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──その日の深夜……。
打ち付ける雨粒の音を聞き、うつらうつらとしていたアルマだが、不意に目を覚ます。
もはや《超常能力》としか思えない能力で振動の違いを聞き分け、不寝番の親衛隊員に声をかけた。
「気をつけながら、外を見てくれる?」
焦り、緊張し、まったりとした声色が不安感の宿ったものに変わっている。
主の変調にはすぐ気付き、無言で頷いてからテントの入り口を開いた。察しよく、そして手遅れの段階で絶望的状況を言い当ててしまう。
外は霧に包まれており、じめじめとした強い湿気の空気は雨によるものだった。
ただ、それは普通のものとは異なり、霧吹きのような細かい飛沫や大粒の滴が混じったもの。
入り口の防水布を捲り上げていた太い腕──男性ながらも、シミ一つないほどの白さ──に、ただ一滴の、小指の第一関節ほどのジェル状物質が落ちた。
黒子のように、それは異常なほどの存在感を含ませており、剥がそうにも張り付いていて離れない。
咄嗟に導力を流し、張り付きの力を奪うと、あえて室内に──もちろん、自身の近くだ──叩きつけるように腕を振った。
それなりの勢いではあったが、それこそ弾性の強い樹脂であるかのように、滴はたわみながらも形状を戻す。
「姫様、おそらく魔物の放ったものかと」
善大王の騎士である聖堂騎士、宰相の懐刀である暗部、それらと比べると劣るように感じる親衛隊だが、彼らとて無能ではないのだ。
危機の観察、対処、予防と移る動きは医療的なものに近く、必修の技術を他に応用するという柔軟性も持ち得ている。
《正統王家》とて、巫女が生まれる血統として生かされているわけではないのだ。かの暴君と知られる初代フォルティス王も、親衛隊に所属していたというのだから折り紙付きだ。
「……うん。そうみたいだねぇ」
安堵したらしく、アルマの表情にゆったりとした余裕が戻る。
「生成する導力だけで、闇属性を無力化できるともあれば、恐れるには足らないかと」
「パーサントさん、そうとも言い切れないかもしれないね。ほら、これだよぉ」
黒い粘液を突き破り、五線譜の上で擬態できるような形状、大きさのオタマジャクシが現れる。
それが指し示す意味をすぐに理解し、アルマは指でなぞるように、その生物を切り裂いた。
黄色の光芒を引き、蝋燭を吹き消すような仕草をするだけで、指先の閃光は消え去る。《星》だからこそ行える、超高密度の導力刃だ。
「光属性で成長を活性化させたみたいだよ。でも、そうじゃなくても、人の力を抜き取って大きくなるのかも」
オタマジャクシが消えた時点で、これが魔物の構成物であることは確定となった。
瞬時に、それも光属性による攻撃だからこそ対処ができたが、そうでなければ苦戦を強いられたことだろう。
要求を待つこともなく、アルマはシナヴァリアへと通信を繋ぐ。先日に睡眠を要求していただけに、深夜にもかかわらずに即応が行われた。
「魔物の襲撃だよ! 起きて!」
『はい、起きています』
「黒い雨みたいなのは、魔物なの! だから、光属性で無力化して! 大きくなったらどうなるか分からないよぉ」
『より詳しい情報を──』
刹那、耳と頭、両方に咆哮音が入る。
振動が陣営の帆布を揺らし、即席のテント群の魔力が強まる──闇属性ではなく、光属性のものだ。
「止めて! みんなが外に出たら」
宰相も手を打ち始めたようだが、それでも全員を同時に鎮めることはできない。
次々と躍り出ていく者達に変調は見られないが、それは嵐の前の静けさにすぎないのだ。早急に対応を行わなければ、全滅の危険もある。
「姫……」
「ごめん、あたしががんばらないと」
臣下への言葉だったが、それを音でのみ聞いていた最高司令官も意味を理解した。
『まさか──早計な行動は危険です』
「あたしだったら少しだけは大丈夫だから」
そう言い、銀色の髪をした少女は一段と長いローブを身にまとい、雨具の代用とした。




