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──雷の国、北東部の草原……。
「(仲間がいることに安心して、か。フィアが人を信じられるようになったのは、いいことだな)」
色々と問題の多いフィアを一人で置いておくということに、大きな不安を持っていた彼だが、合理性を取らずに信頼を優先した。
彼女ならば、この場を乗り切れるであろう、と。
沈黙のまま、長らく彼らは進軍を続けていた。しかし、慣れたはずのボーテクスの戦士に劣らず、善大王は陣形を維持している──速度を彼ら側に合わせた上で。
「さすがは善大王様。我ら以上の技術とお見受けします」と茶髪の戦士。
「それほどでもない。それに、これは……これは? 少なくとも、善大王になる前からの技術だ」
「おぉー!」と盛り上がる者達に囃したてられながら、それでも彼は違和感に襲われていた。
「(なんで覚えていないんだ? 覚えた時のことは、きっと印象的だったはずだ……でも、どうして。俺は冒険者をする前……なにをしていたんだ)」
既に、彼の頭の中には過去の情報が残っていなかった。
自分が冒険者であり、ヴェルギンとその旅の最中に出会い、聖堂騎士となり、善大王になった。ここまでが彼の人生であり、これが全てだった。
とても親しみのある風土、馬との通じ合い、反射的で習慣的な動作を無自覚に行うというのは、とてつもない解離の感覚を与えていく。
そんな疑問の中に身を置きながらも、馬を走らせているのだから、意図せずとも目的地に到達する。足が他者のものであるのだから、それはなおさら早く感じるものだ。
しかし、そこにあるのは陣営などではなく、ただの草原だけ。撤退の様子も伺えず、ずいぶんと綺麗に茂っている。
その時点で気付いた。狙いがフィアであり、隔離の為にこの場に送られたのだと。
疑惑が激怒に変わり、善大王は振り返って騎馬隊の者達に感情をぶつけようとするが、彼らは背後ばかりをみていた。
「……なにを見ている」
「あの煙──町で何かがあったのでは、と」
激情に取り込まれた彼の目には見えなかったが、深呼吸によって血流を正常にしていくと、そこにある変化が視野に現れていく。
一本だけ伸びる、白煙だ。町で何かがあった、というよりかは、意図的に出しているように思える。
「なんだ、あれは」
「……! あれは、魔物の襲撃を示しています」
嘘かと訝しむが、煙の発生に規則性があることが分かると、彼もことの重大性を薄々と理解し始めた。
そうした忙しい時に、間が悪く──それを狙ったように、彼らの前にも魔物が現れる。
藍色の瞳を輝かせるそれは、空間を突き破るように腕を──鶏と龍の足を融合したような、鋭い爪と鱗を称えた腕を伸ばす。
瞬間、その場に広がっていた草原が破り捨てられ、光なき黒の境界が出現した。
まるでそれが異常な現象であるかのように、蛍色に近い燐光が散り、世界は元通りになる。だが、目の前に現れた龍は依然として外敵を睨みつけていた。
「……お前達は──」
逃げるように促そうとしたが、恐怖に竦んだ戦士達は言われるまでもなく撤退を開始した。それは人間だけに限ったことではなく、またがる馬にも言えることだ。
「あいつらについていけ」
伝わると分かった上で声をかけ、善大王は馬から降りる。すると、留め具を失ったバネのように一心不乱に走り出した。
この場に残るのは彼一人。魔物も一体とはいえ、それが上級個体である藍眼なのだから、容易に突破できるということもない。
咆哮による衝撃を体に受け、この場から逃れる余裕がないと悟るや否や、彼は両手で拳打の姿勢を取った。
「(たった一体で使ったなんて知れば、フィアも怒るだろうしな)」
約束を破るわけにはいかない。
彼女がどんな場面でも──魔物と戦うという状況でさえ禁止を訴えていたことから、どれだけ危険性を持っているかを判断していたのだ。
理性と心情が合致し、善大王は無謀な勝負を始める。ただ、今の彼はかつてとは大きく異なっていた。
「さて、新技の調整と行くか」




