国境越えは存外簡単なことではない。こうした有事であれば、常よりも遙かに厳しい監視が行わざるを得ない。
その監視役の頂点とも言えるのが、アトゥム城。この地点さえ攻略すれば、多少の融通が働かせることが可能。逆に、放置すれば定期的な移動の時点で怪しまれ、ライトロードに通じかねない。
ここでは城主本人を評価していたが、地位や役職の方が際だってしまったかもしれない。
だが、彼自身もそれらの使命を不足なく行い、国境沿いの貴族……さらには村から町まで、全てを掌握しているというのだから、高い統率力を持っていることが分かる。
であるからして、今回の交渉は困難なものになると思われる。いくらシナヴァリアが優秀な者であっても、相手は長き時代を支えてきた血族だ。
「光の国の宰相たる者が……本気かね?」
「ええ、今は人間同士が争っている場合ではありません」
たっぷりと蓄えられた鼻下の髭を撫で、口許を歪める。
「よし、周辺にはそのように伝えるとしよう」
「ありがとうございます」
「礼などいらんよ。もとより、我々の危惧は身の上も知らぬ者の侵入だよ。君のような地位を持つ人間ならば、警戒など不要さ」
この場で取り決められたのは、特定の魔力を放つ馬車を見逃せということ。
それが公用の馬車に限定されたともあり、誰かを偽装して送り込むことはできず、すれば国を道連れにすることとなる。
シナヴァリアという男が破滅願望に取り憑かれてはいないと知れば、これを呑むことはマイナスにはならないのだ。
それどころか、彼は金貨千枚を提示している。個人で動くにしても、ここまでの大金を何の惜しげもなく提示するということはあり得ない。
……と、色々な要素を全て読んでいることは確かなのだが、城主からすれば無条件に受け取れる金の方が重要だった。
天の国や光の国に口外しないという契約上、王に伝える必要性もなく、純粋に全額を懐に収められる。
国境警備の長であっても、彼は決して満たされておらず、昨今の戦争による煽りは富の消費を加速させていた。全てが、彼からすれば好都合だった。
無論、この展開まで予期して動いた冷血宰相の方が上手であるが、彼は勝ち負けの概念を交渉に織り込んではいない。
純粋な目的、終着に必要な財、それらを把握して事務的に進めていくだけだ。




