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──光の国、北北西の村、グランベルにて……。
「隠居の身に、宰相殿が何の用で」
「私は天の国との同盟を図ろうと思います」
単刀直入な発言だが、宰相を相手に怖気づかないほどの男が、その切り出しだけで気を悪くするはずもなかった。
むしろ、問題は発言内容にあるとさえ、気付くほどの余裕を持っている。
「善大王様への確認は」
「……あのお方がいつ戻られるか、それさえも掴めない状況。安易に心労を増やすのは得策ではないかと」
「いつ何時に有事が来るとも知れぬ状況では、目的を果たすにも身が入らぬと見るか……正しい判断ですな」
「ですので、総資金の半数以上は切るつもりです」
「まさか、国のものを指しているのか?」
「無論、それでさえ成功は交渉に因るものかと」
ここに来て、始めて男の──老人の顔に曇りが見えた。いや、曇りなどというものではない。明確な憎悪や怒りが滲みだしている。
それもそのはず。国を想う者であれば、自国の血ともいえる国庫金を賄賂に使うという話を聞いて、平然としていられるはずがない。
安全保障上の必要経費と取れば、シナヴァリアの選択は大きく間違っていないように想えるだろう。
ただし、国家同盟という行為がどれほどのリスクを持っているか、天の国がそれを理解できぬほどの愚か者か、そこを考えれば答えは明白である。
……つまり、天の国の貴族──その過半数を買収し、強制的に同盟へとこぎつけるという手法を取ろうとしているのだ。老人はそれを知り、本当の意味で怒っている。
他国を巻き添えにした国家秩序の破壊を、自分が選び、任せた宰相が行おうとしているのだから。
「シナヴァリア、本気で言っているのか」
「この国を想えばこその行動です」
「お前が天の国に恩義を感じていることも、崇拝に近い想いを抱いていることは理解している。だが、このやり方は極端だ……それに早計としか言えない」
シナヴァリアは口許を緩め「ノーブル様、隠居の身にあっても衰えていないようで。失望せずにすみましたよ」と嫌味を吐いた。
その言葉が指し示すのは、もはや彼の言い分を聞くつもりがない、ということ。
目の前にいる人物がかつての上司にして、先任──その上、推薦者だ──の宰相だとしても、自身の歩みを止めるだけの要因ではないということ。
しかし、それは国の在り様を考えれば当然のこと……なのかもしれない。
光の国で重視されるのは地位であり、現職を退き、血統的有意を持たないノーブルは一般人に等しい存在だ。
事実、この場で彼がシナヴァリアに手を出すことはできず、如何なる理由を持ってしても罪の追及は逃れられない。
古きカルマの時代から、現在になっても変わらない人間のしがらみだ。
「シナヴァリア、最後に聞かせてくれ。私が、お前の意見を肯定すると考えたか?」
「……いえ。ですが、恩師の制止でさえ足が止まらなければ、行き着くところまでいけるかと」
かつて信用し、そして成果を影ながら──それこそ我が子のことのように見守り、感心し続けてきた男。
だが、こうして見てみれば、もはや権力に呑まれた業魔に過ぎない。
去り往く宰相の背、僅かに揺れる深緑の髪からは、かつて重ね合わせた英雄の面影はない。




